台湾野球の歴史
台湾の野球には、かつてここを植民地にしていた日本の影響が色濃く残っている。
日本は日清戦争での勝利の結果、1885年にこの島を領土に組み入れることになったが、野球がもちこまれたのは、その2年後の1887年頃のことであるという。ただし、その後20年ほどは、支配者としてこの島に渡った日本人によってのみプレーされていた。
1910年代に入ると、あるいは日本人と同じ学校に通う現地人らがプレーするようになった。そして、日本の植民地支配方針の転換により、野球は台湾でも人気スポーツとなっていった。
1921年1月には、レッドソックスに所属していたH・ハンター率いる3A主体のオールアメリカン・ナショナルが前年より行っていた「日本遠征」の一環として来台し、在台日本人の実業団チームから選手を選抜した「全台湾」を相手に26-0で圧勝している。
この2年後の1923年からは『全国中等学校優勝野球大会』、現在の高校野球「夏の甲子園」に、1930年からは第4回を迎えた社会人『都市対抗野球』に台湾代表も参加するようになった。
その中でもとくに1931年の甲子園に出場し、準優勝を収めた日本人、中国系、マレー系の先住民からなる「KANO」こと嘉義農林学校は、日本の植民地支配を象徴するチームとして注目を集め、近年映画ともなり話題を呼んだ。
野球人気を復活させた国際大会での奮闘
太平洋戦争終結後、台湾は中国を支配していた国民党政権が治めることになったが、共産党軍に中国本土を奪われた政権は台湾を本拠とし、敵国だった日本がもたらしたスポーツである野球を半ば無視するようになった。
その中でも、1960年代末には台湾がリトルリーグの世界的強豪として名を馳せるようになり、そこから育った選手たちが、国外のプロリーグへと巣立っていった。
戦後最初に国外プロリーグでプレーしたのは、譚信民(タン・シンミン)で、1974年にジャイアンツ傘下のA級フレズノで主にリリーフとして8勝4敗2セーブを記録している。
それでも、台湾人の射程にあったのは旧宗主国の日本で、1980年に高英傑(カオ・インチェ)、李来発(リ・ライファ)が南海ホークスと契約したのを皮切りに、台湾人選手が次々と日本のプロ野球に挑戦するようになった。
その中でも、1980年後半から1990年代前半にかけては「二郭一荘」と呼ばれた郭源治(中日/1981~1996)、郭泰源(西武/1985~1997)、荘勝雄(ロッテ/1985~1995)は、日本野球史に名を残すほどの活躍をした。
そして2002年、陳金峰(チェン・ジンフォン)が台湾人初のメジャーリーガーとしてドジャースでデビューを飾る。
1990年には4球団でプロリーグがスタート。すぐにその人気は爆発し、1993年に前年のバルセロナ五輪で銀メダルを獲得した選手たちがプロ入りしてくると、プロ野球熱はますます高まった。
しかし、これも長くは続かず、八百長事件や選手の半数近くを占めるまでになった外国人依存、それに新リーグ発足による分裂状態などから1990年代後半になると、プロ野球人気は急速にしぼんでいった。
この野球人気を回復させたのは、やはり国際大会だった。
強豪各国が「オールプロ」の布陣で臨むようになったアテネ五輪を前にした2003年、分裂状態だったプロリーグが合併。トッププロをナショナルチームに送り込む体制を作り上げた台湾は、韓国を押しのけ、五輪出場を決めた。
以後、五輪の舞台には、2008年の北京大会にも出場。2006年に始まったWBCにも毎度出場している。とくに2013年の第3回大会での日本戦は惜敗したものの、名勝負として今も語り継がれている。
カギを握るNPB組
今回の代表チームは台湾プロリーグ・CPBLの選手をメインに構成されるが、主力はNPB経験者が占めると思われる。
投手陣について言えば、国内リーグのローテーションを外国人選手に頼っている現状にあって、先発陣の台所は苦しい。昨季ジャイアンツの2A・リッチモンドで6勝を挙げた鄧愷威(トン・カイウェイ)、楽天モンキーズで12勝3敗をマークした黄子鵬(ファン・ズーポン)、優勝チーム・中信兄弟で11勝1敗の呉哲源(ウー・ジェユアン)が配置されるだろうが、それに続く者が見当たらない。
リリーフは比較的豊富で、楽天で昨季20ホールドをマークした宋家豪(ソン・チャーホウ)、2018年から3シーズン在籍した阪神では一軍登板ゼロに終わったものの、昨年はチャンピオンチームの中信兄弟でクローザーとして20セーブを挙げた呂彦青(ル・イェンチン)が中心になるだろう。
さらには、ベテランの域に差し掛かっている元ロッテの陳冠宇(チェン・グァンユウ)や、2016年に在籍した西武ではC.C.リーの登録名で知られた元メジャーリーガーの李振昌(リー・チェンチャン)もブルペンに控えることになると思われる。
打撃陣では、国内リーグが典型的な打高投低とあって人材は豊富に映る。
トップバッターには、CPBLで盗塁王2度の韋駄天・王威晨(ワン・ウェイチェン)が収まるものと思われるが、レベルの高い各国投手を崩せるかどうかは先制点をいかにしてとるかにかかっている。
おそらくは主軸を任せられるであろう呉念庭(ウー・ネンティン/西武)と王柏融(ワン・ボーロン/日本ハム)のNPB組が攻撃の鍵を握ることは間違いない。
彼らに加えて、この冬はオーストラリアのウィンターリーグでプレーしていた、レッドソックスなどでメジャー経験もある林子偉(リン・ズーウェイ)もスタメンに名を連ねることと思われる。
今回は地元でオランダ、キューバ、イタリア、パナマと東京行きの2枠を巡って戦うことになっている。
強豪が集まるかなり厳しいグループだが、前々回2013年大会以来の第1次ラウンド突破は、人気回復途上にある国内リーグ活性化のためにも、最低ノルマだろう。
文=阿佐智(あさ・さとし)
代表メンバー
<投手>
15 ル・イェンチン
16 ワン・ウェイチャン
17 チェン・グァンユウ
21 リー・チェンチャン
29 トン・カイウェイ
32 チェン・ユーシュン
43 ソン・チャーホウ
58 フー・ジーウェイ
59 チェン・グァンウェイ
60 ツォン・ジュンユ
69 ファン・ズーポン
71 ジャン・シャオチン
81 チェン・シーポン
93 ウー・ジェユアン
<捕手>
4 ジリジラオ・ゴングァン
31 リン・ダイアン
65 ガオ・ユージェ
<内野手>
1 チェン・ツンジェ
5 リン・ズーウェイ
6 ワン・ウェイチェン
18 ジャン・ユーチェン
39 ウー・ネンティン
46 ファン・グオチェン
83 リン・リー
90 ジャン・クンユー
<外野手>
2 グオ・テンシン
9 ワン・ボーロン
12 チェン・チェンウェイ
24 チェン・ジェシェン
35 チェン・チン