「何でだ!あれはストライクだ」
5月27日にバンテリンドームで行われた中日-DeNAの一戦。同点の9回裏、二死二塁の場面で中日のルーキー・村松開人が足で内野安打をもぎ取り、この間に二塁から走者が一気に生還。劇的なサヨナラ勝ちとなった。
歓喜に沸く中日ナインを尻目に、DeNAの三浦大輔監督は審判にリクエストを要求した。村松の当たりは一塁へのゴロとなり、ベースカバーに走った三嶋一輝との競走に。たしかに間一髪のタイミングではあったが、リプレイ検証の結果も判定変わらずセーフとなる。
すると、三浦監督はもう一度リクエストを要求した。というのも、一塁がセーフとなった後、本塁も間一髪のクロスプレーとなっていたのだ。しかし、それでも判定は覆ることなく、珍しい“ダブルリクエスト”も不発に終わった。
リクエスト制の導入後、監督や選手の退場劇は減少したとはいえ、時には判定をめぐる感情の行き違いから、退場に発展するケースも見られる。また、昨年のロッテ・井口資仁監督のように、試合終了後に退場になる珍事も過去には何度か起きている。
巨人時代のマーク・クルーンもその一人だ。2008年4月27日の阪神戦。3-2とリードした巨人は9回裏、開幕から10試合で防御率0.00、4月25日のカード初戦に3者連続空振り三振の快投を演じた守護神・クルーンが満を持してマウンドに上がった。
ところが、この日のクルーンは制球が定まらず、先頭の鳥谷敬に左前安打を浴びると、送りバントの構えを見せる矢野輝弘への初球が顔付近を襲う暴投となり、結局ストレートの四球と大乱調。何とか二死まで漕ぎつけたが、なおも一・三塁から赤星憲広に遊撃内野安打を許し、同点に追いつかれてしまう。
さらに、藤本敦士が四球で二死満塁。次打者・新井貴浩にもカウント3ボール・0ストライクと苦しくなったが、2球ストライクでフルカウントまで持ち直したあと、外角一杯にズバッと155キロの速球を決めた。
見逃し三振に打ち取ったと信じて疑わないクルーンは「やったぜ!」とばかりにガッツポーズでベンチに戻ろうとした。だが、友寄正人球審の右手は上がらず、まさかの押し出しサヨナラ劇となった。
「何でだ!あれはストライクだ。自信がある」と納得がいかないクルーンは、激しい剣幕で友寄球審に詰め寄った。そして、エキサイトするあまり、「ブル・シット!(牛の糞/転じて「ふざけんな」の意味)」の暴言を口にしたことから、退場を命じられた。
「確かに際どいボールだったが、僕には外れたとしか見えなかった、暴言を吐いた時点で、試合終了だったが、退場を宣告しました」(友寄球審)。
来日4年目で初退場となったクルーンは「いいときもあれば、悪いときもある。今日は悪いということ」と興奮を抑えきれない様子で、上半身裸のまま帰りのバスに向かった。
試合終了後に審判に暴行!?
試合終了後の暴行で退場になったのが、西武・東尾修監督だ。1997年7月10日の近鉄戦。2点を追う西武は9回、高木浩之の死球を足場に無死一・二塁と最後の粘りを見せる。
だが、赤堀元之が松井稼頭央に2球目を投じた直後、二塁走者・奈良原浩(高木の代走)のリードが大きいと見た捕手・的山哲也がすぐさま二塁に送球。奈良原は慌てて帰塁し、際どいタイミングとなったが、丹波幸一二塁塁審はアウトをコールした。
奈良原は「空タッチだ!」と抗議したが、勢い余って丹波塁審の胸を突いてしまい、退場を宣告された。ベンチを飛び出した東尾監督も、「抗議は一切受け付けません」と突っぱねられ、「何だ、この野郎!」と怒りながらも、その場は引き下がった。
アウト判定が痛手となった西武は、二死から4番・鈴木健が三振に倒れ、3-5でゲームセット。
すると、再び東尾監督がグラウンドに現れ、引き揚げてくる丹波塁審に「抗議を受け付けんとは、お前、なめているのか」と言って、胸を突いた。暴力行為で退場が宣告されると、東尾監督は丹波球審の胸倉を掴んで、右足で左ふくらはぎに回し蹴りをお見舞いした。
直後、永見武司球審、伊原春樹コーチらが割って入り、両者を引き離したが、それでも興奮が収まらない東尾監督は、最後は数人がかりで審判控室への通路付近に押し倒されてしまう。丹波塁審も左下腿部挫傷で3日程度の治療が必要と診断された。
その後、冷静を取り戻した東尾監督は「試合が決まりそうなところだから……。きちんと見てもらわないと」と説明。永見球審は「試合後に(丹波塁審に)ちょっと言おうとしたのに、(言葉の行き違いから)興奮してあんなことになってしまったのかな」とその心中を推測した。
この事件で、東尾監督は3日間の出場停止と制裁金10万円の処分を受け、須藤豊ヘッドコーチが代理監督を務めている。
「あのジャッジはひど過ぎる」
最後にハーフスイングの判定に抗議して、試合後に退場になったのが、日本ハム時代の大島康徳だ。
1991年8月6日のダイエー戦。4-4の8回裏に4点を勝ち越された日本ハムは9回二死、大島がカウント1ボール・2ストライクから村田勝喜の4球目、内角球に対してハーフスイング気味にバットを止めた。直後、一塁塁審の林忠一がハーフスイングを取り、三振で試合終了となった。
だが、納得できない大島は「体の近くに来たボールを避けたんで、あれはスイングじゃない」と岡田豊球審に猛抗議。「オレだって命をかけてやっているんだ。もっと勉強しろ」と不満をぶちまけた。
すぐ横では勝ったダイエーの選手がヒーローインタビューを受けている真っ最中。本当は空気を読んで早く退散したかった大島だが、6人の審判に取り囲まれ、言い分を頭から否定されては、引き下がるわけにいかない。
自ずと口論はエスカレートし、はずみで説得に入った右翼線審の良川昌美を小突いたことから、退場が宣告された。試合後の退場は、日本ハムでは1983年6月28日の大沢啓二監督以来の珍事だった。
「判定が変わらないのはわかっていたが、あのジャッジはひど過ぎる」と退場後も怒りが収まらなかった大島だが、翌日、制裁金7万円が科せられた。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)