「PayPayドームでまた投げたい」
6日に開幕した『第105回全国高等学校野球選手権記念大会』。今年も聖地・甲子園での熱い戦いがはじまった。
プロも注目する逸材が多くいるということは、当然ながら現在プロで活躍している選手たちも、かつては高校球児として奮闘していた日々があるということ。
今回はチームの快進撃を支えている注目の3人にフォーカスを当てて、高校時代の戦いぶりを振り返ってみたい。
高校最後の夏はコロナ禍で甲子園大会が中止になるという不運を味わいながら、代替大会で150キロ台の速球を連発してプロに大きくアピールしたのが、福岡大大濠時代の山下舜平大(オリックス)だ。
2年春にエースナンバーを着け、九州大会に出場した山下は、準々決勝の大分戦で3点リードの7回途中からリリーフしたが、8回・9回に2点ずつを失い、逆転サヨナラ負け。この悔しさをバネに投球の幅を広げ、秋には球速も140キロをマークした。
だが、夏は県大会準々決勝、秋も同4回戦で敗退。甲子園出場のチャンスは最後の夏だけとなった。
ところが翌2020年は、新型コロナウイルスの世界的な大流行によって、その夢は無残にも打ち砕かれる。同年5月20日、センバツに続き、夏の甲子園大会の中止も決定した。
全体練習もできなくなり、仲間たちと練習できないことにつらさを感じた山下は「このまま何もなく高校野球が終わるのか」と虚しい気持ちになったという。
だが、一度は“代替の独自大会を行わない”と決定した福岡県高野連が一転開催を発表。全県規模ではなく、4地区に分けて行われることになった。
その福岡地区大会に出場した福岡大大濠は6試合を順当に勝ち抜き、8月3日の決勝戦で福岡と対戦。高校最後の試合で、山下は9回まで4安打無失点の力投を見せたが、打線の援護がないまま、0-0の延長11回からタイブレークへ。11回に1点、12回に2点を勝ち越したものの、最後は連打と犠飛で3-4と逆転サヨナラ負け。
それでもネット裏で10球団のスカウトが見守るなか、山下は9回に150キロ、11回に151キロを計時してみせ、「ここ(PayPayドーム)でまた投げたい」とプロでの飛躍を誓った。
オリックス入団3年目の今季は、プロ初登板で開幕投手を務めるなど大きく飛躍。
7月17日にはPayPayドームでの“凱旋登板”を果たし、見事に8勝目を飾っている。
「あのとき負けたからこそ、もっと頑張ろうと思った」
春は3年連続北信越大会出場も、夏は勝ち運に恵まれなかったのが松本第一時代の牧秀悟(DeNA)だ。
1年生でいきなり「3番・一塁」に抜擢された牧は、2014年春の長野県大会で毎試合のように安打を記録し、準優勝に貢献。北信越大会でも8強入りした。
第2シードで迎えた夏の県大会。牧は3試合で11打数3安打4打点とまずまずの成績を残したが、準々決勝の長野商戦ではレギュラー9人中7人までが1・2年生という若さを露呈し、2-3でサヨナラ負けを喫した。
翌15年も、チームは牧を腰痛で欠きながら春の県大会、北信越大会ともに4強入り。4番・牧が復帰した夏は、初の甲子園出場も期待されたが、須坂高に延長10回の末、1-2とまさかの初戦敗退に泣いた。
こうして迎えた最後の夏。春の県大会Vの松本第一は3人の好投手に加え、140キロの速球を投げるショート・牧も抑えを務めるなど、投打に充実。佐久長聖とともに優勝候補に挙げられていた。
桜井正孝監督は「第1シードだが、受け身になったら負ける」と“常に攻める気持ち”を強調したが、初戦の小諸商戦でその心配が的中する。
初回、3番・牧が連打でチャンスを広げた直後、4番のタイムリーで1点を先制したが、その後は高橋聖人(明大→ホンダ熊本)の外角攻めに苦しみ、2回以降追加点が取れない。
焦りから余裕をなくした松本第一は、5回の守備で受け身に回ってしまう。押し出し死球で同点を許したあと、痛恨の2点タイムリーを浴び、そのまま1-3で敗れた。
大きな挫折感を味わい、心が折れかけた牧だったが、「あのとき負けたからこそ、もっと頑張ろうと思った」と雪辱を胸に中大の4年間でさらに飛躍。5年後のプロ入りにつなげている。
優勝候補筆頭だったが、甲子園に縁がなく……
甲子園まであと1歩で涙をのんだのが、岡山理大付時代の頓宮裕真(オリックス)だ。
秋・春と連続で県大会4強入りをはたした同校は、豊富な投手陣と二塁までの送球タイム最速1秒8の“中国地方No.1捕手”・頓宮を擁し、優勝候補筆頭に挙げられていた。
4番打者でもある頓宮は、初戦の総社南戦で2安打1打点、準々決勝の岡山城東戦で2安打2打点を記録し、バットでも勝利に貢献。準決勝の倉敷商戦は2点を追う9回に一挙5得点の逆転劇で、7年ぶりの夏の甲子園まであと1勝となった。
決勝の相手は、小郷裕哉(現・楽天)が4番を打つ関西。前日の逆転勝ちの余勢を駆って主導権を握りたい岡山理大付だったが、1-1の2回二死満塁のチャンスで頓宮が三振。「(結果的に)あの三振が大きかった」(頓宮)。
その裏、満塁のピンチに暴投で2点を勝ち越され、4回にも小郷のタイムリーで突き放されるなど、逆に相手を勢いづかせてしまう。
5点をリードされた8回、これまで無安打だった頓宮が左翼線安打を放ったが、これも得点に結びつかない。9回一死満塁のチャンスも生かせず、16残塁の4-9で敗れた。
だが、「やりきった」結果を素直に受け入れた頓宮は、すぐに気持ちを次なる目標のプロへと切り替えた。そして、亜大時代に通算14本塁打を記録し、5年後にプロ入りの夢を叶えている。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)