コラム 2023.08.12. 07:08

夏の甲子園でなぜか勝てない…“勝利の女神”から見放され続けた不運なチーム

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連日熱戦が繰り広げられている「夏の甲子園」 (C) Kyodo News

「6年連続初戦敗退」という悲運


 8月6日に開幕した『第105回全国高等学校野球選手権記念大会』。今年も聖地・甲子園で連日熱戦が繰り広げられている。

 くじ運やめぐり合わせといった要素も少なからず勝敗に影響するのが夏の甲子園大会。過去には何度も出場しながら、“勝利の女神”からそっぽを向かれつづけた不運なチームもある。

 まずは6年連続で夏の甲子園に出場しながら、いずれも強豪チームに当たるというくじ運の悪さから6年連続初戦敗退に泣いた松商学園のエピソードを紹介したい。


 6年ぶりの出場をはたした1975年は、初戦で原辰徳(現・巨人監督)ら超高校級打者をズラリと並べたセンバツ準Vの東海大相模と対戦。善戦及ばず3-5で敗れたのがすべてのはじまりだった。

 76年も初戦で同年の準優勝校のPL学園と当たり、これまた0-1と惜敗。77年には開会式直後の第1試合で翌春のセンバツ準Vチーム・福井商に0-7と完敗し、78年も2年連続で開会式直後の第1試合で強豪・天理に0-6で敗れた。開幕試合独特の緊張に加え、前年まで3年連続初戦で敗れていたという「今年こそ負けられない」のプレッシャーも拍車をかけたようだ。


 さらに79年も初戦で同年の準V校・池田に2-9と大敗し、連敗は「5」に伸びた。度重なる抽選くじのいたずらに、池田政雄監督も「どうしてこうくじ運が悪いんだろう。もう予選は私がやって、甲子園は別の人に采配してもらおうかな」と自暴自棄になりかけるほどだった。

 だが、80年はプロ注目の本格派・川村一明(元西武→ヤクルト)が絶対エースに成長。「川村が安定しているので、辛抱強く守りきれれば」と連敗脱出に大きな手応えを感じていた。

 ところが、それなのに、ああそれなのに……。初戦の相手はよりによって、中西清起(元阪神)が投打の中心でセンバツ優勝校の高知商だった。

 それでも、春夏連覇を狙う強豪を相手に、川村は期待どおり6回まで2安打7奪三振と三塁を踏ませぬ好投を見せたが、7回に捕邪飛の捕球失敗をきっかけに冷静さを失い、単調になったところを連打されて2点を失ってしまう。0-2の敗戦に、池田監督は「ウーン、ウチにツキがなかったなあ」とまたしても天を仰ぐ結果になった。

 その後、松商学園は86年にも初戦で鹿児島商に敗れ、通算7連敗を記録したが、上田佳範(元日本ハム→中日)を擁してセンバツ準優勝した91年、春夏連続出場の甲子園で岡山東商を6-2で下し、ようやく連敗をストップした。


センバツは優勝したのに…?


 センバツでは優勝するなど好成績を残しているのに、夏の甲子園では平成以降、出るたびに負けつづけたのが愛工大名電だ。

 2年生だったイチローが3番を打ち、平成最初の出場をはたした90年に同年の優勝校・天理に1-6で敗れたのが、そもそもの始まりだった。

 8年ぶりの出場となった98年は日南学園に2-7と完敗し、03年は鳥栖商に1-2と惜敗。センバツ初Vを実現した05年も延長13回の末、清峰に2-4と競り負け、堂上直倫(現・中日)が主将を務めた06年も福知山成美に4-6で敗れた。


 さらに07年は創価に1-3。プロ注目の左腕・浜田達郎(元中日)を擁してセンバツ8強入りした12年も浦添商に4-6で敗れ、またしても勝利の女神は微笑まず……。

 そして、東克樹(現・DeNA)がエースだった13年も、6回まで2点をリードしながら、聖光学院に3-4と逆転負け。ついに8大会連続の初戦敗退となった。

 しかし、平成最後の開催となった18年、10年連続初戦敗退後の“下剋上”で三重大会を制した初出場・白山との隣県対決で10-0と大勝。30年ぶりの夏勝利を挙げた。

 98年の夏采配から20年かけて悲願の1勝を手にした倉野光生監督の「勝つのは大変です」の言葉に共感を覚えたファンも多かったはずだ。


秋田県勢は13大会連続初戦敗退


 最後はチームではないが、秋田県勢も97年に石川雅規(現・ヤクルト)の秋田商が和田毅(現・ソフトバンク)の浜田に逆転サヨナラ勝ちしたのを最後に、10年まで夏の甲子園で山形、青森と並ぶワーストタイの13大会連続初戦敗退を記録している。

 13連敗となった10年は、能代商(現・能代松陽)が鹿児島実に0-15と大敗。臥薪嘗胆を合言葉に雪辱を期したナインは、0-15の屈辱的なスコアを横幅1mの長さに伸ばして室内練習場に貼り、「打倒・鹿実」を誓い合った。

 そして翌11年、2年連続出場をはたすと、初戦の相手はくしくも同じ鹿児島県勢の神村学園に決まり、ナインは「絶対に勝つ!」と燃えに燃えた。

 負ければ歴代単独トップの14大会連続初戦敗退というプレッシャーのなか、試合は2回に死球、エラー絡みで2点を先行され、5回を終わって1-3の劣勢。6回の攻撃に入る前、工藤明監督は「この1年間にやってきたことを出さないまま終わるのか!」と怒鳴り声を上げた。

 この檄がナインを奮い立たせ、一死から3連打と野選で同点。なおも一死二・三塁で、平川賢也の右前勝ち越しタイムリーと犠飛で5-3。このリードを前年わずか29球で降板したエース・保坂祐樹が守り切り、ついに秋田県勢の連敗をストップ。2回戦でも英明を破り、価値ある2勝を挙げた。

 その後も15年に秋田商が8強入り、18年にも金足農が準優勝するなど、秋田県勢が甲子園で旋風を起こしているのは、ご存じのとおりだ。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
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