プロ14年目でついに2000安打へ到達
ひとりの少年が名古屋市内で自宅の塀に向かって軟式ボールを投げてきた。
「頑張ってね」と声を掛ける。「はい」。元気のいい声が返ってきた。
少年こそ、中学生になった中日・大島洋平の長男。子連れ入団し、父は8月26日の本拠地・DeNA戦でついに2000安打へ到達した。
「本当、みなさんに感謝です。野球だけに専念させてくれている妻には迷惑をかけています。体のメンテナンスをしてくださるトレーナーの方、指導してくだるコーチ、ほかにもボクに関わっていただく全員に『ありがとうございます』と思っています」
淡々と見られがちな大島が笑い、感謝の言葉を並べた。
第2打席の3回一死一塁で、DeNA・先発石田健大の初球139キロ真っすぐを中前へ弾き返す。
通算2000安打達成に表情を緩めた。
名古屋市育ちの“生え抜き”が辿り着いた偉業
念願の地元球団へ入団し、大台を突破したから感慨深い。
名古屋市緑区。父方の実家は、同区内で蘭を育てる。敷地面積は数千坪。
「ばか広いでしょ?」
地図で確認すると、どこからどこまでが大島家の土地が判断しずらい。指でなぞるのを見ていると、たまげる。
地下鉄の延伸で地価も向上。住宅街の中に、近所から「中日・大島の本家」と呼ばれる家はある。
名古屋市育ちの野球好き。イメージ通りの幼少期を過ごした。
名鉄で当時の本拠地・ナゴヤ球場へ行く。学校が終わり、ランドセルを投げ捨てて、親の手を引っ張る。
次の日が学校だと、試合終了を待たずに帰宅する。
当時、携帯がないから、両親にねだってポータブルラジオを買ってもらう。車内でイヤホン越しに試合経過を追っ掛けた。
「好きな選手が立浪さんだったんです。監督が現役引退されてからボクは入団し、今は監督と選手です。そう思うと、感慨深いです」
「まだまだ頑張っていきたいです」
指揮官が始めた現役選手の病院慰問は、受け継がれる。今、バトンを握っているのは大島。
「野球選手をやっているからできることもあります。喜んでくれるんです。病気を治そうと必死の子どもたちを見て、こちら側が力をもらっています」。継承する側としての役割を担う。
2000安打を突破してから4日後の8月30日ヤクルト戦(バンテリン)でタイムリーを放ち、お立ち台に立った。
大台到達後、初めてのヒーローインタビューだった。
「2000本打ってからちょうどいい機会がなかったので、きょうたまたま打点も挙げたし、来ている皆さんに顔を見せたいなと思っていました。いつもたくさんの声援をいただいて、14年目ですけど、後押しされた部分もありました。チームはこういう位置にいますけど変わらずに応援してくれる人がいるので、まだまだ頑張っていきたいです」
最下位は苦しい。見ている側もやる側も奥歯をかんで、耐えている。
大島の個人記録が、チーム順位をつかの間ではあるものの、忘れさせてくれる瞬間になっている。
文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)