野球を離れた男が「現役復帰」に至った経緯
今季の新規選手契約期限を前にした先々月25日、ヤクルトが元オリックスの木須フェリペと育成契約を結んだことを発表した。
ブラジル人の両親から静岡で生を受けたフェリペは、御殿場西高から2017年のドラフトでオリックスに育成4位指名を受け入団するも、支配下登録されることなく4年目のシーズン後にリリースされる。
今季は1年のブランクを経てルートインBCリーグの福島レッドホープスでプレー。本職である捕手のほか、一塁手も含めて38試合に出場。打率.246で3本塁打を記録していた。
2週間前、7月中旬。フェリペは長野県の球場にいた。
梅雨明けの直射日光は容赦なくスタンドとフィールドを照らし、気温はすっかり真夏のそれになっていた。一塁手としてスタメンに名を連ねた彼は、試合後、味方の勝利に疲れながらも満足げな表情を浮かべていた。
「親にやって欲しいって言われたんです」
独立リーグでプレーしている理由を尋ねると、彼はこう答えた。
昨年、彼は野球をプレーしていない。2021年限りでオリックスから戦力外を言い渡された際、裏方としての仕事をあっせんされたが、選手以外の立場で留まることを潔しとせず、チームを去ることにした。
知人のつてもあり、いくつかの就職先を紹介してもらったが、せっかくならスポーツに関わろうと、栃木のスポーツクラブに職を得た。しかし、それが野球チームではなくサッカークラブであったのは、彼自身、野球への思いを断ち切りたかったからかもしれない。
当時まだ22歳。大卒の同級生ならドラフトを待っている年齢だ。同時期にオリックスを退団した佐藤優悟を介してBCリーグ・福島でコーチを務める同じオリックスOBの福留宏紀からの誘いを受けたが、なかなかもう一度野球をしようという気にはなれなかった。
同時期に育成選手として切磋琢磨した佐藤の姿を見てみようと、栃木にやってきたレッドホープスの試合を観に行ったことが「現役復帰」の直接のきっかけだった。
「自分がブラジル人なんて意識はほとんど持たずに育ちました」
NPBからクビを言い渡されても尚、独立リーグでプレーを続けている年上の元同僚の姿を見てフェリペは決心した。故郷の静岡にいる両親も背中を押してくれた。
その両親をはじめとするファミリーに対する思いは人一倍強い。ブラジル生まれの父母は、若くして日本に渡り、今では親戚一同静岡に生活の基盤を築いている。
「母親がブラジルと日本のハーフで、父はブラジル人ですね」
いわゆる日系人の血を引く彼は、実家に帰れば、父母の母語であるポルトガル語と日本語を交えて会話をするが、「祖国」ブラジルに対する思い入れはほとんどない。オリックスに入団した年には国籍も日本に変えている。
「外国人枠があるんでしょ?(実際には日本で学校教育を受けた彼は「日本人」扱いでプレーできる)よくわかんないっす。静岡で生まれて、周りにブラジル人が多いってわけでもなかったですし。ブラジルには行ったこともないし、行きたいとも思いません。親も日本に来てからは一度も帰ってませんし。もうおばあちゃんや親戚も近所に住んでて、いとこも日本生まれですし」
こう語る彼は国際大会のブラジル代表として誘いも受けたが、それにも応じなかった。
「オリックスの1年目に誘われたんですけど、断りました。育成で入って最初のキャンプを休んでそっちにいくのはどうかなと思ったんで」
オープン戦に帯同が許された際には、コーチを通じてブラジル人野球選手のレジェンドと言っていい松本ユウイチコーチを紹介されたが、いまひとつピンとこなかった。日本球界にはプロアマ問わず日系ブラジル人選手が多数在籍し、彼らが代表チームの核を形成しているが、フェリペはそれすらも知らなかった。
ブラジルでは、野球というスポーツは「ニッケイ」のアイデンティティの象徴のひとつであるのだが、そんなことも彼には何の関係もない。
来日前はブラジルサッカーの名門・コリンチャンスの下部組織でプレーしていたという「サッカー押し」の父親譲りの運動神経を野球に生かすことになったのは、小学校4年の時に仲の良い友人に誘われたというごく単純な理由からだった。
幼少時、「ブラジル」は彼にとってやっかいなものでしかなかった。少年にとって周囲と違うということは、日本社会において決してプラスには働かない。
「自分がブラジル人なんて意識はほとんど持たずに育ちました。でも、知らず知らずの間に意識させられますよね。だって、名前が『フェリペ』なんだから。日本の苗字は『木須』ですけど、そのルーツなんかも全然興味ないです。今は全然気にしてませんけど、(ブラジル人であることは)どちらかと言えば嫌でしたね。とくに嫌な思いなんかはしなかったですけど、なんか嫌でした。うーん。高校くらいからなくなりましたけど。それまではちょっと気にしてましたね」
そんな息子の気持ちを察してか、両親もブラジルの話はあまりしなかったようだ。
コリンチャンスのユースチームにいたというから、おそらく彼の父親は日系人の多いサンパウロ州の出身なのだろうが、息子には「田舎育ちだ」としか言うことはなかった。
日系の血を引くフェリペの母親と結ばれると、10代後半でサッカー選手の夢をあきらめ、日本での出稼ぎを決意した。それが貧富差の激しいブラジルで、豊かさを求める方法であったからだ。
日本語もままならないまま来日。静岡の製紙工場に職を得て、言われたことメモしながら仕事してようやく手に入れた家庭。年ごろになった息子が、サッカーではなく野球をしたいと言うと、何も言わずそれを許した。
かつてプロサッカー選手を目指した自分譲りの才能はたちまち花開き、プロ野球選手への道が開けたはずだったが、志半ばにして契約を解かれた。そんな息子がもう一度プレーするのを後押ししたのは、かつて自分があきらめた夢を託したからかもしれない。
「年一しか帰省しない」というフェリペの姿を、今も静岡の製紙工場で働くという父親は見守っていることだろう。
ブランクを乗り越えて掴んだNPB復帰
今年でまだ24歳とは言え、1年のブランクは小さくはなかった。
「まだ(体の)キレが怪しいですね」と自虐的に笑う。この日の信濃グランセローズとの試合では、オリックス時代にバッテリーを組んだ荒西祐大と対戦したが、ノーヒットで三振も喫してしまった。
「空回りしました。新潟(アルビレックス)にいる吉田一将さんとも対戦しました。やっぱり一緒にやってた人との対戦は気合入ります」
古巣については、「あんま気にしない」と言いながら試合結果はチェックしているという。入団したときには暗黒時代真っただ中だったチームは、今や最強チームに成長している。
その結果、自分たちが弾かれてしまったことも承知している。それでも、古巣をチェックしているのは、再びその舞台に戻るという気持ちがさせていることだろう。
「独立リーグに入った時点ではそこまで考えてませんでしたが、だんだんNPB復帰は目標になってきました。今年は復帰したばかりなんで、このオフに(12球団合同)トライアウトを受けるかどうかはわかんないですけど、来年までプレーするなら絶対受けるつもりです」
そう言うものの、今季でプレーを終えることも頭にある。
「自分でもう(NPBに)行けないと思ったらスパッと辞めます。ダラダラやる場所ではないんで」
その思いが通じたのだろう。今、フェリペは東京ヤクルトスワローズのユニフォームを着てプレーしている。
文=阿佐智(あさ・さとし)