野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~第34回:阿部慎之助と野球ゲーム史
「ひとつお願いがあります。彼を開幕からスタメンで使ってください」
22年前、巨人のヘッドコーチを務めていた原辰徳は、長嶋茂雄監督にひとりの新人捕手の起用を直訴した。そのキャッチャーとは、中央大学からドラフト1位で入団したばかりの当時22歳の阿部慎之助である。
そして、阿部は19年間に渡る現役生活で球界を代表する捕手へと登り詰め、2023年の秋、ついにタツノリから直々に後継者に指名され、巨人監督に就任した。
さて、選手・阿部はどんなキャリアを歩んできたのだろうか? 歴代の野球ゲームとともに振り返ってみよう。
2000年代のプレイステーション2時代突入とともに、プロのキャリアをスタートさせた阿部の1年目。01年8月16日発売のPS2『マジカルスポーツ2001プロ野球』(魔法株式会社)はまだ当時は珍しかったリアル系野球ゲームで、ウリはフェイスキャプチャーでゲーム内に自分の顔写真を取り込めること。説明書では「あなたの愛猫までプロ野球選手に!かわいいペットを豪腕投手にするもよし」なんて謎の遊び方を推奨している。
ゲームは前年の00年成績をもとにしているため、ルーキー阿部の打撃設定は打率.000、0本塁打。構えも絶妙に似ておらず、同僚のベテラン捕手・村田真一や吉永幸一郎より打力は劣り、アピールするのはチーム屈指の守備力と強肩。当時の巨人ミレニアム打線はビッグネーム揃いで、DH制ありスタメン設定にすると阿部は「9番・捕手」である。巨人史上最強の打てるキャッチャーも、新人時代のゲームは9番スタートだったのだ。
実際は1年目から13本塁打を放ったが、02年4月18日発売のPS2『熱チュー!プロ野球2002』(ナムコ)でも、ミート・パワーともにC判定。肩力のみがS判定と、意外にもベンチ裏でタツノリに𠮟られてばかりいた駆け出しの頃の阿部は、野球ゲームにおいて「守備の人」扱いだった。
2年目の02年シーズンは、“サヨナラ慎ちゃん”として飛躍。打率.298、18本塁打、73打点の成績で、原巨人1年目の日本一を勝ち取った。
初のベストナインとゴールデン・グラブ賞にも輝き、「古田さん、谷繁さんを抑えて賞をいただけたことは光栄です」とまだ初々しい慎ちゃんコメント。03年4月24日発売、2000円という低価格設定で攻めるPS2シンプル2000シリーズの『THE プロ野球2003』(ディースリー・パブリッシャー)では、松井秀喜が抜けた巨人打線において6番を任されているが、データ上ではミートの上手い巧打者でそれほど怖さはない。なお、本作の独特な打撃システムは相当な慣れが必要で、遊びにきた友人と対戦するとマジ微妙な空気になるので要注意だ。
「最高で最強の捕手」へ
さて、プロ4年目の04年に打者・阿部は長距離砲として開花する。
4月だけで月間16本塁打を放ち、途中故障もあり失速するも、球団捕手史上初めて年間30本塁打をクリア。その打力に魅せられた堀内監督は、「内野手なら3000安打いける」なんて本気で三塁コンバートを決断しかけたことをのちにスポーツ報知の取材に明かしている。
この年の前半戦までのデータを反映させた04年9月16日発売のPS2『プロ野球スピリッツ2004クライマックス』(コナミ)では、実況アナに「最高で最強の捕手!」と紹介され、パワーではペタジーニや小久保裕紀を上回り、タフィ・ローズと並んでチームトップの「長打力S」設定である。翌05年のオフにソフトバンクの城島健司がメジャー移籍、ヤクルトの古田敦也は選手兼任監督に就任と、名実ともに阿部がNPBを代表する捕手へと駆け上がっていく時期だ。
30歳で迎えた09年は、原監督とともに日本代表の一員としてWBCで世界一を達成。32本塁打を放ち、チームも日本一に。そして、10年にはキャリアハイの44本塁打を記録。捕手では野村克也、田淵幸一に次いで史上3人目のシーズン40発をクリアした。
11年4月14日発売のPS3『プロ野球スピリッツ2011』(コナミ)では、もちろん「パワーS」だが、ラミレスより遅い「走力F」でパワーと引き換えに鈍足ぶりも際立ってくる。なお、PS2時代までの野球ゲームはシーズン後に最終成績を反映させた「決定版」の発売が定番だったが、PS3ソフトになると、年に数回の選手データのオンラインアップデートも定着した。春と秋に2度ソフトを買う必要がなくなったユーザーには嬉しいが、メーカー側の負担も大きかった。
そんな阿部が選手として絶頂期を迎えるのは2012年シーズンだ。
低反発の統一球導入で各選手が数字を落とす中、背番号10は打率.340、27本塁打、104打点、OPS.994で首位打者と打点王を獲得。原巨人は史上初の五冠達成と圧倒的な強さを見せたが、その中心にいたのはこの男だった。文句なしのMVPにも輝き、ときに宅配屋のシンちゃんに扮しながらも、年俸は5億7000万円を突破した。
13年WBCの日本代表でも4番と正捕手を託され、2次ラウンド・1位決定戦のオランダ戦では大会史上初の1イニング2本塁打をマーク。もはや、13年3月20日発売の『プロ野球スピリッツ2013』では「巧打対右A、対左S、長打力S」と無双状態に突入。威圧感、逆境、満塁男、固め打ち、サヨナラ男とあらゆる場面で頼りになり、「調子さえ良ければ打てないボールは無いとまで思わせる天才バットマン」と紹介されるゲーム屈指の強打者に。捕手としても「スローイングC、肩力B」と安定の守備力だ。
だが、ここをピークに阿部は翌14年に打率.248、19本塁打と大きく成績を落とし、満身創痍の36歳は15年に一塁転向を余儀なくされる。そうなると、成績的には他球団の一塁手と比較しても物足りなさは否めず、同時に巨人打線も「打てる捕手・阿部」を失い急激に弱体化してしまう。
その後は捕手復帰を模索するが、体が言うことを聞かず断念。由伸監督時代の17年には通算2000安打を達成も、18年の成績は打率.247、11本塁打、46打点と低迷する。18年4月23日発売のPS4『実況パワフルプロ野球2018』(コナミ)では、19年版のアップデートデータも配信され、40歳の阿部はすでに代打要員である。「ミートD、パワーC、走力G、肩力E、守備力F」で、4番に成長した岡本和真ら主軸のバックアッパー兼代打の切り札。そして、この年限りで阿部は19年間の現役生活を終える。
19年9月28日ヤクルト戦、同点で迎えた9回に代打で登場するも、現役最後のレギュラーシーズン最終打席で申告敬遠されたことも話題に。前日には本拠地・東京ドームで行われたDeNA戦の「ありがとう慎之助」ゲームで通算406号を放っており、背番号10は最後まで相手に恐れられる存在だった。
思えば、80年代から90年代にかけてファミコンやスーファミの野球ゲームで主役を張った原辰徳から、21世紀にプレステからニンテンドースイッチ時代までを現役で駆け抜けた阿部慎之助への監督継承である。
65歳タツノリから44歳シンノスケへの世代交代──。日々進化する次世代ゲーム機開発のように、阿部新監督は令和の次世代ジャイアンツを作れるのだろうか。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)