「監督がロッカーの中で喚いています」
ベンチの中でどっしりと構え、沈着冷静に采配を振るうイメージが強い監督だが、時には思わぬところで、まさかのアクシデントに見舞われることもある。
試合前に監督がロッカーの密室の中に閉じ込められるという、ビックリ仰天の珍事が起きたのが、1971年7月7日の東映VS南海だ。
後楽園球場で行われたホームゲーム。東映・田宮謙次郎監督が試合開始30分前になっても姿を現さないので、選手たちは「どうしたんだろう?」と顔を見合わせ、不思議がっていた。
ところが、ややあって、球場係員が大慌てでやって来て、「監督さんがロッカーの中で喚いています」と告げるではないか。それを聞いて、青ざめたのが、愛宕マネージャーだった。「そりゃ、まずい。カギを閉めたのは僕だ。雪隠詰めはいかんなあ」とロッカールームに急行。中に田宮監督が入っていることに気づかず、うっかり外からカギをかけてしまったのだ。
孤立無援の監禁状態から救出され、ギリギリ試合に間に合った指揮官は「一時はどうなるかと思ったよ」と胸をなでおろしたが、この日は運気のめぐり合わせが悪かったのか、試合中にもアクシデントが起きる。
3-3の同点で迎えた7回裏二死二塁、張本勲が佐藤道郎から右手に死球を受けたことに激高。「1度なら我慢するが、(5月13日に続いて)2度もぶつけおって、エヘラ笑っていやがる」とマウンドに詰め寄り、佐藤の胸ぐらを掴んで殴りかかろうとしたため、球審、南海・野村克也監督とともに慌てて制止に入る羽目に。
試合前、試合中と2度にわたる騒動があったものの、8回に2点を勝ち越し、5-3で勝利したのがせめてもの救いだった。
「明日は落合を外せ!」
敗戦に怒ったファンにビールをかけられるという災難に見舞われたのが、中日・高木守道監督だ。
1992年8月29日のヤクルト戦、直近7試合で1勝6敗と元気のない中日は、4番・落合博満が4打数無安打2三振と精彩を欠き、2-5で敗れた。持病の腰痛の状態が思わしくない落合は、3試合で12打数連続無安打と当たりが止まり、この日も6回二死一・二塁、8回二死一・二塁のいずれも3ランが出れば同点という場面で凡退していた。当然、スタンドの中日ファンは収まらず、怒りの矛先は指揮官に向けられた。
試合後、高木監督が神宮球場左翼ポール際の出口に向かう途中、中年の男性ファンが「バカヤロー!」と叫んで、防御ネット越しに紙コップを投げつけた。中に入っていたビールがしぶきを上げてユニホームの左袖に降りかかる。
“瞬間湯沸かし器”の異名をとる高木監督も、グラウンドに落ちた紙コップを拾い上げると、「バカヤロー!」と叫んでスタンドに投げ返したが、中身が空っぽになったコップは、ネットに跳ね返り、再びグラウンドに落ちた。直後、件の男性ファンは勝ち誇ったように「明日は落合を外せ!」と言い放った。
実は、高木監督は当初ファンの怒声を避けようと、グラウンド側寄りに移動していたが、「やっぱり、よそう」と思い直し、ネット際を歩きはじめた直後のご難。“フェアプレー精神”も酔漢が相手では通じず、まさに「監督はつらいよ」を絵にかいたような結果になった。
「何をするんだ。こっちに来い!」
試合前のファンサービスの最中に暴漢に襲われたのが、ダイエー時代の王貞治監督だ。
1999年5月5日、地元・福岡ドームで行われたオリックス戦の試合前、球場入りした王監督は関係者出入口の前で車を降りると、待ち受けていた少年ファンら約20人にサインをせがまれ、ペンを走らせていた。
そんなさ中、20歳くらいの赤いシャツを着た男が王監督の背後から近づくと、いきなり平手で後頭部をパシッとはたいた。
「何をするんだ。こっちに来い!」
驚いた王監督は大声で呼び止めたが、男は素早く逃走し、姿を消した。当時、ダイエーは日本ハムと熾烈な首位争いを繰り広げていたが、前々日、5月3日のオリックス戦では8回まで4点をリードしながら、9回に一挙9点を失い、6-11とまさかの大逆転負け。試合後、エキサイトしたファンが王監督の乗った車を追いかける騒ぎが起きたばかりだった。そんなファンの暴走ムードがさらなる事件を誘発したようだ。
だが、王監督は「こういうことを僕が言うと、逆に喜んで騒ぐ人たちだからね。そんなふうに(やめてほしい)言うと、また(騒動が)増えるから」と大人の対応を見せ、球団側も警察への被害届を見送った。
福岡ドームの関係者出入口は、チーム関係者と報道陣以外は立ち入ることができないが、「少しでもふれ合いの場を増やそう」というファンサービスの一環として12球団の中で唯一開放されていた。球団広報も「一人の心ないファンのためにせっかくのふれ合いの場を失わせたくないが、こういうことが続けば、危険を考えてサインができないこともある。マナーを守ってほしい」と呼びかけ、球場警備員も通常の4人から6人に増やした。
残念な事件はあったものの、地元ファンの大声援に支えられたダイエーは同年、10年目(前身の南海を含めると26年ぶり)で悲願の初Vと日本一を達成し、黄金時代の幕を開けている。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)