33歳の新助っ人獲得の報を受けて思い出したあの選手
ロッテは24日、新外国人ジェームス・ダイクストラ投手の獲得を発表。同選手のプロフィールを見て驚いたファンも少なくなかったのではないだろうか。
ダイクストラはアメリカ出身の33歳で、メジャーは未経験だという。ルイジアナ州立大から2013年ドラフト6巡目でホワイトソックスから指名されたが、一度もメジャーに昇格することはなく、マイナーのほか、独立リーグやメキシカンリーグを渡り歩いてきた。
193センチ、100キロという恵まれた体格から、吉井理人監督は「マリーンズにも在籍していたハーマン投手に似ているような印象を受けました」と、NPB通算14勝を挙げた右腕の名前を挙げて、「頑張れ、ダイちゃん!」とエールを送っている。
そんな33歳の新助っ人獲得の報を受けて、ふと思い出したのが28年前にロッテに入団したある選手のことである。
さかのぼること1995年、ロッテは新たに就任したボビー・バレンタイン監督の下、1986年から9年続くBクラスからの脱却を目論んでいた。
その年のパ・リーグはイチロー率いるオリックスが7月以降に驚異的なペースで勝ち星を重ねて独走。最終的に12ゲーム差をつけて、11年ぶりのリーグ優勝を飾った。そんなオリックスの陰で、2位に躍進したのがロッテであった。
来日は40歳? 年齢に諸説があったフリオ・フランコ
「ボビー旋風」とも呼ばれた快進撃を牽引したのは、バレンタイン監督の強い勧誘で来日したフリオ・フランコである。
フランコはレンジャーズ時代の1991年にア・リーグ首位打者に輝き、来日する前年にも.319という高い打率を残していた。当時来日した助っ人の中では屈指の現役メジャーリーガーと呼べる存在だった。
球団から当時発表されたフランコのプロフィールでは、1961年生まれの33歳とされていたが、後に1958年生まれに訂正されている。つまり、来日当初はすでに36歳だったというわけだ。
ただ、今も公式上は1958年生まれのままだが、実際は1954年生まれという説もあり、仮にそれが事実なら40歳で来日していたことになる。
年齢の真偽はさておき、開幕から現役メジャーリーガーの名に恥じない活躍で安打を量産したフランコ。バットのグリップを高く上げて、バットの先端を投手方向に向ける独特な構えはスコーピオン打法と呼ばれ、日本人選手以上に献身的な姿勢なども相まってロッテファンの心をつかむと、本塁打こそ10本にとどまったが、最終的にリーグ3位の.306という高打率を残し、チームの快進撃に大きく貢献した。
しかし、シーズン中からバレンタイン監督と広岡達朗GMの間の軋轢が報じられると、シーズン終了後に同監督は解任され、それに伴ってフランコも僅か1年でチームを去ることとなった。
「ボビー旋風」が過ぎ去ったロッテは、翌年から再び低迷。2度目のバレンタイン政権下初年度の2004年まで再び9年連続Bクラスという屈辱を味わった。
一方のフランコだが、1996年にメジャーに出戻ると、3割を超える打率を残すなど存在感を発揮。1998年には再来日を果たし、近藤昭仁監督率いるロッテで、打率.290、18本塁打と再び中心選手として活躍した。
結局、数々の最年長記録を樹立したフランコは、2008年限りで現役を引退。しかし、2014年に米独立リーグでコーチ兼任ながら現役復帰を果たすと、翌2015年にはBCリーグの石川ミリオンスターズに選手兼任監督として入団し、選手としてなんと3割を超える打率をマークした。
今回新たにロッテに加入したダイクストラとフランコはポジションも違えば、来日前の実績も天と地ほどの差がある。直近の4年間で3回もAクラス入りしたチーム状態も、28年前とは大違いだ。立場や役割は異なるが、同じ助っ人外国人として、ダイクストラにはぜひジャパニーズドリームを掴んでほしいところ。33歳の新天地での活躍に期待したい。
文=八木遊(やぎ・ゆう)