毎年のように「整理リスト」に挙がっていた
2023年度の新人王は、セ・リーグが阪神・村上頌樹、パ・リーグがオリックス・山下舜平大と、いずれも入団3年目の両投手が揃って受賞した。支配下登録されてから5年以内の選手(海外のプロ野球リーグに参加した経験がなく、投手は前年までの登板回数が30イニング以内、野手は前年までの打席数が60打席以内)が対象となる新人王。過去にも入団3年目以降に受賞した男たちがいた。
NPB史上初の入団4年目で新人王に輝いたのが、1971年の巨人・関本四十四だ。1968年に糸魚川商工(現・糸魚川白嶺)からドラフト10位で巨人入りも、多摩川で堀内恒夫や高橋一三の速球を目の当たりにして、「とんでもない世界に来てしまった」と大きなショックを受けた。
3年間1軍登板がなく、毎年のように整理リストに名前が挙がったが、実戦向きのシュートが投げられたことが幸いし、何とか生き残ることができた。
そして、3年目の夏、不祥事で2カ月間の謹慎処分を受け、2軍に降格してきた藤田元司投手コーチとの出会いが、運命を大きく変える。藤田コーチからスパルタの特訓を受け、プロの投手としての心構えを徹底的に植え付けられた関本は4年目の71年、初めてベロビーチキャンプへの帯同が許され、存在をアピール。4月11日の開幕2戦目、広島戦で2点をリードされた7回にリリーフで1軍初登板をはたすと、直後味方が逆転し、うれしいプロ初勝利を挙げた。
これが大きな自信となり、同年は10勝11敗、防御率2.14の好成績でチームのV7に貢献。阪急との日本シリーズでも、第3戦で先発完投し、9回裏、王貞治の球史に残る逆転サヨナラ3ランで勝利投手になった。
この活躍ぶりが認められ、若松勉(ヤクルト)に10票差の78票で新人王に。「あきらめていたので、初めは冗談かと思った。何だかプロ1年組に悪いような気がする」と4年目の受賞を照れながら喜んだ。
だが、堀内や同期入団で1年目に新人王を獲得した高田繁から「入団4年目の新人王なんて、“王”じゃなくて、“新人賞”だ」と言われ、「いつか見返してやる!」と発奮。74年に最優秀防御率(2.28)のタイトルを手にした。
野手では史上初の“快挙”
野手では史上初の入団4年目の新人王を獲得したのが、1998年の西武・小関竜也だ。
国学院栃木時代はエースで4番。ドラフト2位で西武入団後、外野手に転向したが、3年間で1軍出場わずか2試合と伸び悩んだ。
だが、4年目の1998年、オープン戦で1試合に3本の内野安打を記録するなど、俊足巧打をアピールしたことが東尾修監督に認められ、9番ライトで開幕スタメンに抜擢された。
初めは14打数1安打と結果を出せなかったが、4月19日のダイエー戦で、6回に代打でタイムリー二塁打を放ち、プロ初打点。5月3日のロッテ戦でも、先制タイムリーを含むマルチ安打を記録し、プロ初のお立ち台に上がった。
その後も主に2番打者としてバイプレイヤーの役割をはたし、規定打席不足ながら打率.283、3本塁打、24打点、15盗塁でチームのリーグ2連覇に貢献。63票を獲得し、真木将樹(近鉄)、藤田宗一(ロッテ)を抑えて、パ・リーグでは初の4年目の新人王を獲得した。
「開幕するときは考えもしなかったのに、夢のようです。来季は規定打席が目標です」とさらなる飛躍を誓った小関は、2002年に打率.314、4本塁打、50打点、15盗塁とリーグトップの43犠打を記録し、ベストナインとゴールデングラブ賞をダブル受賞した。
“鉄腕サウスポー”の誕生
史上初の育成選手出身で新人王に輝いたのが、2008年の巨人・山口鉄也だ。横浜商卒業後、ダイヤモンドバックス傘下のルーキーリーグで4年間プレーしたが、1Aにも昇格できなかった。
「それなら最後に、野球を始めたときから夢だった日本のプロ野球に挑戦しよう」と2005年秋に横浜、楽天の入団テストを受けたが、いずれも不合格になった、そこで、「どうせなら最後は強いところを受けよう。これでダメなら草野球だ」と記念のつもりで挑戦した巨人の入団テストで、独特のチェンジアップが「右打者のアウトサイドにきちんと沈められる」と小谷正勝コーチに評価され、思いがけず合格。同年のドラフトから導入された育成枠の1巡目指名で入団した。
2軍での好投が認められ、2年目の2007年4月23日に支配下登録。同年は4月29日のヤクルト戦で1軍デビューをはたし、32試合に登板した。
そして、翌08年は左のセットアッパーとして67試合に登板。11勝2敗2セーブ23ホールド、防御率2.32の好成績でチームの2年連続リーグVに貢献し、91票(2位はチームメイト・坂本勇人の49票)で入団3年目に新人王を獲得した(海外のプロ野球リーグでプレー経験があっても、ドラフトを経由して入団した日本人選手は、特例として新人王資格が与えられることが多い)。
「3年前、育成で入団したときは、こんな日が来るなんて思ってもみなかった。この賞に恥じないよう、また1から頑張る」と誓った“鉄腕サウスポー”は、2016年まで9年連続60試合以上に登板。最優秀中継ぎ投手にも3度(09、12、13年)輝き、通算52勝27敗29セーブ273ホールド、防御率2.34を記録した。
巨人は翌09年にも育成出身の松本哲也が新人王を獲得し、2年連続の快挙となった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)