白球つれづれ2024・第4回
今年度の野球殿堂入りメンバーが18日に発表され、プレーヤー表彰で元横浜(現DeNA)、中日で活躍した谷繁元信氏と、広島やメジャーで日米通算203勝を挙げた黒田博樹氏が選出された。
谷繁氏は27年間に及ぶ現役時代にNPB最多の3021試合に出場。中でも「捕手最多出場2963試合」と「本塁打最多連続シーズン27年」はギネスの世界記録に認定されるなど、まさに「鉄人」の名捕手だった。
1988年高卒ながら大洋にドラフト1位入団。1年目から80試合に出場するなど弱小球団浮上のキーマンとして英才教育を施された。
10年後の98年には38年ぶりの日本一に輝き、その後FAで中日に移籍、4度のリーグ優勝に貢献している。
「プロに入って27年間、耐え抜いた体に感謝したい」と言う言葉に捕手としての苦労がにじみ出る。現役時代の身長176センチ、体重81キロは決して恵まれた体格ではない。肘や腰など故障を抱えて満身創痍でも試合に出続けた。キャッチングに配球。打者との駆け引きを学びながら、名捕手の階段を一歩ずつ登りつめていった。
黒田氏と同様に、谷繁氏の受賞も順当な選出である。だが、この先に捕手の殿堂入り候補はどれほどいるのだろうか? 投手や野手と違って、1球団に何人もの有力捕手がいるわけではない。長く活躍して、野球界発展に大きな足跡を残した者が野球殿堂入りの有資格者とした場合に捕手のハードルは意外に高い。
谷繁氏の前の捕手出身で殿堂入りを果たしたのは20年の田淵幸一氏(元阪神など)。プレーヤー表彰に漏れた引退後21年以上のプロ選手などが対象となるエキスパート部門での受賞だった。田淵氏の場合は捕手と言うより、強打の本塁打王の印象が強い。
純然としたキャッチャーとしての選出は17年の伊東勤氏(元西武など)15年の古田敦也氏(元ヤクルト)までさかのぼる。その前の殿堂入り捕手と言えばV9巨人の司令塔であり、西武黄金期の名将・森祇晶と、三冠王に耀き指揮官としてもヤクルトなどで日本一になった野村克也氏に行き着く。
森、伊東の師弟コンビが打撃よりも守り勝つことで評価されたのに対して、野村、古田のヤクルトコンビは打撃でも卓越していたのが興味深い。
かつて、谷繁氏が古田氏を評して「正直、邪魔な存在だった」と語ったことがある。もちろん冗談交じりの発言だが、同時代に同一リーグで戦った好敵手。古田全盛期には首位打者は獲得するし、素早いスローイングは近代野球の申し子とさえ言われた。谷繁氏が高卒のドラフト1位入団に対して、古田氏は大学卒業時にドラフトの指名から漏れた悔しさをバネに、社会人を経てヤクルトに入団。
生き様の違うライバルがいたからこそ、谷繁氏の凄みも増して行ったはずだ。
野球殿堂の捕手部門も“絶滅危惧”になる?
さて、“ポスト谷繁”の殿堂入り候補は誰になるのだろうか?
最有力は巨人の阿部慎之助新監督だろう。
19年間の現役生活で2132安打、406本塁打など強打の捕手として首位打者や打点王も獲得。名門球団の屋台骨を支えてきた実績は申し分ない。
だが、阿部の次を考えると有力な殿堂入り候補者は思い浮かばない。
昨年のWBCに選出された捕手は中村悠平(ヤクルト)甲斐拓也(ソフトバンク)大城卓三(巨人)の3選手だが、古田や谷繁両氏らと比べるとまだまだ実力不足。他の捕手ではオリックスの森友哉選手が首位打者を獲得するなど強打で可能性を感じるが、守りではまだそこまで評価は高くない。
加えて近年の捕手事情もある。かつては1人のレギュラー捕手がほぼ全試合にマスクを被っていたが、最近は2~3人の併用が主流だ。長丁場の疲労を考慮したり、先発投手との相性や、相手チームのデータ研究を避ける意味で起用法を変えている。
こうした事情を加味すると、1人の捕手の活躍する場面は当然減って来る。つまり、今後は谷繁氏のような殿堂入り捕手の可能性は少なくなっていくと見るべきなのだろう。
時代と共に価値観は変わる。先発投手に200勝の条件を付ける名球会でも、先発完投型がほとんどいなくなった今では、入会すら難しい。このまま行けば野球殿堂の捕手部門も“絶滅危惧”に瀕しかねない。
全ポジションの中で最も過酷と言われる捕手にもっと光を当ててもいい。谷繁氏の殿堂入りはそんな次なる捕手像を考える機会でもある。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)