2人の歴史的強打者が巨人で共闘した1994年
2年連続Bクラスの屈辱を糧に4年ぶりのリーグ優勝を目指す読売ジャイアンツ(以下、巨人)。今季から指揮官を務める阿部慎之助監督が「新風」を巻き起こせるかに注目が集まっている。
そんな新指揮官がまだ高校生だった30年前の1994年。前年まで3年連続でリーグ優勝を逃していた巨人に巻き起こったのが“新旧”2つの風の融合だった。
新しい風は高卒2年目の松井秀喜。いにしえの風は前年オフに中日からFAで移籍してきた落合博満である。
チームを率いたのは第2次政権の2年目を迎えたミスタージャイアンツこと長嶋茂雄(現巨人軍終身名誉監督)。前年はリーグ3位ながら、64勝66敗1分という成績で、14年ぶりのシーズン負け越しを味わっていた。
球団歴代ワーストタイ(当時)の4年連続V逸を避けるべく、球界の盟主は前年オフに大型補強を敢行したが、その目玉が落合の獲得だった。
その年、すでに球界屈指のスラッガーに君臨していた落合とともに奮闘したのは、数年後に球界屈指のスラッガーへと成長を遂げる松井である。92年のドラフトで4球団が競合。抽選の末、長嶋監督が当たりくじを引き当てた怪物高校生は、1年目から11本塁打を記録し、新たなスター候補として勝負の2年目を迎えていた。
開幕時40歳と19歳の2人。21歳の“年の差コンビ”は、開幕からクリーンアップを任され、松井は130試合中129試合で3番、落合は128試合で4番を担った。
松井は高卒2年目ながらチーム最多の20本塁打を記録。一方の落合は15本塁打ながら、チーム最多の68打点と、ここ一番で勝負強さを発揮した。
2人の活躍に加えて、桑田真澄、斎藤雅樹を中心とした投手陣も奮闘。巨人は開幕ダッシュに成功し、6月には2位に10ゲーム差をつけ独走態勢に入っていた。しかし、8月以降に急失速し、最後は中日、広島と三つ巴でシーズン終盤へ突入した。
広島が最終盤に脱落し、迎えたのが“10.8決戦”である。巨人と中日がともに1試合を残して69勝60敗と全く同じ成績で並び、直接対決を制したチームがそのままペナントを手にする球史に残る伝説の日だ。
実はこの試合で落合は途中で負傷退場している。それでも退場する前に、松井とともにアーチを描き、チームの優勝に貢献していた。巨人は勢いそのままに、日本シリーズで西武を破り、5年ぶり18回目の日本一に輝いている。
ちなみに落合が、自身のYouTubeチャンネルで、19歳の松井に教えを請われ風呂場で自身の打撃理論を直伝したというエピソードも明かしている。
外様の40歳と高卒2年目の19歳がその年に残した成績は、最盛期のそれに比べると、物足りなかったのは確かだろう。それでも特に松井にとって、落合と日本一の美酒を味わえたことの意義は大きかったはずだ。
あれから30年。落合はパ・リーグで10年、セ・リーグで10年。計20年を過ごし、通算510本塁打を放って98年オフに引退。一方の松井は巨人で10年、メジャーで10年。こちらも計20年で日米通算507本塁打を放って2012年オフに引退している。
10.8決戦、そして2人の歴史的強打者が共闘した1994年からちょうど30年。4年ぶりのリーグ制覇、そして12年ぶりの日本一へ、阿部巨人が新たなスタートを切ろうとしている。
文=八木遊(やぎ・ゆう)