プロ初勝利を挙げた投手や偉大な記録を打ち立てた選手、監督には、最後のアウトとなり、チームの勝利を決定づけたウイニングボールが手渡されるのが、お約束だ。しかし、ちょっとしたボタンの掛け違いやうっかり勘違いなどから、記念球が“行方不明”になるケースも少なくない。
まずは昨年6月1日の西武VS阪神で起きたハプニングから紹介しよう。4-2とリードした西武は、9回から守護神・増田達至が登板。二死後、近本光司を右飛に打ち取り、勝利を収めた。
スタンドの西武ファンが沸き返るなか、打球をキャッチしたライト・川越誠司は、なぜかボールを阪神ファンが陣取ったスタンドに投げ込んでしまう。
ところが、そのボールは、この日5回を1失点に抑え、先発初勝利を挙げた宮川哲に渡すはずのウイニングボールだったから、さあ、大変! マウンド付近で勝利のハイタッチを交わす西武ナインが唖然としたのは言うまでもない。
川越も早まったことをしたと気づき、途方に暮れたが、5回に勝利を決定づける2ランを放ち、ヒーローインタビューに呼ばれていたことが、結果的に幸いする。
お立ち台に上がった川越は、ここぞとばかりに「宮川投手の先発初勝利のボール、阪神ファンの皆さんに渡しちゃったんで、返して下さい。すみません! すみませんでした」と必死にお願いした。その甲斐あって、ボールは無事に戻り、宮川は晴れてウイニングボールと記念撮影を行うことができた。
川越のように最後のアウトを取った選手が、記念球と知らずにうっかりボールをスタンドに投げ入れてしまうケースは多々ある。
2019年6月25日、広島・九里亜蓮が楽天戦で6年目のプロ初完封勝利を挙げたときも、最後の打者の左飛をキャッチした西川龍馬がウイニングボールをスタンドに投げ入れ、行方不明になってしまった。
また、2013年4月27日の楽天VS西武では、9回に登板した高堀和也が球団通算500勝目のウイニングボールをスタンドに投げ入れてしまい、「(500勝の記念球と)言われて『やばい!』と思った。殺されるかと思いました」とパニックになった。幸いどちらのケースも、球団や選手の呼びかけに応じて、ファンがボールを返してくれたので、事なきを得た。
ボールをスタンドに投げ入れたわけでもないのに、行方不明になってしまったのが、日本ハム・梨田昌孝監督の監督通算500勝目の記念ボールだ。
2010年3月22日、日本ハムはソフトバンクに16-5と大勝。この瞬間、梨田監督は近鉄監督時代と併せて通算500勝を記録した。
ところが、川崎宗則の遊ゴロ併殺打のボールをガッチリ捕球した一塁手の高口隆行が、このウイニングボールを梨田監督ではなく、マウンドにいた江尻慎太郎に手渡したことが、騒動の発端となる。
この回、4失点と打ち込まれた江尻はベンチに戻ると、悔しさがこみあげてきて、あろうことか梨田監督500勝目の記念ボールをグラブごと叩きつけてしまう。直後、ボールはグラブからこぼれ落ちて転々。さらに間の悪いことに、ベンチのあと片づけをしていたマネージャーが、そのボールを30個以上の練習用ボールと一緒にケースの中に入れたことから、どれが記念球なのかわからなくなってしまったのだ。
事の重大さに、江尻は「頭が真っ白で覚えていない」と青ざめ、直後、不振のため2軍降格を言い渡されるダブルショック……。だが、梨田監督は「だから、江尻は2軍行き」とジョークを飛ばしつつも、「オレはコレクターじゃないから大丈夫や」と気にしていなかった。
その後、記念ボールは、ケースにしまわれたボールの中から、一番綺麗なものを選んで飾られることになったという。
昨年38年ぶり日本一を達成した阪神も、リーグ優勝、日本一決定時のいずれも、記念球が一時行方不明になった。
まず9月14日の巨人戦で、9回二死三塁、中野拓夢が北村拓己の二飛をキャッチし、18年ぶりリーグ優勝のウイニングボールとなったが、直後の優勝セレモニーやビールかけなどの混乱に紛れ、翌15日になっても、球団側は所在を確認できずにいた。だが、案ずるより産むがやすし。同16日になって、岡田彰布監督が「(ビジターで)まだ家に帰ってへんのやから」とカバンの中に大切にしまってあることを明かした。
さらに、11月5日の日本シリーズ第7戦、オリックスに7-1と快勝し、日本一を決めたウイニングボールも行方不明に。9回二死一塁で、シェルドン・ノイジーが杉本裕太郎の左飛を捕球し、ポケットに入れたところまではわかっていたが、岡田監督は「いや、どこいったか……。ノイジー? 最後みんな前に立ってるんで、オレのところから見えなかった。ノイジーが捕ったのか、近本が捕ったのか、わからなかった」と首を捻るばかり。
だが、翌6日、ノイジーが持ってきて一件落着。「今日帰った(帰国した)みたいなので、危なかったですね。持って帰られると」と苦笑する岡田監督だった。
今季も記念球をめぐる珍騒動が1度ならず起きそうだ。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
「返して下さい。すみません!」
まずは昨年6月1日の西武VS阪神で起きたハプニングから紹介しよう。4-2とリードした西武は、9回から守護神・増田達至が登板。二死後、近本光司を右飛に打ち取り、勝利を収めた。
スタンドの西武ファンが沸き返るなか、打球をキャッチしたライト・川越誠司は、なぜかボールを阪神ファンが陣取ったスタンドに投げ込んでしまう。
ところが、そのボールは、この日5回を1失点に抑え、先発初勝利を挙げた宮川哲に渡すはずのウイニングボールだったから、さあ、大変! マウンド付近で勝利のハイタッチを交わす西武ナインが唖然としたのは言うまでもない。
川越も早まったことをしたと気づき、途方に暮れたが、5回に勝利を決定づける2ランを放ち、ヒーローインタビューに呼ばれていたことが、結果的に幸いする。
お立ち台に上がった川越は、ここぞとばかりに「宮川投手の先発初勝利のボール、阪神ファンの皆さんに渡しちゃったんで、返して下さい。すみません! すみませんでした」と必死にお願いした。その甲斐あって、ボールは無事に戻り、宮川は晴れてウイニングボールと記念撮影を行うことができた。
「やばいと思った。殺されるかと思いました」
川越のように最後のアウトを取った選手が、記念球と知らずにうっかりボールをスタンドに投げ入れてしまうケースは多々ある。
2019年6月25日、広島・九里亜蓮が楽天戦で6年目のプロ初完封勝利を挙げたときも、最後の打者の左飛をキャッチした西川龍馬がウイニングボールをスタンドに投げ入れ、行方不明になってしまった。
また、2013年4月27日の楽天VS西武では、9回に登板した高堀和也が球団通算500勝目のウイニングボールをスタンドに投げ入れてしまい、「(500勝の記念球と)言われて『やばい!』と思った。殺されるかと思いました」とパニックになった。幸いどちらのケースも、球団や選手の呼びかけに応じて、ファンがボールを返してくれたので、事なきを得た。
ボールをスタンドに投げ入れたわけでもないのに、行方不明になってしまったのが、日本ハム・梨田昌孝監督の監督通算500勝目の記念ボールだ。
「頭が真っ白で覚えていない」
2010年3月22日、日本ハムはソフトバンクに16-5と大勝。この瞬間、梨田監督は近鉄監督時代と併せて通算500勝を記録した。
ところが、川崎宗則の遊ゴロ併殺打のボールをガッチリ捕球した一塁手の高口隆行が、このウイニングボールを梨田監督ではなく、マウンドにいた江尻慎太郎に手渡したことが、騒動の発端となる。
この回、4失点と打ち込まれた江尻はベンチに戻ると、悔しさがこみあげてきて、あろうことか梨田監督500勝目の記念ボールをグラブごと叩きつけてしまう。直後、ボールはグラブからこぼれ落ちて転々。さらに間の悪いことに、ベンチのあと片づけをしていたマネージャーが、そのボールを30個以上の練習用ボールと一緒にケースの中に入れたことから、どれが記念球なのかわからなくなってしまったのだ。
事の重大さに、江尻は「頭が真っ白で覚えていない」と青ざめ、直後、不振のため2軍降格を言い渡されるダブルショック……。だが、梨田監督は「だから、江尻は2軍行き」とジョークを飛ばしつつも、「オレはコレクターじゃないから大丈夫や」と気にしていなかった。
その後、記念ボールは、ケースにしまわれたボールの中から、一番綺麗なものを選んで飾られることになったという。
昨年38年ぶり日本一を達成した阪神も、リーグ優勝、日本一決定時のいずれも、記念球が一時行方不明になった。
まず9月14日の巨人戦で、9回二死三塁、中野拓夢が北村拓己の二飛をキャッチし、18年ぶりリーグ優勝のウイニングボールとなったが、直後の優勝セレモニーやビールかけなどの混乱に紛れ、翌15日になっても、球団側は所在を確認できずにいた。だが、案ずるより産むがやすし。同16日になって、岡田彰布監督が「(ビジターで)まだ家に帰ってへんのやから」とカバンの中に大切にしまってあることを明かした。
さらに、11月5日の日本シリーズ第7戦、オリックスに7-1と快勝し、日本一を決めたウイニングボールも行方不明に。9回二死一塁で、シェルドン・ノイジーが杉本裕太郎の左飛を捕球し、ポケットに入れたところまではわかっていたが、岡田監督は「いや、どこいったか……。ノイジー? 最後みんな前に立ってるんで、オレのところから見えなかった。ノイジーが捕ったのか、近本が捕ったのか、わからなかった」と首を捻るばかり。
だが、翌6日、ノイジーが持ってきて一件落着。「今日帰った(帰国した)みたいなので、危なかったですね。持って帰られると」と苦笑する岡田監督だった。
今季も記念球をめぐる珍騒動が1度ならず起きそうだ。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)