たった1球で勝利投手になる者もいれば、長いイニングを好投しながら、不運にも勝利を逃した投手もいる。ほぼ手中にしたはずの白星がスルリと逃げて行った悲運の投手たちを紹介する。
8点リードを貰い、勝利投手を確信してマウンドを降りたのに、まさかの大逆転負けに泣いたのが、日本ハム時代の高梨裕稔(現ヤクルト)だ。
2018年4月18日の西武戦、先発・高梨は“山賊打線”を7回まで3安打7奪三振の無失点。味方打線も5‐0の8回表に決定的に思える3点追加し、誰もが「勝負あった」と信じて疑わなかった。
ところが、高梨からバトンを引き継いだリリーフ陣がピリッとしない。2番手・上原健太はいきなり連続安打を浴び、一死を取っただけで降板。3番手・田中豊樹も四球で満塁とピンチを広げたあと、連続押し出し四球で2点を失った。
さらに4番手、マイケル・トンキンも、外崎修汰に左越え二塁打、栗山巧に中前2点タイムリーを許したあと、二ゴロの間にもう1点。1点差に追い上げられてしまう。
宮西尚生を投入し、何とかスリーアウトまで漕ぎつけた日本ハムだったが、こうなれば、断然西武ペース。9回にこの日まで4セーブを挙げていた6番手・石川直也が連打と四球で無死満塁のピンチを招くと、森友哉が前進守備の右中間を破る逆転サヨナラ2点二塁打。8点リードを守り切れず、まさかの大逆転負けを喫した。
高梨は「最後まで投げなければいけなかった」と7回まで121球を要し、完投できなかったことを反省。栗山英樹監督も「本当に申し訳ないことをした。オレの責任なんで。ごめんなさい」と平謝りだった。
せっかくの好投が、中継ぎ陣の大乱調でフイになったのが、楽天・戸村健次だ。
2015年9月28日のオリックス戦、先発・戸村は7回まで三塁を踏ませず、散発4安打無失点。味方打線も初回にいきなり先頭から4連打で2点を先制すると、5回に福田将儀の左越えタイムリー二塁打、8回にも二死から3連打で1点を加え、4‐0。試合を決めたかに思われた。
ところが、その裏、好投の戸村に代えて、“勝利の方程式”の一角を担うライナー・クルーズをリリーフに送ったことが裏目に出る。
先頭の岩崎恭平にいきなり四球を与えると、一死から糸井嘉男、T‐岡田にも連続四球で満塁としたあと、小谷野栄一に左中間を破られ、2点を失った。
制球に苦しむクルーズは、中島裕之にも四球を献上。ここで、見るに見かねた大久保博元監督がリリーフエース・福山博之を投入したが、その福山も一死満塁から2者連続押し出しで、あっという間に4‐4の同点。4番手・武藤好貴も伊藤光に左前2点決勝タイムリーを浴びたあと、2安打と犠飛で4‐8とリードを広げられた。
そして、5番手・西宮悠介もT‐岡田にとどめの右越え2点タイムリー二塁打を打たれ、1イニング10失点という悪夢に……。
まさかの大逆転負けでシーズン80敗目を喫した大久保監督は「クルーズは前半戦で無理させたことで、疲れが出ている。使っている以上は僕が悪い」と反省の言葉を口にしたが、勝ちパターンからの大暗転劇にファンの怒りもMAXに。ネット上でも「最低最悪の試合。監督は戸村さんと野手陣に謝罪してください」「戸村に恨みでもあるのか」などの声が相次いだ。
プロ初勝利まであと1人の5回二死まで無失点に抑えながら、非情の交代劇を味わったのが、西武・白鳥浩徳だ。
東北高時代の1984年夏、背番号1を着けて甲子園に出場したが、実質エースは背番号10の2年生・佐々木主浩。甲子園では1度も投げることなく終わった。
社会人の住友金属鹿島に入社後、25歳を過ぎてから球速が増し、93年の都市対抗で自己最高の145キロをマークしてから、“遅咲き右腕”として注目を集めるようになった。
そして、27歳にして西武から5位指名を受けたが、ドラフト直前に指名挨拶の電話を貰ったときは「最初は嘘だと思った」ほど。
だが、西武は91年のドラフトでも27歳の新谷博を2位指名しており、森祇晶監督も「年齢で野球をやるんじゃない。新谷を見てみろよ」と即戦力として期待した。
翌94年6月14日のロッテ戦でプロ初先発。実はロッテの先発が伊良部秀輝だったことから、「今日は捨て試合」(森監督)と抜擢されたもので、当初は3回までのショートスターターの予定だった。
ところが、簡単に点を取れないと思われた伊良部から2点を先取したばかりでなく、白鳥も味方の好守やヒット性の当たりが野手の正面をつくなど、幸運が続き、5回二死まで得点を許さない。
だが、この回に二死満塁のピンチを招くと、「リードを守る以外に勝機はない。相手は伊良部だからな」と、杉山賢人に交代を告げられた。
「これまで失点がなかったから、まあ、自分の仕事をしたなと思います」と納得してマウンドを降りた白鳥だったが、皮肉なことに、その後、継投失敗で2‐3と逆転負け。その後も勝ち運に恵まれず、プロ未勝利のまま、97年限りで退団した。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
8点リードを貰い、勝利投手を確信してマウンドを降りたのに、まさかの大逆転負けに泣いたのが、日本ハム時代の高梨裕稔(現ヤクルト)だ。
2018年4月18日の西武戦、先発・高梨は“山賊打線”を7回まで3安打7奪三振の無失点。味方打線も5‐0の8回表に決定的に思える3点追加し、誰もが「勝負あった」と信じて疑わなかった。
ところが、高梨からバトンを引き継いだリリーフ陣がピリッとしない。2番手・上原健太はいきなり連続安打を浴び、一死を取っただけで降板。3番手・田中豊樹も四球で満塁とピンチを広げたあと、連続押し出し四球で2点を失った。
さらに4番手、マイケル・トンキンも、外崎修汰に左越え二塁打、栗山巧に中前2点タイムリーを許したあと、二ゴロの間にもう1点。1点差に追い上げられてしまう。
宮西尚生を投入し、何とかスリーアウトまで漕ぎつけた日本ハムだったが、こうなれば、断然西武ペース。9回にこの日まで4セーブを挙げていた6番手・石川直也が連打と四球で無死満塁のピンチを招くと、森友哉が前進守備の右中間を破る逆転サヨナラ2点二塁打。8点リードを守り切れず、まさかの大逆転負けを喫した。
高梨は「最後まで投げなければいけなかった」と7回まで121球を要し、完投できなかったことを反省。栗山英樹監督も「本当に申し訳ないことをした。オレの責任なんで。ごめんなさい」と平謝りだった。
1イニング10失点という“悪夢”
せっかくの好投が、中継ぎ陣の大乱調でフイになったのが、楽天・戸村健次だ。
2015年9月28日のオリックス戦、先発・戸村は7回まで三塁を踏ませず、散発4安打無失点。味方打線も初回にいきなり先頭から4連打で2点を先制すると、5回に福田将儀の左越えタイムリー二塁打、8回にも二死から3連打で1点を加え、4‐0。試合を決めたかに思われた。
ところが、その裏、好投の戸村に代えて、“勝利の方程式”の一角を担うライナー・クルーズをリリーフに送ったことが裏目に出る。
先頭の岩崎恭平にいきなり四球を与えると、一死から糸井嘉男、T‐岡田にも連続四球で満塁としたあと、小谷野栄一に左中間を破られ、2点を失った。
制球に苦しむクルーズは、中島裕之にも四球を献上。ここで、見るに見かねた大久保博元監督がリリーフエース・福山博之を投入したが、その福山も一死満塁から2者連続押し出しで、あっという間に4‐4の同点。4番手・武藤好貴も伊藤光に左前2点決勝タイムリーを浴びたあと、2安打と犠飛で4‐8とリードを広げられた。
そして、5番手・西宮悠介もT‐岡田にとどめの右越え2点タイムリー二塁打を打たれ、1イニング10失点という悪夢に……。
まさかの大逆転負けでシーズン80敗目を喫した大久保監督は「クルーズは前半戦で無理させたことで、疲れが出ている。使っている以上は僕が悪い」と反省の言葉を口にしたが、勝ちパターンからの大暗転劇にファンの怒りもMAXに。ネット上でも「最低最悪の試合。監督は戸村さんと野手陣に謝罪してください」「戸村に恨みでもあるのか」などの声が相次いだ。
“勝ち運”に恵まれずプロで未勝利
プロ初勝利まであと1人の5回二死まで無失点に抑えながら、非情の交代劇を味わったのが、西武・白鳥浩徳だ。
東北高時代の1984年夏、背番号1を着けて甲子園に出場したが、実質エースは背番号10の2年生・佐々木主浩。甲子園では1度も投げることなく終わった。
社会人の住友金属鹿島に入社後、25歳を過ぎてから球速が増し、93年の都市対抗で自己最高の145キロをマークしてから、“遅咲き右腕”として注目を集めるようになった。
そして、27歳にして西武から5位指名を受けたが、ドラフト直前に指名挨拶の電話を貰ったときは「最初は嘘だと思った」ほど。
だが、西武は91年のドラフトでも27歳の新谷博を2位指名しており、森祇晶監督も「年齢で野球をやるんじゃない。新谷を見てみろよ」と即戦力として期待した。
翌94年6月14日のロッテ戦でプロ初先発。実はロッテの先発が伊良部秀輝だったことから、「今日は捨て試合」(森監督)と抜擢されたもので、当初は3回までのショートスターターの予定だった。
ところが、簡単に点を取れないと思われた伊良部から2点を先取したばかりでなく、白鳥も味方の好守やヒット性の当たりが野手の正面をつくなど、幸運が続き、5回二死まで得点を許さない。
だが、この回に二死満塁のピンチを招くと、「リードを守る以外に勝機はない。相手は伊良部だからな」と、杉山賢人に交代を告げられた。
「これまで失点がなかったから、まあ、自分の仕事をしたなと思います」と納得してマウンドを降りた白鳥だったが、皮肉なことに、その後、継投失敗で2‐3と逆転負け。その後も勝ち運に恵まれず、プロ未勝利のまま、97年限りで退団した。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)