5月24日の巨人対阪神で、巨人・戸郷翔征が史上89人目、通算101度目のノーヒットノーランを達成した。阪神がノーヒットノーランを喫するのは、球団創設以来、通算12度目。戸郷以前に、阪神からノーヒットノーランを記録した10人の投手を振り返ってみよう。
第1号は、巨人・沢村栄治だ。プロ野球(当時は日本職業野球連盟)が始まった1936年に9月25日のタイガース戦で達成したが、NPB史上初のノーヒットノーランでもあった。
当時沢村は19歳。若林忠志との投手戦は、0-0の9回表、四球と沢村の遊ゴロエラーで一死一、三塁のチャンスを作った巨人が代打・山本栄一郎の右前タイムリーで1点を先制。その裏、沢村は二死から4番・小島利男を左飛に打ち取り、7奪三振、4四球でノーヒットノーランを達成した。
さらに沢村は、翌1937年5月1日のタイガース戦でもNPB史上2度目のノーヒットノーランを達成。この日の沢村は、3回に3者連続三振に切って取るなど、11三振を奪い、3四球を出すも、二塁を踏ませなかった。
2度の屈辱をバネに、タイガース・石本秀一監督は、打撃練習で1メートル手前から投げさせる速球対策を実行し、秋季リーグで沢村に4勝0敗と雪辱をはたした。
2人目は、阪急・浅野勝三郎だ。1940年4月14日のタイガース戦、浅野は奪三振こそ4個ながら、27個のアウトのうち3分の2までを飛球に打ち取り、許した走者は3回二死後の四球のみ。史上初の準完全試合を達成した。
タイガース打線は、軟投派の浅野を安易に打ちに行って、術中にはまってしまった。同年、浅野は27試合に登板し、自己最多の11勝、打者としても71試合で打率.231、1本塁打、20打点を記録している。
3人目は日系2世の黒鷲軍・亀田忠だ。1941年4月14日、前日の朝日軍戦で1安打無四球完投勝利を収めたばかりの亀田は、連投のこの日は6四球と制球に苦しんだが、荒れ球が幸いし、阪神打線に的を絞らせない。8回に四球と犠打で一死二塁のピンチを招くも、宮崎剛の遊直が併殺となる幸運もあり、前年3月18日のライオン戦に続き、2度目のノーヒットノーランを達成した。だが、2ヵ月後に日米関係の悪化に伴い、米国政府から帰国命令が出され、退団帰国した。
そして、4人目は太陽時代の真田重蔵。1948年9月6日、2日前にも阪神を6安打完封した真田は、この日も速球と大きく落ちるカーブでダイナマイト打線を無四球の無安打と沈黙させる。2回二死、後藤次男の遊ゴロを松本和雄がファンブルした結果、惜しくもパーフェクトならず。これが1リーグ制最後のノーヒットノーランとなり、真田は1952年から阪神でプレー。同年5月7日の広島戦で2度目のノーヒットノーランを達成した。
5人目は中日・大矢根博臣。1957年10月12日、立ち上がりから好調だった大矢根は内野手のような小さなモーションから速いテンポで直球やシュートを投げ分け、内野ゴロの山を築く。5回一死後、藤本克己に四球を許すも、山本哲也を内野ゴロで併殺に打ち取り、3四球、1失策の4走者に抑えて、ノーヒットノーランを達成した。
6人目は国鉄時代の金田正一である。1951年9月5日、プロ2年目の金田は奪三振こそ4個と少なめながら、速球とドロップを巧みに配し、阪神打線を9回まで5四球の無安打に抑える。
0-0の9回裏、国鉄は安打の土屋五郎をバントで送り、藤田宗一の右前タイムリーでサヨナラ勝ち。金田は史上最年少の18歳1カ月でノーヒットノーランを達成し、同年から14年連続20勝以上を記録することになる。
阪神が唯一完全試合を喫したのが、大洋・島田源太郎だ。1960年8月11日、島田は抜群の制球力で外角低めに球を集め、5回の三宅秀史のレフトへの大飛球も沖山光利が背走好捕するなど、バックも盛り立てる。
0-1の9回、阪神は代打攻勢をかけるも、二死後、3人目の代打・吉田義男が3ボールから3球続けて1度もバットを振らずに三振。島田に史上最年少(20歳11ヵ月)の完全試合を許した。
阪神戦でのノーヒットノーランがプロ初勝利となったのが、広島・外木場義郎だ。
1965年10月2日、この日が2度目の先発となった外木場は伸びのある速球を思い切って高めに投げ込み、各打者を次々に凡フライに打ち取る。「5回まで持てば」のつもりが、終わってみれば、まさかのノーヒットノーラン。
当時、「ノーヒットノーランを達成した投手は大成できない」というジンクスがあったが、外木場は「何ならもう1回やりましょうか」と豪語し、通算3度(うち1度は完全試合)達成している。
外木場以降、阪神は41年の長きにわたり、ノーヒットノーランを許すことはなかったが、2006年9月16日の中日戦で、史上最年長・41歳1ヵ月の山本昌に、エラーによる1走者のみの“準完全試合”を達成された。「オレはやられた記憶がない」という試合後の岡田彰布監督の談話からも41年の月日が感じられる。
そして、2019年9月14日の中日戦、13年前と同じナゴヤドームで大野雄大に通算11度目のノーヒットノーランを達成された。阪神打線は6回一死までパーフェクトに抑えられ、走者はエラーと四球の2人だけ。
それでも矢野耀大監督は「(心が)折れそうだけど、これが2敗になることはない」と残り試合に全力を挙げ、広島に4厘差の3位で奇跡のCS進出をはたしている。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
第1号は、巨人・沢村栄治だ。プロ野球(当時は日本職業野球連盟)が始まった1936年に9月25日のタイガース戦で達成したが、NPB史上初のノーヒットノーランでもあった。
当時沢村は19歳。若林忠志との投手戦は、0-0の9回表、四球と沢村の遊ゴロエラーで一死一、三塁のチャンスを作った巨人が代打・山本栄一郎の右前タイムリーで1点を先制。その裏、沢村は二死から4番・小島利男を左飛に打ち取り、7奪三振、4四球でノーヒットノーランを達成した。
さらに沢村は、翌1937年5月1日のタイガース戦でもNPB史上2度目のノーヒットノーランを達成。この日の沢村は、3回に3者連続三振に切って取るなど、11三振を奪い、3四球を出すも、二塁を踏ませなかった。
2度の屈辱をバネに、タイガース・石本秀一監督は、打撃練習で1メートル手前から投げさせる速球対策を実行し、秋季リーグで沢村に4勝0敗と雪辱をはたした。
2人目は、阪急・浅野勝三郎だ。1940年4月14日のタイガース戦、浅野は奪三振こそ4個ながら、27個のアウトのうち3分の2までを飛球に打ち取り、許した走者は3回二死後の四球のみ。史上初の準完全試合を達成した。
タイガース打線は、軟投派の浅野を安易に打ちに行って、術中にはまってしまった。同年、浅野は27試合に登板し、自己最多の11勝、打者としても71試合で打率.231、1本塁打、20打点を記録している。
3人目は日系2世の黒鷲軍・亀田忠だ。1941年4月14日、前日の朝日軍戦で1安打無四球完投勝利を収めたばかりの亀田は、連投のこの日は6四球と制球に苦しんだが、荒れ球が幸いし、阪神打線に的を絞らせない。8回に四球と犠打で一死二塁のピンチを招くも、宮崎剛の遊直が併殺となる幸運もあり、前年3月18日のライオン戦に続き、2度目のノーヒットノーランを達成した。だが、2ヵ月後に日米関係の悪化に伴い、米国政府から帰国命令が出され、退団帰国した。
そして、4人目は太陽時代の真田重蔵。1948年9月6日、2日前にも阪神を6安打完封した真田は、この日も速球と大きく落ちるカーブでダイナマイト打線を無四球の無安打と沈黙させる。2回二死、後藤次男の遊ゴロを松本和雄がファンブルした結果、惜しくもパーフェクトならず。これが1リーグ制最後のノーヒットノーランとなり、真田は1952年から阪神でプレー。同年5月7日の広島戦で2度目のノーヒットノーランを達成した。
5人目は中日・大矢根博臣。1957年10月12日、立ち上がりから好調だった大矢根は内野手のような小さなモーションから速いテンポで直球やシュートを投げ分け、内野ゴロの山を築く。5回一死後、藤本克己に四球を許すも、山本哲也を内野ゴロで併殺に打ち取り、3四球、1失策の4走者に抑えて、ノーヒットノーランを達成した。
6人目は国鉄時代の金田正一である。1951年9月5日、プロ2年目の金田は奪三振こそ4個と少なめながら、速球とドロップを巧みに配し、阪神打線を9回まで5四球の無安打に抑える。
0-0の9回裏、国鉄は安打の土屋五郎をバントで送り、藤田宗一の右前タイムリーでサヨナラ勝ち。金田は史上最年少の18歳1カ月でノーヒットノーランを達成し、同年から14年連続20勝以上を記録することになる。
阪神戦で完全試合を達成した投手は…!?
阪神が唯一完全試合を喫したのが、大洋・島田源太郎だ。1960年8月11日、島田は抜群の制球力で外角低めに球を集め、5回の三宅秀史のレフトへの大飛球も沖山光利が背走好捕するなど、バックも盛り立てる。
0-1の9回、阪神は代打攻勢をかけるも、二死後、3人目の代打・吉田義男が3ボールから3球続けて1度もバットを振らずに三振。島田に史上最年少(20歳11ヵ月)の完全試合を許した。
阪神戦でのノーヒットノーランがプロ初勝利となったのが、広島・外木場義郎だ。
1965年10月2日、この日が2度目の先発となった外木場は伸びのある速球を思い切って高めに投げ込み、各打者を次々に凡フライに打ち取る。「5回まで持てば」のつもりが、終わってみれば、まさかのノーヒットノーラン。
当時、「ノーヒットノーランを達成した投手は大成できない」というジンクスがあったが、外木場は「何ならもう1回やりましょうか」と豪語し、通算3度(うち1度は完全試合)達成している。
外木場以降、阪神は41年の長きにわたり、ノーヒットノーランを許すことはなかったが、2006年9月16日の中日戦で、史上最年長・41歳1ヵ月の山本昌に、エラーによる1走者のみの“準完全試合”を達成された。「オレはやられた記憶がない」という試合後の岡田彰布監督の談話からも41年の月日が感じられる。
そして、2019年9月14日の中日戦、13年前と同じナゴヤドームで大野雄大に通算11度目のノーヒットノーランを達成された。阪神打線は6回一死までパーフェクトに抑えられ、走者はエラーと四球の2人だけ。
それでも矢野耀大監督は「(心が)折れそうだけど、これが2敗になることはない」と残り試合に全力を挙げ、広島に4厘差の3位で奇跡のCS進出をはたしている。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)