7月23、24日に「マイナビオールスターゲーム2024」が開催される。セ・リーグトップの8勝を挙げている才木浩人(阪神)がファン投票の先発投手部門トップで初選出されるなど、フレッシュな顔ぶれも多く、セの最多得票を獲得した村上宗隆(ヤクルト)の球宴初アーチなるかも注目される。その一方で、過去には、ケガなどで出場辞退した選手の代役として球宴出場をはたし、夢舞台で活躍した選手も少なくない。
打者転向、戦力外などの苦難を乗り越え、プロ15年目に初出場をはたしたのが、阪神・遠山奨志だ。
1986年にドラフト1位で阪神入りした遠山は、高卒1年目に先発ローテ入りし、8勝を挙げたが、2年目に左肩を痛めてから低迷。ロッテ移籍後も1勝も挙げられないまま、95年に打者転向も結果を出せず、97年オフに戦力外通告を受けた。
だが、野手として受けた古巣・阪神のテストで、投手として再評価され、合格。野村克也監督時代の99年にフォームを左サイドに変えたのも吉と出て、リリーフとして63試合に登板、“松井秀喜キラー”として名を馳せた。
そして、翌2000年、オールスター出場が決まっていた佐々岡真司が故障で辞退したのに伴い、全セを率いる中日・星野仙一監督の推薦で、球宴初出場が決まる。
第2戦の3回二死、打者・イチロー(オリックス)の場面でリリーフのマウンドに立った“リストラの星”は、カウント1-2から左前安打を許したものの、次打者・松井稼頭央(西武)を三飛に打ち取り、スリーアウト。
4回も松中信彦(ダイエー)、中村紀洋(近鉄)、片岡篤史(日本ハム)を3者凡退に打ち取り、「シーズン中よりリラックスできた。コントロールも良かったしね」と満ち足りた笑顔を見せた。
2002年、右肘の違和感で出場辞退したパのエース・松坂大輔(西武)の代役として、28歳で球宴初出場の幸運を手にしたのが、チームの先輩・三井浩二だ。
当初は草津温泉に家族旅行に出かける予定だったが、「もう2度と出ることもないかもしれない」と予定をキャンセル。郷里・北海道から両親を呼び寄せた。
ふだんは中継ぎと併用ながら、思いがけず第1戦の先発に指名された三井は、初回の先頭打者・今岡誠(阪神)を中飛に打ち取ったあと、井端弘和(中日)に左前安打を許したが、高橋由伸(巨人)を一ゴロ、松井秀喜(同)を遊飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。
2回も清原和博(巨人)を捕邪飛に打ち取るなど、1安打無失点。3回は3者凡退に抑え、3回を2安打無失点の好投。見事、「優秀選手」に選ばれた。
「三井を覚えてもらった感じはする。これだけの強打者を相手にして、今後の力になります」とさらなる躍進を誓った三井は同年、自身初の二桁となる10勝を挙げ、翌03年の自己最多の11勝をマークしたが、冒頭の本人の言葉どおり、オールスターはこれが最初で最後になった。
同年は城島健司(ダイエー)の代役で出場した的山哲也(近鉄)も第2戦でMVPに輝いている。また、2012年には、唐川侑己(ロッテ)の代役で出場したプロ2年目の塩見貴洋(楽天)が、第3戦で2イニングを1失点に抑え、勝利投手になった。
最後は、「本人の代わりに本人が代役出場する」という、ややこしい話を紹介する。
2016年。ファン投票のパ先発投手部門で1位選出された大谷翔平(日本ハム)だったが、7月10日のロッテ戦で右手中指のまめを潰すアクシデントに見舞われた。
球宴は6日後とあって、状況的に登板は無理。だが、大谷が出場しない球宴は、ファンの興趣をそぐ事態になりかねない。
そこで浮上したのが、「投手としての出場がダメなら、野手があるじゃないか」の代替案。
大谷は打者としても前半戦終了時点で打率.331、10本塁打の好成績を残しており、野手としての出場もまったく問題はない。たとえ打者“一刀流”でも、球宴に大谷が出場すれば、ファンも喜ぶというものだ。
こうした流れを受けて、7月13日、大谷が投手としての出場を辞退し、野手として出場することが発表され、この日までにセパ12球団が了承した。通常オールスターの出場を辞退した選手は、野球協約により、後半戦開始から10試合出場できないというペナルティが科されるが、大谷は野手として出場するので、適用されない。これも二刀流ならではのウルトラCだった。
「しっかりと準備をして、出る機会が回ってきたところで結果を出せるように頑張ります」と力強く抱負を語った大谷は、有言実行よろしく、2日連続でサプライズを巻き起こす。
まず、16日の第1戦では、初出場のホームランダービーで山田哲人(ヤクルト)を6-5、柳田悠岐(ソフトバンク)を3-2で下し、球宴本塁打キングを獲得。投手の優勝はもちろん史上初の快挙だった。
さらに翌17日の第2戦では、5番DHで出場。3点を追う5回に井納翔一(DeNA)の初球、145キロを左中間スタンドへ運び、通算10打席目での球宴初アーチを記録。8回にも右前同点タイムリーを放つなど、4打数3安打2打点の大活躍でMVPに選ばれた。
「打者で(賞を)獲れるとは思っていなかった。アクシデントもあったので、盛り上げられて良かった」(大谷)。まさに「オールスターは大谷のためにあるのか?」と言いたくなるようなハッピーエンドだった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
打者転向、戦力外などの苦難を乗り越え、プロ15年目に初出場をはたしたのが、阪神・遠山奨志だ。
1986年にドラフト1位で阪神入りした遠山は、高卒1年目に先発ローテ入りし、8勝を挙げたが、2年目に左肩を痛めてから低迷。ロッテ移籍後も1勝も挙げられないまま、95年に打者転向も結果を出せず、97年オフに戦力外通告を受けた。
だが、野手として受けた古巣・阪神のテストで、投手として再評価され、合格。野村克也監督時代の99年にフォームを左サイドに変えたのも吉と出て、リリーフとして63試合に登板、“松井秀喜キラー”として名を馳せた。
そして、翌2000年、オールスター出場が決まっていた佐々岡真司が故障で辞退したのに伴い、全セを率いる中日・星野仙一監督の推薦で、球宴初出場が決まる。
第2戦の3回二死、打者・イチロー(オリックス)の場面でリリーフのマウンドに立った“リストラの星”は、カウント1-2から左前安打を許したものの、次打者・松井稼頭央(西武)を三飛に打ち取り、スリーアウト。
4回も松中信彦(ダイエー)、中村紀洋(近鉄)、片岡篤史(日本ハム)を3者凡退に打ち取り、「シーズン中よりリラックスできた。コントロールも良かったしね」と満ち足りた笑顔を見せた。
2002年、右肘の違和感で出場辞退したパのエース・松坂大輔(西武)の代役として、28歳で球宴初出場の幸運を手にしたのが、チームの先輩・三井浩二だ。
当初は草津温泉に家族旅行に出かける予定だったが、「もう2度と出ることもないかもしれない」と予定をキャンセル。郷里・北海道から両親を呼び寄せた。
ふだんは中継ぎと併用ながら、思いがけず第1戦の先発に指名された三井は、初回の先頭打者・今岡誠(阪神)を中飛に打ち取ったあと、井端弘和(中日)に左前安打を許したが、高橋由伸(巨人)を一ゴロ、松井秀喜(同)を遊飛に打ち取り、無失点で切り抜けた。
2回も清原和博(巨人)を捕邪飛に打ち取るなど、1安打無失点。3回は3者凡退に抑え、3回を2安打無失点の好投。見事、「優秀選手」に選ばれた。
「三井を覚えてもらった感じはする。これだけの強打者を相手にして、今後の力になります」とさらなる躍進を誓った三井は同年、自身初の二桁となる10勝を挙げ、翌03年の自己最多の11勝をマークしたが、冒頭の本人の言葉どおり、オールスターはこれが最初で最後になった。
同年は城島健司(ダイエー)の代役で出場した的山哲也(近鉄)も第2戦でMVPに輝いている。また、2012年には、唐川侑己(ロッテ)の代役で出場したプロ2年目の塩見貴洋(楽天)が、第3戦で2イニングを1失点に抑え、勝利投手になった。
本人の代わりに本人が代役出場…!?
最後は、「本人の代わりに本人が代役出場する」という、ややこしい話を紹介する。
2016年。ファン投票のパ先発投手部門で1位選出された大谷翔平(日本ハム)だったが、7月10日のロッテ戦で右手中指のまめを潰すアクシデントに見舞われた。
球宴は6日後とあって、状況的に登板は無理。だが、大谷が出場しない球宴は、ファンの興趣をそぐ事態になりかねない。
そこで浮上したのが、「投手としての出場がダメなら、野手があるじゃないか」の代替案。
大谷は打者としても前半戦終了時点で打率.331、10本塁打の好成績を残しており、野手としての出場もまったく問題はない。たとえ打者“一刀流”でも、球宴に大谷が出場すれば、ファンも喜ぶというものだ。
こうした流れを受けて、7月13日、大谷が投手としての出場を辞退し、野手として出場することが発表され、この日までにセパ12球団が了承した。通常オールスターの出場を辞退した選手は、野球協約により、後半戦開始から10試合出場できないというペナルティが科されるが、大谷は野手として出場するので、適用されない。これも二刀流ならではのウルトラCだった。
「しっかりと準備をして、出る機会が回ってきたところで結果を出せるように頑張ります」と力強く抱負を語った大谷は、有言実行よろしく、2日連続でサプライズを巻き起こす。
まず、16日の第1戦では、初出場のホームランダービーで山田哲人(ヤクルト)を6-5、柳田悠岐(ソフトバンク)を3-2で下し、球宴本塁打キングを獲得。投手の優勝はもちろん史上初の快挙だった。
さらに翌17日の第2戦では、5番DHで出場。3点を追う5回に井納翔一(DeNA)の初球、145キロを左中間スタンドへ運び、通算10打席目での球宴初アーチを記録。8回にも右前同点タイムリーを放つなど、4打数3安打2打点の大活躍でMVPに選ばれた。
「打者で(賞を)獲れるとは思っていなかった。アクシデントもあったので、盛り上げられて良かった」(大谷)。まさに「オールスターは大谷のためにあるのか?」と言いたくなるようなハッピーエンドだった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)