6月21日の日本ハム対楽天で、日本ハムのフランミル・レイエス、楽天のマイケル・フランコの両助っ人が満塁本塁打で応酬した。また、7月3日の日本ハム対ロッテでは、ロッテ2年目の田中晴也が満塁本塁打を被弾しながらプロ初勝利を挙げるという、日本人投手では18年ぶりの珍記録をつくった。そして、過去にも満塁本塁打をめぐる珍エピソードは数多く存在している。
NPB史上初の1イニングで満塁本塁打2本が飛び出したのが、1996年10月9日の阪神対中日だ。
両チームともにシーズン最終戦とあって、阪神はこの日を最後に現役引退する中西清起、木戸克彦のバッテリーが先発出場。1回表、中西が3者凡退に抑えて有終の美を飾ると、その裏、無死満塁のチャンスに、「陽気な木戸さんがいなくなるのは寂しい。(2人の)ラストゲームなので燃えました」という4番・新庄剛志が、中日の先発・金森隆浩から中越えに先制の満塁弾を放った。
勢いに乗った猛虎打線は、さらに四球と関川浩一、現役最終打席の木戸の連打で一死満塁と攻撃の手を緩めず、中西に打順が回ってきた。
中西はすでに“お役御免”になっているので、当然代打だ。4年目の若手捕手・塩谷和彦の名が告げられた。その塩谷が、金森から左越えにプロ初アーチとなる満塁本塁打。1イニングに満塁弾2発で一挙8得点のビッグイニングとなった。
ちなみに1イニングに満塁本塁打2発を被弾した金森は、前年にドラフト1位で入団し、この日がプロ初先発だった。史上初のワースト記録に、「緊張したわけじゃないんですけど、ボールに切れがなかった」と肩を落とすばかり。星野仙一監督に「2度とオレの前に顔を出すな!」と言い渡されたという話も伝わっており、その後、1軍の試合に1度も登板することなく終わっている。
同一投手が1イニングに2本の満塁弾を浴びたのは、これまでに4例あるが、第2号となったのが、現ロッテ監督の吉井理人だ。
オリックス時代の2007年4月1日の楽天戦、先発・吉井は0-0の3回二死満塁でホセ・フェルナンデスに左越えのグランドスラムを許したあと、草野大輔は死球、鷹野史寿は中前安打、ケビン・ウィットは四球で、再び満塁。ここで山崎武司に、この回2本目の左越え満塁弾を浴び、悪夢の8失点KOとなった。
ところが、この日の吉井は、フェルナンデスに最初の満塁本塁打を打たれる前の二死二塁で、高須洋介の三ゴロをグレッグ・ラロッカがお手玉してエラーが記録されていたことから、まさかの自責点ゼロ。思わず「エーッ、嘘!」と言いたくなるようなエイプリルフールの珍事だった。
試合後、「2本とも失投です」と自らのミスを認めた吉井は「エラーは関係ない。ただ、(フェルナンデスに被弾後)四死球絡みで満塁までの過程が悪過ぎた。4点で止めとけば、今の打線なら逆転能力もあったのに……」と悔やむことしきりだった。
一方、勝利を決める満塁本塁打を放ち、ヒーローになったのに、思わぬアクシデントでお立ち台に上がることができなくなったのが、西武時代の細川亨だ。
2005年8月26日の楽天戦、4回に1点を先制した西武は、なおも二死満塁で、細川が有銘兼久から左越えに値千金の満塁本塁打を放った。
だが、好事魔多し。
6-2とリードした6回二死一塁、アンディ・トレーシーのファウルチップがワンバウンドして、捕手・細川の股間にヒットしてしまう。
「あんなに痛いのは初めて。当たった直後は、痛くてわけもわからないし、誰にもそばに来てほしくなかったです」と悪夢の瞬間を回想した細川は、田原晃司と交代してベンチに下がったが、試合後も痛みが治まらず、お立ち台に上がることも断念ぜざるを得なくなった。
同じ捕手出身の伊東勤監督も「意外性の男がよく打った」と褒めながらも、「今日は(攻守に)当たっている日だな」と複雑な表情だった。
西武は、翌06年8月1日のロッテ戦でも、9回に1点を勝ち越した直後、なおも一死満塁で栗山巧が、左中間席に勝利を決定づける満塁弾を叩き込んだが、打席中に右手首を痛めたため、お立ち台どころではなくなり、試合終了ととともに病院に直行(その後、骨折と判明)と、満塁弾絡みのご難が相次いだ。
一度はファウルと判定されながら、ビデオ判定で満塁本塁打を勝ち取ったのが、ロッテ・福浦和也だ。
2010年5月13日の横浜戦、1点を追う6回一死満塁のチャンスに代打で登場した福浦は、右翼ポール際に大飛球を打ち上げた。一塁に走りながら、落下点を目視していた福浦は、打球がポールの左側からスライスし、外野席に落ちたのを見届けると、「入った!」と喜びを爆発させた。
ところが、直後、工藤和樹一塁塁審がファウルをコールしたので、両膝をガクッと突き、助けを求めるようにベンチを振り返ると、阿吽の呼吸で西村徳文監督が飛び出し、同年から導入されたビデオ判定に持ち込まれた。
検証の結果、判定は本塁打に変わり、史上初の代打逆転満塁ビデオV弾に。前年までならファウルで終わっていただけに、福浦も「絶対に入っていると思っていた。“頼むぞ”という気持ちで待っていた。あれがファウルになるのとでは、チームもオレもえらい違い」と喜びもひとしおだった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
NPB史上初の1イニングで満塁本塁打2本が飛び出したのが、1996年10月9日の阪神対中日だ。
両チームともにシーズン最終戦とあって、阪神はこの日を最後に現役引退する中西清起、木戸克彦のバッテリーが先発出場。1回表、中西が3者凡退に抑えて有終の美を飾ると、その裏、無死満塁のチャンスに、「陽気な木戸さんがいなくなるのは寂しい。(2人の)ラストゲームなので燃えました」という4番・新庄剛志が、中日の先発・金森隆浩から中越えに先制の満塁弾を放った。
勢いに乗った猛虎打線は、さらに四球と関川浩一、現役最終打席の木戸の連打で一死満塁と攻撃の手を緩めず、中西に打順が回ってきた。
中西はすでに“お役御免”になっているので、当然代打だ。4年目の若手捕手・塩谷和彦の名が告げられた。その塩谷が、金森から左越えにプロ初アーチとなる満塁本塁打。1イニングに満塁弾2発で一挙8得点のビッグイニングとなった。
ちなみに1イニングに満塁本塁打2発を被弾した金森は、前年にドラフト1位で入団し、この日がプロ初先発だった。史上初のワースト記録に、「緊張したわけじゃないんですけど、ボールに切れがなかった」と肩を落とすばかり。星野仙一監督に「2度とオレの前に顔を出すな!」と言い渡されたという話も伝わっており、その後、1軍の試合に1度も登板することなく終わっている。
同一投手が1イニングに2本の満塁弾を浴びたのは、これまでに4例あるが、第2号となったのが、現ロッテ監督の吉井理人だ。
オリックス時代の2007年4月1日の楽天戦、先発・吉井は0-0の3回二死満塁でホセ・フェルナンデスに左越えのグランドスラムを許したあと、草野大輔は死球、鷹野史寿は中前安打、ケビン・ウィットは四球で、再び満塁。ここで山崎武司に、この回2本目の左越え満塁弾を浴び、悪夢の8失点KOとなった。
ところが、この日の吉井は、フェルナンデスに最初の満塁本塁打を打たれる前の二死二塁で、高須洋介の三ゴロをグレッグ・ラロッカがお手玉してエラーが記録されていたことから、まさかの自責点ゼロ。思わず「エーッ、嘘!」と言いたくなるようなエイプリルフールの珍事だった。
試合後、「2本とも失投です」と自らのミスを認めた吉井は「エラーは関係ない。ただ、(フェルナンデスに被弾後)四死球絡みで満塁までの過程が悪過ぎた。4点で止めとけば、今の打線なら逆転能力もあったのに……」と悔やむことしきりだった。
ファウルが股間にヒットして「お立ち台」に上がれず
一方、勝利を決める満塁本塁打を放ち、ヒーローになったのに、思わぬアクシデントでお立ち台に上がることができなくなったのが、西武時代の細川亨だ。
2005年8月26日の楽天戦、4回に1点を先制した西武は、なおも二死満塁で、細川が有銘兼久から左越えに値千金の満塁本塁打を放った。
だが、好事魔多し。
6-2とリードした6回二死一塁、アンディ・トレーシーのファウルチップがワンバウンドして、捕手・細川の股間にヒットしてしまう。
「あんなに痛いのは初めて。当たった直後は、痛くてわけもわからないし、誰にもそばに来てほしくなかったです」と悪夢の瞬間を回想した細川は、田原晃司と交代してベンチに下がったが、試合後も痛みが治まらず、お立ち台に上がることも断念ぜざるを得なくなった。
同じ捕手出身の伊東勤監督も「意外性の男がよく打った」と褒めながらも、「今日は(攻守に)当たっている日だな」と複雑な表情だった。
西武は、翌06年8月1日のロッテ戦でも、9回に1点を勝ち越した直後、なおも一死満塁で栗山巧が、左中間席に勝利を決定づける満塁弾を叩き込んだが、打席中に右手首を痛めたため、お立ち台どころではなくなり、試合終了ととともに病院に直行(その後、骨折と判明)と、満塁弾絡みのご難が相次いだ。
一度はファウルと判定されながら、ビデオ判定で満塁本塁打を勝ち取ったのが、ロッテ・福浦和也だ。
2010年5月13日の横浜戦、1点を追う6回一死満塁のチャンスに代打で登場した福浦は、右翼ポール際に大飛球を打ち上げた。一塁に走りながら、落下点を目視していた福浦は、打球がポールの左側からスライスし、外野席に落ちたのを見届けると、「入った!」と喜びを爆発させた。
ところが、直後、工藤和樹一塁塁審がファウルをコールしたので、両膝をガクッと突き、助けを求めるようにベンチを振り返ると、阿吽の呼吸で西村徳文監督が飛び出し、同年から導入されたビデオ判定に持ち込まれた。
検証の結果、判定は本塁打に変わり、史上初の代打逆転満塁ビデオV弾に。前年までならファウルで終わっていただけに、福浦も「絶対に入っていると思っていた。“頼むぞ”という気持ちで待っていた。あれがファウルになるのとでは、チームもオレもえらい違い」と喜びもひとしおだった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)