今季、深刻な不振が続いた西武は、8月1日、ロッテに1-4で敗れ、ついに開幕から同一カード14連敗。1965年にサンケイが中日戦で記録した13連敗を上回るNPBワースト記録になった。
過去の同一カード連敗記録では、サンケイが65年に開幕から中日に13連敗を喫している。
同年のサンケイは、前身の国鉄スワローズで開幕を迎えたが、エース・金田正一が巨人に移籍し、身売り目前の緊縮財政から宮本敏雄、町田行彦、土屋正孝らも退団。投打ともに大幅戦力ダウンするなか、4月は2勝12敗1分という惨憺たる成績に終わる。中日にも4月23日の1回戦で1-4と敗れ、ここから球史に残る連敗記録が始まった。
5月1日の2回戦も3-3の8回にアスプロ(ケン・アスプロモンテ)に決勝弾を浴びて惜敗。同10日、産経新聞とフジテレビへの経営譲渡に伴い、チーム名もサンケイスワローズに変わったが、他の4球団からは白星を挙げているのに、中日にはなぜか勝てない。
6月上旬の5試合で1分を挟んで4連敗、同29日からの3連戦も全敗して9連敗となった。さらに7月31日の11回戦では、8回まで2-1とリードし、初勝利を目前にしながら、6回から好リリーフの鈴木皖武が、9回、アスプロに痛恨の同点ソロを浴び、延長10回の末、2-4で敗れた。
翌8月1日のダブルヘッダー第1試合も、5回まで10安打を記録しながら、拙攻続きで4-9と打ち負け、11連敗。第2試合も5回まで1-0とリードも、6回に追いつかれたあと、8回に“天敵”アスプロのタイムリー二塁打で勝ち越され、1950年の国鉄(相手は松竹)、1956年の東映(相手は西鉄)と並ぶワーストタイの12連敗に。
そして、翌2日の14回戦も、サンケイは3回二死満塁のチャンスを逃し、6回無死満塁のチャンスに遊ゴロと犠飛で2点を返すのが精一杯で、2-6と完敗。ついに新記録となった。
だが、8月10日の15回戦では、0-1の4回に追いつくと、7回無死満塁のピンチを併殺で切り抜け、8回に小淵泰輔、徳武定之のタイムリーで2点を勝ち越し。ようやく長い呪縛から解き放たれた。
「開幕から」という条件を外すと、同一カードの連敗記録はさらに伸び、1955年に大洋が中日に19連敗したのが、NPB記録になる。
同年の大洋は6月前半まで中日に3勝4敗と拮抗していたが、6月28日の8回戦で0-7と完敗してから、長いトンネルに突入する。
翌29日も0-3と2試合連続完封負けを喫し、同30日も2回に1点を先制しながら、1-1の8回にリリーフ・権藤正利が打たれて逆転負け。ちなみに権藤は同年7月9日の広島戦から足掛け3年にわたってNPB最多の28連敗とすっかり勝ち運に見放されてしまう。
その後も大洋は中日に負けつづけ、最終カードとなった10月16日のダブルヘッダーも、第1試合は両チーム計10本の長打が飛び交う打撃戦の末、3-8で敗れる。第2試合も4-5の9回二死満塁のチャンスに、前年4番を打った藤井勇兼任監督自ら代打に立つも三振に倒れ、ついに19連敗となった。
大洋は翌56年も開幕から中日に7連敗し、連敗記録も2年越しで「26」まで伸びたが、4月26日の8回戦で、ルーキー・秋山登が本塁打を含む3安打、投げては6安打2失点完投と投打にわたる活躍で5-2の勝利。ようやく一矢を報いた。
一方、パ・リーグでは、1965年に東京オリオンズが4月18日の2回戦から7月28日の18回戦まで南海に17連敗したのが最長記録になる。
17連敗目の7月28日は、勝利目前からの暗転劇だった。この日31歳になったエース・小山正明は「誕生日を白星で飾りたい」と外角カーブで巧みに打ち気をそらし、4番・野村克也と無理に勝負せず、2度も歩かせるなど、8回まで2失点に抑えていた。
だが、3-2とリードの最終回にどんでん返しが待っていた。小山は先頭打者に安打を許したものの、次打者を二飛に打ち取り、一塁走者も二盗失敗で勝利まで「あと1人」。ところが、直後、イレギュラー安打を許し、二死一塁から杉山光平に2ランを浴び、まさかの逆転サヨナラ負け……。
ロッテ時代の1998年に史上最長のシーズン18連敗を記録したときも、9回二死から黒木知宏が同点2ランを浴びた“七夕の悲劇”(17連敗目)が知られているが、負の連鎖が続いているときは、“魔物”の発動率も高くなるようだ。
だが、連敗記録は翌29日に止まる。南海は開幕から12連勝中の林俊彦が先発したのに対し、東京はプロ5年目で未勝利の23歳・辻野欽也がシーズン初先発。普通に考えれば、南海が有利なはずなのだが、林は思わぬ不調で1回2失点KO。一方、「ウチのエースの人でも打たれているんだから」と気楽に投げた辻野は、適度に球が荒れていたことも幸いし、5回まで毎回の5安打を許しながらも無失点に抑える。
6回からリリーフした迫田七郎も4回を2安打無失点に抑え、完封リレーで3-0と快勝。ようやく不名誉な記録に終止符を打った。
エースをぶつけても勝てなかったのに、無名の若手投手の一か八かの起用が当たり、泥沼の連敗がストップするのだから、野球は本当にわからない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)
過去の同一カード連敗記録では、サンケイが65年に開幕から中日に13連敗を喫している。
同年のサンケイは、前身の国鉄スワローズで開幕を迎えたが、エース・金田正一が巨人に移籍し、身売り目前の緊縮財政から宮本敏雄、町田行彦、土屋正孝らも退団。投打ともに大幅戦力ダウンするなか、4月は2勝12敗1分という惨憺たる成績に終わる。中日にも4月23日の1回戦で1-4と敗れ、ここから球史に残る連敗記録が始まった。
5月1日の2回戦も3-3の8回にアスプロ(ケン・アスプロモンテ)に決勝弾を浴びて惜敗。同10日、産経新聞とフジテレビへの経営譲渡に伴い、チーム名もサンケイスワローズに変わったが、他の4球団からは白星を挙げているのに、中日にはなぜか勝てない。
6月上旬の5試合で1分を挟んで4連敗、同29日からの3連戦も全敗して9連敗となった。さらに7月31日の11回戦では、8回まで2-1とリードし、初勝利を目前にしながら、6回から好リリーフの鈴木皖武が、9回、アスプロに痛恨の同点ソロを浴び、延長10回の末、2-4で敗れた。
翌8月1日のダブルヘッダー第1試合も、5回まで10安打を記録しながら、拙攻続きで4-9と打ち負け、11連敗。第2試合も5回まで1-0とリードも、6回に追いつかれたあと、8回に“天敵”アスプロのタイムリー二塁打で勝ち越され、1950年の国鉄(相手は松竹)、1956年の東映(相手は西鉄)と並ぶワーストタイの12連敗に。
そして、翌2日の14回戦も、サンケイは3回二死満塁のチャンスを逃し、6回無死満塁のチャンスに遊ゴロと犠飛で2点を返すのが精一杯で、2-6と完敗。ついに新記録となった。
だが、8月10日の15回戦では、0-1の4回に追いつくと、7回無死満塁のピンチを併殺で切り抜け、8回に小淵泰輔、徳武定之のタイムリーで2点を勝ち越し。ようやく長い呪縛から解き放たれた。
セ・リーグの同一カード連敗記録は大洋の19連敗
「開幕から」という条件を外すと、同一カードの連敗記録はさらに伸び、1955年に大洋が中日に19連敗したのが、NPB記録になる。
同年の大洋は6月前半まで中日に3勝4敗と拮抗していたが、6月28日の8回戦で0-7と完敗してから、長いトンネルに突入する。
翌29日も0-3と2試合連続完封負けを喫し、同30日も2回に1点を先制しながら、1-1の8回にリリーフ・権藤正利が打たれて逆転負け。ちなみに権藤は同年7月9日の広島戦から足掛け3年にわたってNPB最多の28連敗とすっかり勝ち運に見放されてしまう。
その後も大洋は中日に負けつづけ、最終カードとなった10月16日のダブルヘッダーも、第1試合は両チーム計10本の長打が飛び交う打撃戦の末、3-8で敗れる。第2試合も4-5の9回二死満塁のチャンスに、前年4番を打った藤井勇兼任監督自ら代打に立つも三振に倒れ、ついに19連敗となった。
大洋は翌56年も開幕から中日に7連敗し、連敗記録も2年越しで「26」まで伸びたが、4月26日の8回戦で、ルーキー・秋山登が本塁打を含む3安打、投げては6安打2失点完投と投打にわたる活躍で5-2の勝利。ようやく一矢を報いた。
エースでも止められなかった東京の17連敗
一方、パ・リーグでは、1965年に東京オリオンズが4月18日の2回戦から7月28日の18回戦まで南海に17連敗したのが最長記録になる。
17連敗目の7月28日は、勝利目前からの暗転劇だった。この日31歳になったエース・小山正明は「誕生日を白星で飾りたい」と外角カーブで巧みに打ち気をそらし、4番・野村克也と無理に勝負せず、2度も歩かせるなど、8回まで2失点に抑えていた。
だが、3-2とリードの最終回にどんでん返しが待っていた。小山は先頭打者に安打を許したものの、次打者を二飛に打ち取り、一塁走者も二盗失敗で勝利まで「あと1人」。ところが、直後、イレギュラー安打を許し、二死一塁から杉山光平に2ランを浴び、まさかの逆転サヨナラ負け……。
ロッテ時代の1998年に史上最長のシーズン18連敗を記録したときも、9回二死から黒木知宏が同点2ランを浴びた“七夕の悲劇”(17連敗目)が知られているが、負の連鎖が続いているときは、“魔物”の発動率も高くなるようだ。
だが、連敗記録は翌29日に止まる。南海は開幕から12連勝中の林俊彦が先発したのに対し、東京はプロ5年目で未勝利の23歳・辻野欽也がシーズン初先発。普通に考えれば、南海が有利なはずなのだが、林は思わぬ不調で1回2失点KO。一方、「ウチのエースの人でも打たれているんだから」と気楽に投げた辻野は、適度に球が荒れていたことも幸いし、5回まで毎回の5安打を許しながらも無失点に抑える。
6回からリリーフした迫田七郎も4回を2安打無失点に抑え、完封リレーで3-0と快勝。ようやく不名誉な記録に終止符を打った。
エースをぶつけても勝てなかったのに、無名の若手投手の一か八かの起用が当たり、泥沼の連敗がストップするのだから、野球は本当にわからない。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)