同じ年に殿堂入りしたメジャーリーグを代表する3人の名将
MLB2014年度の殿堂入りセレモニーが現地時間7月27日にニューヨーク州クーパースタウンで開催された。今年のセレモニーでは6人の名選手、名監督が主役になった。
通算打率.301、521本塁打、ア・リーグMVP2回(1993、94年)の『Big Hurt』こと、フランク・トーマス氏。通算355勝、サイヤング賞4回(1992~95年)、巧みな投球術と制球力が『精密機械』と称されたグレグ・マダックス氏。通算305勝、サイヤング賞2回(1991、98年)のトム・グラビン氏。そして、日本人にとって非常に印象深いのは3人の名監督たちだ。
ボビー・コックス氏、ジョー・トーリ氏、トニー・ラルーサ氏。彼らの共通点はMLBを代表する名将であること、そして、3人とも日本人メジャーリーガー達がボスとして仕えていた監督であることだ。
最も馴染みがあるのは、松井秀喜がヤンキース時代の監督であったトーリ氏だろう。トーリ氏には他にも黒田博樹や斎藤隆がドジャース時代に指導を受けている。
実は輝かしいキャリアを持つジョー・トーリ
トーリ氏について、『松井秀喜の監督』というイメージはあるものの、詳しい経歴について知らない人も多いのではないだろうか。実はトーリ氏、我々が思っている以上にスゴイ人物なのである。
現役時代は二冠王を獲得した経験を持ち、2000本安打も達成。オールスターにも4年連続出場したスター選手である。現役の晩年には、なんと選手兼任監督(メッツ)まで経験するなど、経験値の高さはハンパじゃない。
ヤンキースの監督に就任した1996年、いきなりヤンキースを18年ぶりワールドシリーズ制覇へ導くと、以降12年連続でプレーオフに進出。1998年から2000年までワールドシリーズ3連覇という偉業も達成し、2007年には監督通算2000勝を成し遂げた。ちなみに、2000本安打と監督2000勝の達成はMLB史上初の快挙である。
2007年にヤンキースの監督を退任すると、翌年からドジャースの監督に就任。2011年からMLB機構副会長を務めるなど、キャリアに磨きをかけた。2012年に満を持してWBCアメリカ代表の監督に就任したが、2次リーグ敗退とキャリアに泥を塗ってしまう。とはいえ、トーリ氏が築いてきた実績はまったく色褪せない。松井秀喜が尊敬する監督と明言している通り、輝かしい実績と人柄は今も多くのニューヨーク市民に愛されている。
『ボス』というより『親分』の方がしっくりくるコックス氏
ボビー・コックス氏には川上憲伸(2009~10年)と斎藤隆がブレーブス時代に師事していた。トーリ氏と違い、現役時代に実績を残した訳ではなかったが、マイナーリーグのコーチからキャリアを重ねて、現役引退から8年後にブレーブスの監督就任。しかし、就任からの4年間は成績が奮わず、1981年に解任。翌1982年にブルージェイズの監督に就任すると、4年目に球団創設以来初となる地区優勝を果たす。しかし、プレーオフで敗退すると、ここでもまさかの解任。コックス氏の監督キャリアは順風満帆なスタートではなかった。
1986年にブレーブスのGMとして復帰すると、1990年にはGM兼任で二度目の監督就任。翌1991年にはメジャー初となる、前年最下位のチームを地区優勝まで導く見事な采配を披露。この年から3年連続で地区優勝、1994年こそ2位だったが、1995年からは11年連続で地区優勝を果たすなど、常勝軍団を築き上げた。
コックス氏の偉業で忘れてならないのは、メジャー最多の退場記録を持っていること。通算161回の退場はギネスにも掲載されている大記録だ。気にいらないことがあれば、すぐにベンチを飛び出す。そして審判に暴言を吐いて退場となる訳だが、その裏には選手を守ろうとする姿勢が滲み出ている。激情家。いや、親分という言葉の方がコックス氏には当てはまるだろうか。子分を守るために、先陣を切ってベンチを飛び出す親分。選手に愛された理由がお分かり頂けると思う。
弁護士資格を持つメジャー随一の知性派監督
最後にトニー・ラルーサ氏。同氏は田口壮(2002~2007年、カージナルス)が6年に渡り指導を受け、大きな感銘を受けたと話すメジャーきっての名将だ。
監督としての実績では、前述した2人を超える歴代3位の2728勝。2年連続シーズン100勝、両リーグでのワールドシリーズ制覇など数々の素晴らしい戦績を残した。また、2011年には、8月時点で10ゲーム以上もプレーオフ争いで引き離される絶望的な展開から、ワールドシリーズ制覇まで一気に駆け上がる離れ業を披露したかと思えば、その年のオフにいきなり勇退を発表したり、翌2012年には退任したにも関わらずオールスターで指揮を執ったり…。けっして派手な監督ではなかったが、多くのエピソードを残した愛すべき監督である。
エピソードといえば、ラルーサ氏の経歴はなかなか興味深い。故障の影響で選手としては短命に終わったが、選手時代から法科大学院に通学し弁護士資格を取得。1978年に33歳でマイナーの監督になると、なんと翌年に34歳の若さでシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任した。若くして監督業を担い、かつ成功を収めたのは、ラルーサ氏の代名詞とも言える『知性』の賜物といったところだろうか。ちなみに、ラルーサ氏が弁護士資格に合格したのは35歳の時。ホワイトソックスの監督をやりながら、法律家として資格を取得したのだから、驚きである。
長嶋茂雄、原辰徳、ジョー・トーリに仕えた松井秀喜。仰木彬、トニー・ラルーサのDNAを受け継いだ田口壮。現役を引退した彼ら二人には、日米の優秀な指導者を間近で見続けた経験を生かし、その偉大な監督たちを超える指導者になって欲しいものだ。