26歳のドラ1ルーキーは逸材そろう「88世代」!
現在、西武と4~5位を争う位置にいるロッテ。
上位進出のためには、捕手出身の伊東勤監督ならずとも、安定感ある先発投手がほしいところ。そんな期待に応えて投げているのが、ドラフト1位ルーキー・石川歩だ。ほどよく力の抜けたフォームから腕をしならせ、キレ味鋭いストレートと、コントロールよく決まる変化球を投げ込む。投げ終わってもまったくぐらつかない姿勢は、アマチュア投手のお手本にもなりそうだ。
ルーキーといっても、大学から社会人3年を経ての26歳。プロ入りまでの長い野球人生を振り返ってみよう。
石川は1988年4月生まれ、富山県魚津市出身。魚津市立本江小学校3年のとき、スポーツ少年団で野球を始めたという。魚津市立西部中学校では軟式野球部に所属。目立った成績や記録は残っていないものの思い入れは深いようで、プロ入りが決まると両校に野球道具を寄付。野球部員から石川には寄せ書きが贈られたそうだ。
中学卒業後は、富山県立滑川高校へ。3年夏はエースとなるも、3回戦で富山第一高校に敗れて甲子園への道は絶たれた。なお、この年の夏の甲子園決勝は、駒大苫小牧(南北海道)対早稲田実業(西東京)。延長15回引き分け再試合となった、田中将大(現・ヤンキース)と斎藤佑樹(現・日本ハム)の投げ合いである。1988年生まれ、いわゆる「88世代」の高校球児は、前田健太(PL学園→広島)、坂本勇人(光星学院→巨人)、吉川光夫(広陵→日本ハム)らがいて、「大豊作」といわれた年だった。なお、石川のいた北信越地区では、小松工業高校(石川)の北篤(現・日本ハム)が投打の逸材として注目を集め、秋のドラフトでは田中を抽選で外した横浜が1位で指名した。
神宮で剛速球を披露するも自信が持てずにプロ断念……
大学は地元を離れ、愛知大学野球連盟に所属する中部大学へ。大学ホームページでは高校生に向けて、「練習メニューが自分で組めるなど自由なところがいいです。自分に任せられていて、自分の伸ばしたいところが伸ばせられる点がいいと思います」と語っている。同記事によれば、練習は「夕方5時から午後7時30分まで。プラス、自主練をすることもたまに」とのことだが、当時の指導者は早稲田大OBの善久裕司監督(現・総監督)。さらに、社会人野球を経験したOBの堀田崇夫コーチ(現・監督)らがいて、短時間でも密度の濃い練習をこなしていただろうと想像できる。
石川が2年のとき、チームは春のリーグ戦初優勝。大学選手権に出場し、ベスト8に進出した。このとき、準々決勝で敗れた相手が東海大学。当時の資料を見ると、岩崎恭平(4年/現・オリックス)、伊志嶺翔大(2年/現・ロッテ)、菅野智之(1年/現・巨人)、田中広輔(1年/現・広島)らがいた。試合は0対5で敗れたが、石川は4番手として神宮球場のマウンドに立ち、146キロをマーク。「野球部にいて一番印象に残っていること」と語っている。
大学日本代表候補の強化合宿メンバーに選ばれ、翌3年秋には147キロをマーク。4年春のリーグ戦では防御率0.69。しかし、今ひとつ自信が持てなかったのか、プロ志望届を提出せず。社会人野球への道を選んだ。
社会人での挫折を経て……“強い相手”に立ち向かう!
社会人野球の強豪・東京ガスでは、1年目は結果を残せず。いわゆる「社会人の壁」にぶつかったと評された。ドラフト指名可能となった2年目は評価が高まり、ついにプロ入りと期待されたが、指名はなかった。そこで腐らず、昨夏の都市対抗でベスト8。先発として2試合に登板し、勝利に貢献した。大会後は、三上朋也(JX-ENEOS→横浜)、吉田一将(JR東日本→オリックス)、岡本健(新日鐵住金かずさマジック→ソフトバンク)らドラフト同期となる投手陣と、大会優秀選手として表彰された。
迎えた昨秋ドラフト前は、「社会人の150キロ右腕」として巨人の1位指名が報道されていた。しかし、「完投できる先発投手が欲しい」という伊東監督の意向もあり、ロッテが果敢に指名。巨人・原辰徳監督と一騎打ちとなった抽選の結果、伊東監督が右手を突き上げた。ドラフト後のコメントで「二桁勝利」を口にしたあたり、伊東監督の期待の大きさが感じられる。
今季は開幕3戦目に初登板(初先発)するも初勝利ならず。しかし、2戦目となった4月6日の日本ハム戦で、初勝利を初完投で飾った。現在はチーム防御率リーグ最下位という状況で、成瀬善久、藤岡貴裕、古谷拓哉らと共に勝ち星を重ね、二桁勝利も手が届くところにある。
中部大のホームページには、「将来はプロの野球選手になりたいと思っています。強い球団、強い相手に立ち向かっていきたいです」と語る石川の姿が残っている。ソフトバンク、オリックスの2強が立つ今季のパ・リーグ。目前の強い相手に立ち向かい、勝利をもぎ取り、ペナントレースを熱く盛り上げてほしい。
文=平田美穂(ひらた・みほ)