中日の命運を握るルーキーはお笑い芸人と共演希望!?
現在、セ・リーグで3位を争う広島と中日。実はこの2チーム、首位を争う巨人、阪神と、それほど差がついていない。これから秋に向け、順位が変動する可能性は大いにあるといえるだろう。
一日も早く上位に食い込みたい中日で、中継ぎとして欠かせない存在となっているのがルーキー・又吉克樹だ。力みのないセットポジションから投げる、やや変則のサイドスロー。140キロ台の球速以上に手元で伸びるストレートに、スライダー、チェンジアップ、シンカーなど変化球との組み立てもよく、内野ゴロを打たせ、空振りを奪い、アウトを取っていく。同じ名字のお笑い芸人「ピース」の又吉直樹と共演したいと言ってニュースになるなど、明るいキャラクターでも人気急上昇中だ。
又吉姓は沖縄に多いそうで、又吉克樹は沖縄県出身。浦添市立浦添小学校から、浦添市立浦添中学校へ。所属した軟式野球部では、全国大会や九州大会出場など目立った記録は残っていない。中学卒業後は、浦添中から数キロ離れた県立西原高校へ。硬式野球部では内野手の控えで、主に打撃投手を務めていたという。毎日多くの球数を投げるため「楽に投げられること」を追求していたという話は、中継ぎとして日々投げる現在の姿に通じるものがある。
ちなみに、又吉と同じ1990年生まれの沖縄球児といえば、2008年春のセンバツで優勝投手となった東浜巨(沖縄尚学高→亜細亜大→ソフトバンク)。うるま市立与勝中学校では、3年夏の県大会優勝、九州大会3位。全国大会出場は逃したものの(当時、九州大会2位までが全国大会出場だった)、130キロ超のストレートを投げ、最後の試合までのトータル失点1、ノーヒットノーラン2回。高校、大学での活躍はよく知られているが、その前の中学時代からスーパースターだった。
「すべて野球につながる」発想でついに能力開花の時が来た!
控えの内野手兼打撃投手として高校野球を終えた又吉は、岡山県にある環太平洋大学へ進学。2007年に開学した新しい大学で、「体育の先生になるから」と親を説得したという。内緒で入部した硬式野球部で出会った指導者が、元・サイドスローという運命の出会い。投手になることを決めた又吉にピタリとはまり、入学時120キロに満たなかった球速は、4年間で140キロを超えるようになった。さらに、「すべて野球につながる」という発想から、野球以外のスポーツに積極的に挑戦。現在も「趣味」と公言する料理にも取り組むなど、あらゆる角度から野球を考え続けた。
又吉が2年生の2010年秋、環太平洋大は明治神宮大会初出場を果たす。又吉の出場記録は残っていないが、創部4年目の全国大会出場は快挙として報道された。なお、その大会で優勝したのは早稲田大。決勝戦は、福井優也(現・広島)→斎藤佑樹(現・日本ハム)→大石達也(現・西武)の「ドラフト1位リレー」で、3年生エース・菅野智之(現・巨人)を擁する東海大を破っている。
又吉はその後も、中央球界では無名ながら、たゆまず野球に向き合ってきた。その日々が花開いたのが、大学卒業後に飛び込んだ四国アイランドリーグplusだった。プロをめざす選手が競い合う世界で、1年目から13勝4敗、防御率1.64。サイドから投げ込むストレートはMAX148キロをマーク。前期MVPと最多勝を獲得となれば、プロが放っておくわけがない。11球団から調査書が届き、「今年急成長、ストレート、クロスファイヤのボールに威力あり、即戦力として期待」(球団公式ホームページ内、ドラゴンズニュース『ドラフト会議速報』より)と評価した中日が2位指名。独立リーグからの最高位指名を受けた又吉は、「あまりにも驚いて、ただただ笑ってしまった」とコメントした。
今春キャンプでは、捕手兼任の谷繁元信監督が真っ先にブルペンで受けた。見事に信頼を勝ち得て中継ぎとして登板を重ね、「いい意味で便利屋になりたい」「中継ぎでフル回転したい」というコメント通りの活躍を続けている。現在のプロ球界では欠かせない便利屋。投手に厳しいことで有名な谷繁監督のまなざしが温かく感じられるのは、決して気のせいではないだろう。
打撃投手として投げ続けた高校時代を「あの経験があったからよかったのかも」と振り返り、「大学時代は基本、連投でしたから」とさらっと流す。沖縄生まれの便利屋・又吉克樹。厳しい残暑の中で試合が続くこれから、その存在はさらに輝くに違いない。
文=平田美穂(ひらた・みほ)