(3)機会の不平等
少年野球の大会はほとんどが「負ければ終わり」のトーナメントだ。このために各チームはベストメンバーで試合に臨む。毎週のようにトーナメント大会があるので、レギュラー選手は年間に数十試合、ときには100試合近くに出場することになる。しかし控え選手の試合出場は少ない。ベンチにも入れない選手は、試合のたびに客席で応援することになる。高校野球もそうだが、こうした機会の不平等が「野球離れ」の一因になっている。指導者は勝つために、ベストな顔ぶれをそろえたいと思う。新しい選手を抜擢するような冒険は難しい。
親にしてみれば、同じように費用負担をして、子どもが試合に出場しないのは理不尽だと感じることも多い。
シーズンが進むとレギュラー選手は疲労し、故障なども起きやすくなるが、一方でその他の選手は試合経験も積まず、座って声を出しているだけ。レギュラーと非レギュラーの格差は大きくなる一方だ。
こうした状況は、トーナメント戦中心という今の少年野球のスタイルが生んでいるといえるだろう。
(4)暴力、パワハラ
今、少年野球各団体の機関紙では、大きな紙面を割いて「暴力の排除」を打ち出している。「最近は、指導者がちょっと声を荒げると、すぐに連盟にクレームの電話がくる」と団体幹部は言う。また指導者の喫煙なども、おおっぴらにはできなくなっている。
しかし、それでも試合中に激しいヤジを飛ばす指導者は多い。また失敗した選手を叱りつける場面もよく見られる。
指導者の中には「世間がうるさいから、表立ってはおとなしく指導している」という人もいる。
スポーツにおける暴力やパワハラは、スポーツの本来の目的からは大きく外れている。いついかなる時でも、それは排除されるべきものだ。
しかし指導者の中には「時代が変わったから、仕方なく」声を荒げなくなった人も多い。また父母の中にはいまだに「厳しく指導してほしい。いうことを聞かなかったら殴ってください」という親もいる。こうした体質を変えない限り、少年野球は変わらないだろう。
なぜ暴力やパワハラがダメなのか、を指導者、親が理解しなければならないのだ。
これらの問題点は、「高校野球」が抱える問題点とほぼ同じ。少年硬式野球は、甲子園を頂点とする高校野球に進むことを最大の目標にしている。そのために「高校野球のミニチュア化」しているのだ。
この問題の根本的な解決には、高校野球の改革が不可欠だという一面もあるのだ。(取材・文、写真:広尾晃)