世界が注目する日本の「41」
いよいよ終盤戦を迎える第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。侍ジャパンは1次ラウンドから6戦全勝で勝ち上がり、決勝ラウンドへと進出。決戦の地・アメリカへと到着した。
ダルビッシュ有や田中将大ら、メジャーで活躍するエース級の投手たちの不参加にはじまり、直前の大谷翔平の離脱。過去の大会と比べてその薄さを指摘する声も少なかった投手陣であったが、そんななか一人の男が鮮烈な印象を残した。ソフトバンクの千賀滉大である。
1次ラウンドは2戦目のオーストラリア戦、2次ラウンドは初戦のオランダ戦という2試合で計4イニングを投げ、防御率は0.00。奪った三振は7つという圧巻の投球を披露。上々の“世界デビュー”を飾ると、15日に行われたイスラエル戦ではいきなりの先発抜擢。それでも首脳陣の期待に応え、5回を無失点に抑える快投で日本を決勝ラウンドへ導いた。
3度の登板で一躍世界からの脚光を浴びるようになった男...。そのキャリアを辿ってみると、元は“育成ドラフト”からプロに入った選手だった。
これぞシンデレラストーリー
1993年1月30日生まれ、24歳の右腕。プロへの門が開いたのは、2010年のドラフトだ。
当時の注目は斎藤佑樹、大石達也、福井優也のいわゆる“早大三羽烏”に集中。高校生の1位指名はと言うと、“ハズレのハズレ”だった山田哲人(ヤクルト)や、そのまたハズレの駿太(オリックス)といったところになる。
例年になく注目度の高かったドラフトであったが、千賀の名前が呼ばれたのは上述の選手たちが呼ばれたずーっと後。育成ドラフトに入り、それも4巡目での指名だった。そこに将来の日本を背負うような投手がまだ残っていたというのだから、まさにシンデレラストーリーである。
プロ入り2年目に支配下登録を受け、一軍デビューも果たすと、翌2013年には中継ぎとして51試合に登板。150キロを超える速球とフォークを武器に大ブレイクを果たしたが、肩の故障などもあってその後は結果を残せず。それでも、その期間でじっくり自分自身と向き合い、2015年にはファームで16戦9勝をマーク。先発転向への準備を着々と進めた。
そしてその成果が実を結んだのが昨季。競争を勝ち抜いてローテーション入りを果たすと、12勝3敗、防御率2.51という好成績をマーク。規定の「13勝」にあと一歩届かずタイトルは逃したが、勝率は.800を記録していた。
先発・中継ぎ共に経験していることや、外国人選手との対戦で大きな武器となる「フォーク」を持っていたこともあり、第4回WBCの侍ジャパンメンバーにも抜擢。そして今に至る、というわけだ。
2010年・ドラフト組の現在地
ここで、千賀を輩出した年:2010年のドラフト指名選手を振り返ってみよう。
【2010年ソフトバンク・ドラフト指名選手】
1位 山下斐紹(捕手/習志野高)
2位 柳田悠岐(外野手/広島経済大)
3位 南 貴樹(投手/浦和学院高)
4位 星野大地(投手/岡山東商高)
5位 坂田将人(投手/祐誠高)
<育成>
1位 安田圭佑(外野手/四国IL・高知)
2位 中原大樹(内野手/鹿児島城西高)
3位 伊藤大智郎(投手/誉高)
4位 千賀滉大(投手/蒲郡高)
5位 牧原大成(内野手/城北高)
6位 甲斐拓也(捕手/楊志館高)
代表的な選手といえば、2位入団の柳田悠岐は球界を代表するスターになった。今回のWBCは手術明けの影響もあって不参加となっているが、健康であれば間違いなくメンバー入りしていたことだろう。
6名が入団した育成指名では、千賀につづく活躍が期待される有望選手がまだいる。たとえば、千賀のひとつ後に指名された牧原大成がその一人だ。
熊本・城北高出身の牧原も千賀と同様に甲子園出場経験がなく、全国的には無名の存在。しかし、1年目のオフから育成選手にも関わらずアジアウインターリーグに派遣されるなど、首脳陣からの期待は高かった。
千賀と同じ2012年に支配下登録を受けると、そこから少しずつ出場機会を伸ばし、これまで通算106試合に出場。今季からは背番号を「36」に変更し、熾烈なポジション争いに挑む。
またその下、育成6位で指名された甲斐拓也も徐々に頭角を現しつつある選手の一人。
2人と同様、甲子園出場経験もなく無名の存在であった捕手だが、プロ入り後は三軍、二軍と着実にステップアップ。昨年は一軍で同期のドラ1である(山下)斐紹と並ぶ13試合に出場した。
今年は細川亨が抜けたこともあり、そのチャンスは拡大。このオープン戦では一軍に帯同しながら、鶴岡慎也や高谷裕亮といったベテランたちとの正捕手争いを戦っている。
今年こそ、満を持してレギュラー奪取に挑む2人にとって、千賀のこの大活躍は刺激にならないはずがない。“育成同期”に追いつけ、追い越せ...。2010年のソフトバンク・育成ドラフト組の奮闘に注目だ。