リリーフでチームを支えた武田久
季節は秋へと移り変わり、寂しい話題が聞こえてくる時期に突入した。10月1日からは各球団の戦力外通告もスタートし、慣れ親しんだチームからの退団を決意した生え抜きのベテランもいる。
日本ハムの武田久(38)がその一人。武田久は、日本ハムが東京ドームを本拠地にしていた2002年のドラフトでプロ入り。東京ドーム時代の1年目は13試合の登板にとどまったが、北海道に移転し、本拠地を札幌ドームに移してからは、「中継ぎ」や「抑え」としてチームを支えた。
北海道移転後、初優勝を飾った06年に、守護神のマイケル中村へと繋ぐセットアッパーとしてブレイク。75試合に登板して、5勝3敗40ホールド、防御率2.09の成績を残し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを手にした。守護神を任されるようになった09年には、34セーブを挙げて最多セーブのタイトルを獲得し、リーグ優勝に大きく貢献。その後、11年と12年にも最多セーブを挙げるなど、守護神としてチームに欠かせない存在として活躍した。
しかし近年は故障や不振に苦しみ、登板数が激減。14年以降は14年が9試合、15年が一軍登板なし、16年が5試合、今季もここまで7試合の登板にとどまっていた。そして5日、日本ハムが武田久の退団を発表。今後について武田久は「NPBの他11球団でのプレーを目指して練習を続けていきます」と、現役続行の意思を明らかにしている。
▼武田久
今季成績:7試 0勝0敗0S 防3.68
通算成績:534試 31勝30敗167セーブ 防2.61
低迷期の広島を支えた梵英心
広島の梵英心も退団を決意し、12年袖を通した赤いユニフォームに別れを告げることになった。
梵は05年ドラフト3位で広島に入団。1年目から遊撃のレギュラーポジションを奪い、123試合に出場して、打率.289、8本塁打、36打点の成績を残し新人王を受賞した。08年と09年は100試合未満の出場にとどまったが、10年は43盗塁をマークし盗塁王を獲得。
13年は膝の状態を考慮したこともあり、規定打席に到達しなかったが、打率.304、6本塁打、42打点の成績を残し、球団初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。特に、甲子園で行われた阪神とのクライマックスシリーズ1stステージ第2戦で魅せた三塁ベース上でのガッツポーズが記憶に残っているファンも多いのではないだろうか。
しかし、14年になると、同年にプロ入りした田中広輔が遊撃で出場する機会が増え、梵はシーズン途中に三塁へコンバート。主戦場を三塁に移した15年は、9月の月間打率.056と苦しむなど打率.237に終わる。16年はルナの加入や安部友裕の台頭などもあり、自己ワーストの7試合の出場にとどまり、リーグ連覇を達成した今季は、一度も一軍の試合に出場することなくシーズンを終えた。
▼ 梵英心
今季成績:一軍出場なし
通算成績:1096試 率.264 本74 点357
※年齢は10月5日時点