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ロッテの新指揮官が就任会見
ロッテは14日、井口資仁新監督の就任記者会見を行った。
山室球団社長は「誰よりも現時点でチームの弱点、進むべき点が分かっていると判断しました。何よりも選手との信頼関係も出来上がっており、すぐにチームを変えられると判断しています」と、今季までチームの一員だった選手を監督に抜擢した理由を説明した。
井口監督も「ファンの皆さんと優勝に向かって突き進みたい」と意気込みを語り、「ぜひ球場にお越しくだされば」と呼びかけた。また、背番号は現役時代と同じ「6」になることも発表され、新監督は早速「6」のユニフォームを掲げた。
現役時代と同じ背番号の監督
監督やコーチと言えば、二桁の大きな番号というイメージがあるが、最近では現役時代の背番号をそのままつける監督も見受けられる。昨季から監督を務めている高橋由伸監督や金本知憲監督もその1人だ。
高橋監督は巨人に入団した1998年から現役を引退する2015年まで背負い続けた「24」を、引退後も引き続き背負い続けている。また、金本監督も阪神に移籍した2003年から2012年まで背負っていた「6」を身にまとい、指揮を執っている。同じ阪神では、今季限りで退任した掛布雅之二軍監督も現役時代と同じ「31」を背負っていた。
自らつけた永久欠番
また、永久欠番となっている自身の番号を再び背負った指揮官たちもいた。
広島で2度に渡って監督を務めた山本浩二氏も、永久欠番となっている現役時代の背番号「8」をつけて指揮を執ったことがある。1986年に現役を引退したあと、1989年から1993年まで監督を務めたが、この時は「8」を2つ重ねた「88」をつけていた。しかし、2度目の監督就任となった2001年から2005年までは現役時代と同じ「8」をつけている。
永久欠番を自らがつけて復活させた野球人は山本氏だけではない。ご存知“ミスタープロ野球”こと、長嶋茂雄氏も現役時代の背番号「3」を、監督時につけた時期がある。長嶋氏は、巨人に入団した1958年から引退する1974年まで「3」をつけてプレー。引退翌年に「90」をつけて1980年まで監督を続けた。その後、1993年に2度目の監督就任を果たすと、現役時代の「3」を重ねた「33」をつけたが、FAで加入した江藤智に「33」を譲り、2000年からは「3」のユニフォームを着用した。
長嶋氏と共に巨人で戦った王貞治氏も、現役時代に背負った「1」を巨人の監督時代につけているが、同番号が永久欠番になったのは退任後になる。なお、ダイエー(ソフトバンク)の監督時代には「89」をつけていた。
「6」は継承されるのか!?
過去には落合博満氏、初芝清氏など、ロッテの名選手が背負い続けてきた背番号「6」。井口監督はこの番号を監督になっても背負うが、会見では「継承できる選手がいれば、譲る」と発言。また「現時点で(譲ることを)考えられる選手もいる」とも語った。
井口監督の下で新たな船出を迎えるロッテ。背番号「6」を背負う井口監督の采配と共に、その「6」が誰に譲られるのかにも注目したい。
▼現役時代と同じ背番号をつけた主な監督
「1」:王 貞治<巨人>(1984〜88)
「3」:長嶋茂雄<巨人>(2000〜01)
「6」:金本知憲<阪神>(2016〜)
「6」:井口資仁<ロッテ>(2018〜)
「11」:村山 実<阪神>(1970〜72,1988〜89)
「16」:川上哲治<巨人>(1961〜64)
「19」:野村克也<楽天>(2006〜09)
「24」:高橋由伸<巨人>(2016〜)
「30」:鶴岡一人<南海>(1947〜65)※兼任時代含む
「31」:掛布雅之<阪神>(2016〜17) ※二軍監督
「34」:金田正一<ロッテ>(1973〜78,1990〜91)