勝負強い打撃で貢献
DeNAの後藤武敏選手は14日、横浜市内で記者会見を開き、今季限りでの引退を改めて発表した。
横浜高から法政大を経て、2002年のドラフト自由枠で西武に入団。高校時代は甲子園で春夏連覇、大学時代は東京六大学で三冠王。さらに西武ではプロ1年目ながら開幕戦で4番を任されるなど、様々な伝説を打ち立ててきた右のスラッガー。
プロ入り後は相次ぐ故障にも苦しみ、なかなかレギュラー定着とはならなかったものの、勝負強い打撃でチームに欠かせない存在に。2008年には西武のリーグ優勝・日本一に大きく貢献している。
2012年からはトレードでDeNAに移籍。“ゴメス”の愛称で親しまれ、「後藤 武敏 G.(ごとう たけとし ごめす)」(2015年)、「後藤 G 武敏(ごとう ごめす たけとし)」(2016年)、「G. 後藤 武敏(ごめす ごとう たけとし)」(2017年)、「G 後藤 武敏」(2018年)と登録名の変更がひとつの恒例行事となって話題を集めた。
以下、会見での一問一答。
スッキリした気持ち
―― 今の気持ちは
スッキリした気持ちです。
今年1年、ダメだったら引退しようという覚悟で、
1日1日を大切にという気持ちでやってきたので。
―― 現役時代の思い出のシーン
西武では、2008年にかあちゃん(母)が亡くなって…
その年に日本一になれたこと。
日本一に貢献できたということが一番。
ベイスターズに来てからは、息子の誕生日にHRを打って、
娘に「来年は私の誕生日も」と言われていて、
ただその当日はオフだったんですけど、
その次の日にHRを打てたこと。
これが一番記憶に残っています。
“松坂世代”の一員で「幸せ」
―― 引退も増えている同世代の選手たちについて
この年までずっと切磋琢磨してやってきた。
“松坂世代”というのは世間から見てもすごく影響力があって、
“松坂世代”といえばいま何歳だ、というくらいに。
そんな世代のひとりとしていられたのは幸せなことだと思います。
―― 松坂大輔との対戦も…
松坂とは高校のときに1回だけ真剣勝負をしていて、
まっすぐって公言された上での勝負だったんですが、
1球もかすりもしなかったんですね。
今年同じリーグになったということで期待はしていたんですが…
できることなら対戦したいと思います。
―― 松坂からの言葉
きのうの試合後、「バースデー勝利おめでとう」というLINEは送りました。
試合は見れなくて、ニュースでヒーローインタビューを見たんですけど、
話している姿を見て、家で少し涙が出てきた。
本当にありがたいこと。
やっぱり対戦したいという気持ちはあるが、
対戦できても、できなくても、
昨日の言葉・気持ちで十分かなと思った。
本当に嬉しかったです。
―― 今後について
これからも野球に携われるような、
そういう仕事で恩返しができればという気持ち。
―― チームへメッセージ
去年もチーム一丸となって底力を見せた。
今年もここからが大変な勝負になってくる。
プレッシャーもかかる中、チーム一丸となって、
そこにいられない選手の分も、
チーム代表として最後まで底力を見せてほしい。
そして、最後は笑顔で終わってほしい。