「最後の巨人戦」が一つのきっかけ
中日の黄金期を支えたセットアッパー、浅尾拓也投手(34)が26日、引退会見を開いた。
浅尾は日本福祉大から2007年にドラフト3位で中日に入団。セットアッパーとして2010年・2011年の連覇に貢献し、2011年には中継ぎ投手として史上初のシーズンMVPを受賞した。しかし近年は右肩の故障に悩まされ、2016年は一軍登板なし。2017年もわずか4試合の登板にとどまっていた。
今年も開幕は二軍スタートだったが、8月14日に今季初めての1軍昇格。「去年契約更改させていただいた時、今年でダメだったらというのは常に思って二軍でプレーしてきて、一軍に上がることができて1試合1試合最後のつもりでやっていました」との決意でマウンドに登った。8月22日の阪神戦からは6戦連続無失点。走者を背負う苦しい投球も少なくなかったが、任されたイニングをなんとかゼロで切り抜けた。
しかし浅尾が引退のきっかけに挙げたのが9月16日の巨人戦。四球を挟んで3連打を浴び、3失点を喫した。「先のことを考えずにプレーしていたつもりでしたが、最後の巨人戦で3点取られた時に『あ、もうこれくらいなのかな』と」1試合1試合への思いが「引退」へと変わった。9月19日に登録を抹消され「森監督から来季に向けて頑張れと言われたのですが、自分の中で、ここ1、2年の話しではないので、自分から引退させていただきたいと話しました」と、現役生活に終止符を打つことを決めた。
幸せな野球人生が送れた
「悔いは本当にないです、中日ドラゴンズに入って、いろんな先輩からご指導いただき、同期、応援したくなるような後輩たちと出会えて本当に幸せでした。いい時も悪い時も見ていてくれたドラゴンズファンに感謝しています」とチームメートはじめ関係者、そしてファンへの感謝の気持ちを口にし、「初登板も心に残ってますし、初勝利も鮮明に覚えています、開幕投手もさせていただき、胴上げ投手もやらせていただいた、幸せな野球人生が送れたと思います」と笑顔で自身のキャリアを振り返った。
プロ生活12年、結果的にドラゴンズ一筋でキャリアを終えることなる。浅尾は「ずっと愛知県で育って、愛知県で終われることは幸せなことですし、逆にFAもとれず出る機会もなかったのでこれでよかったのかな」と、地元で現役生活を全うできる喜びを語った。
引退登板は9月29日
キャリア終盤は右肩の故障もあり、なかなか一軍の舞台で投げることが出来なかったが、「たくさんの声援をいただいていたのも球場に出たらわかりましたし、復帰登板、復帰登板と、自分がケガをすることが悪いのに、ずっと待って応援してくれていたり、ファンからの手紙を読んで、自分の活躍に励まされているという文面に逆に自分が励まされた」とファンに支えられてきた。
現役最後のマウンドは9月29日(土)の阪神戦、地元ナゴヤドームのマウンドに決まった。「ここで今までやってきたことを、今出せる自分の全力で頑張っていきたいと思います」と最後のマウンドも全力投球で投げ抜く決意だ。
「本当にプロ野球選手になれてよかった、プロ野球選手になれたからこそ出会えた人もいっぱいいますし、本当に中日ドラゴンズが好きですし、これからも応援していきたいと思います」
最後はドラゴンズへの愛情あふれる言葉で引退会見を締めくくった。