5度の優勝・2度の日本一に貢献
日本ハムの田中賢介選手(37)が25日に契約更改を行い、その後に行われた記者会見で、2019年シーズン限りで現役引退することを表明した。
田中は東福岡高から1999年のドラフト2位で日本ハムに入団。2006年にレギュラーの座を掴んでリーグ優勝・日本一に貢献すると、以降は5年連続でゴールデングラブ賞を受賞するなど、リーグを代表する二塁手として活躍。2013年からはメジャーリーグに挑戦し、マイナー契約から日本人50人目のメジャーデビューを果たしている。
2015年に古巣・日本ハムでNPB復帰を果たすと、若いチームのなかで攻守に欠かせない存在感を発揮。2016年には自身2度目となる日本一の歓喜を味わうなど、チームが北海道移転後に記録した5度のリーグ優勝と2度の日本一すべてに貢献した。
日本ハムの“東京戦士”も残りわずか
田中は1999年のドラフトでプロ入り。ドラフト2位指名ではあったが、当時は2巡目までは重複くじ引きのルールだったため、田中は日本ハム・西武・中日の3球団競合の末に日本ハムに入団した。
当時の日本ハムと言えば、まだ東京ドームを本拠地としていた時代。縦じまのユニフォームに、翼竜をモチーフにしたピンク色のマスコット「ファイティー」は一度見たら忘れられないインパクトを誇った。
北海道に移転して早15年、そんな東京時代のファイターズを知る“東京戦士”もすっかり少なくなってしまった。東京時代の日本ハムからドラフト指名を受け、今なお現役を続行している選手は以下の通り。
▼ 東京時代にドラフト指名された現役選手
実松一成(98年・1位)
田中賢介(99年・2位)
鶴岡慎也(02年・8位)
糸井嘉男(03年・自由枠)
ここでは2003年のドラフトで指名された糸井まで含めたものの、その翌年からチームは「北海道日本ハム」に生まれ変わった。ドラフト時は「日本ハム」だったが、どちらかと言えば“北海道日本ハム1期生”といった方が正しいだろう。
その糸井を除くと、いわゆる“東京戦士”は実松・田中・鶴岡の3名。彼らは全員移籍で一度はチームを離れたものの、巡り巡って現在は日本ハムに戻っている。
田中賢介の来季での引退が決まったなか、“最後の東京戦士”となるのは一体誰か。田中のラストイヤーの戦いはもちろんのこと、実松や鶴岡の動向からも目が離せない。