鳥谷敬
シートノックを受ける阪神・鳥谷=宜野座

◆ 白球つれづれ2019~第6回・阿部と鳥谷の再挑戦

 今季から古巣のポジションで再挑戦を決意した男たちがいる。巨人の阿部慎之助と阪神の鳥谷敬だ。この3月で40歳の大台を迎える阿部と6月に38歳となる鳥谷、ともに「ダメなら引退」と口にする。退路を断った壮絶な戦いでもある。

 昨年11月、阿部は秋季キャンプ中の新指揮官・原辰徳に電話を入れている。

 「最後は捕手で終わりたい」。4年ぶりの捕手復帰は直訴から始まった。

 入団時から強肩に加えて、打てるキャッチャーとしてレギュラーの定位置をつかんだ。そんな阿部に大きな曲がり角がやってきたのは2013年シーズンに発症した首痛だ。捕手というポジションは常にケガとの戦いを強いられる。阿部の場合は幾度となく打球が顔面を直撃、いくらマスクをかぶっていてもその衝撃はむち打ち症のようになって、やがて右肩痛やひざ、腰にまで広がっていった。体への負担を少なくするため、この数年は一塁に転向したが、年齢的な衰えもあり満足な成績は上げられない。チームも4年連続のV逸と扇の要を失ったチームは泥沼に沈んでいった。

◆ 後悔だけはしたくない!

 昨年秋のメディカルチェックを受けた際に肩や首の状態はかなり良化の兆しも見えるところから、古巣への復帰を決断した。とは言え、昨オフには長年西武のレギュラーを張ってきた炭谷銀仁朗をFAで獲得、阿部の後釜として期待された小林誠司もいる。過去の名声があるからといって、即スタメンに名を連ねられるほど甘くはない。むしろ「第3の捕手」として控える場面が多いと予想される。

 「もちろん、バリバリ働いてチームに貢献したいが、3番手だっていい。あと何年野球を続けられるか? その時になって後悔だけはしたくない」。少し、酷な言い方をすれば“死に場所”を求めてたどり着いた結論でもある。

 今春のグアム。かつては坂本勇人や長野久義(今季から広島へ移籍)らのスター軍団を引き連れて行った自主トレも今年は、阿部を慕う韓国人選手らがやってきただけ。例年以上の練習量をこなして臨んだ宮崎キャンプの終盤には、背中の張りを訴えて別メニューを余儀なくされた。それでも阿部の表情に悲壮感はない。与えられた場面で自分らしい仕事をする。

かつて、6億円の球界最高年俸まで上り詰めた男が15年以降はダウンの連続で今季はついに1億6000万円まで下がった。後のない阿部が目指すのは、あと1本と迫っている400本塁打でチームに開幕から勢いをもたらすこと。もちろん、その先に5年ぶりのビールかけが描かれている。

◆ 初めての挑戦!?

 沖縄・宜野座でキャンプを張る阪神にあってベテラン・鳥谷の元気がいい。こちらも、2年ぶりに慣れ親しんだショートに再挑戦を決めた。前監督である金本知憲の若返り方針もあってゴールデングラブを5度受賞した名手は古巣を追われ、昨年は三塁が主な働き場所となっていた。モヤモヤした気持ちもあったのだろう。打棒も振るわずついに足掛け15年続けてきた連続試合出場は1939試合(歴代2位)で止まった。

 「ショートはセンターラインの中心としてチームが苦しいときはプレーで引っ張る。今まではポジションを守ると考えてきたが、それがなくなったわけだからプロに入って初めての挑戦かも知れない」という鳥谷は、昨オフから体重を落とし、体の切れを出す「ショート仕様」の肉体改造にも取り組んでいる。

 「自分のパフォーマンスが出来なければ、明日辞めてもくらいの気持ちでこれまでもやってきた。辞める怖さはない」。遊撃の定位置争いは北條史也やドラフト3位入団の木浪聖也らの若手との勝負だが、こちらはまだまだ3番手に甘える気はない。

 数々のタイトルに輝き、栄光を身に纏った男でも白球人生の終幕は必ず来る。死を覚悟した名選手たちの古巣挑戦は、秋にどんな答えを出すのだろうか?

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)

【荒川和夫・プロフィール】
1975年スポーツニッポン新聞社入社。野球担当として巨人、西武、ロッテ、横浜大洋(現DeNA)等を歴任。その後運動部長、編集局長、広告局長等を経て現在はスポーツライターとして活動中。

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荒川和夫

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