思い出の瞬間は「今」
今季限りで現役引退することを表明している巨人の阿部慎之助選手(40)が25日、都内で引退会見を行った。
「このような素晴らしい会場を用意していただいて、球団各位の皆様ありがとうございました。報道陣の方々も、これだけたくさんお集まりいただき、ありがとうございます。そして昨夜、甲子園でのジャイアンツファン、タイガースファンの皆さんの“慎之助コール”、本当に感動しました。ありがとうございます。また、粋な計らいをしていただいた矢野監督、そして藤川投手にも、この場を借りて御礼申し上げます」
まずは、たくさんの“感謝”から会見をスタートさせた阿部。しんみりすることはなく、持ち前の笑顔で質問者とのやり取りが進行していく。
現在の心境については、「突然だったので、びっくりさせて申し訳ない」と謝罪しつつ、ユニフォームを脱ぐという決断に至った経緯を説明。現役生活で思い出に残ったシーンについては「今ですかね」と語り、「まさかこういう風に記者会見を盛大に行えるとは思っていなかった。今が最高の思い出です」と最高の笑顔を見せた。
引退会見・一問一答
―― 現在の心境
そうですね。
突然だったので、皆さんをびっくりさせて申し訳ないなと。
―― 引退を決めたタイミング
神宮の初戦(22日)、その練習の時に。
原監督と話す機会がありまして、そこで思っていることがお互い一致した。
そこで決まりました。
―― どんなやり取りを?
なんだろう、なんて言ったらいいんだ?
監督の意向をお聞きして、自分も同じことを思った。
すごく僕の将来のことや、いろいろなことを、
僕が思っている以上に原監督が考えてくださっていた。
そこで、自分も納得できたというか。
―― まず報告したのは?
とりあえず、家族ですね。
ビックリしていました。
子供たちはピンと来てなかったかな。
「もうやめるね」って言ったら、
「来年、野球見に行きたいときはどうするの?」って(笑)
「パパはもういないよ」って言って。
たぶん、ピンと来ていなかったと思います
―― 家族への想い
たくさん肩身の狭い思いもさせてしまったかな、と。
そう感じたこともある。
「阿部慎之助の息子・娘」だからというプレッシャー。
もしかしたらあったのかな、とかも。
子供たちは去年・おととしくらいから、
僕がプロ野球選手だということ理解していて、
「なんで打てないんだ」とかも言っていただいて(笑)
それで奮起できた部分もあったので、とても感謝しています。
―― 優勝した、というのは大きかった?
優勝もしましたし、
自分のことですけど、節目の400号も打てましたし。
一番は坂本(勇人)が主将になって優勝できた。
ある意味、それで僕も荷が下りたかな、と。
そんな部分もありました。
―― 現役生活、思い出のシーンは?
今ですかね。
まさかこういう記者会見を盛大に行えるとは思っていなかったです。
引退を決めて、自分がしゃべっているのを想像できなかった。
今が最高の想い出かな、と思います。
―― 晩年はケガとの戦いも
そこは悔しかった。
やるといって捕手ができなかったりして、
そこはご迷惑をおかけしたな、と…。
―― それでも続けてこられた原動力、力の源は?
誰よりも野球が好き。
それが原動力でしたね。
―― 振り返ってみて自身の数字で誇れるものは?
2000本、安打を打たれた方はたくさんいるかと思うんですけど、
足が遅いもので、一番内野安打が少ないんじゃないかなと。
それはすごく価値があるんじゃないかな、と思ってます。
―― ファンの存在
先ほど、「野球が好き」というのが原動力だと言ったんですけど、
加えて、ここ数年は代打が多かったですけど、
その時の声援というのは身震いするぐらいのもので、
毎回感動させてもらっていた。
それがあったからこそ「よし!」という気になっていましたし、
本当にありがたかったです。
―― 捕手というポジションへの想い
キャッチャーだったからこそ、ここまで打てたと思う。
配球の勉強だったり、そういうのが身になって、
そこから打席で考えたりできるようになった結果がこうなったかなと。
―― 今後のビジョンについて
現時点では、これからもっと大事なゲームがあるので、
今そこは考えないようにしています。
身近な、大事な試合に集中すること。
なにか進展があれば、ちゃんとお伝えします。
―― ファンへメッセージ
19年間いろいろなことがあって、
話していたらあしたの朝になっちゃうんじゃないかな、というぐらい。
球場に足を運んでいただいたり、
打てないときでも応援していただいたり。
そういうサポートがあって、19年もできたかなと思います。
でも、これからが本当の戦い。
巨人が日本シリーズに出れるように、最後振り絞って戦うので、
ファンの皆さんも応援していただけたらと思います。