話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、2007年に53年ぶりの日本一を達成した、中日ドラゴンズ・落合博満監督(当時)にまつわるエピソードを取り上げる。
4月2日、かつてニッポン放送の昼のワイド番組だった『のってけラジオ』が、1日限りの特番として10年ぶりに復活しました。筆者もスタッフの一員でしたので、久々に参加させてもらいましたが、テリー伊藤さん・林家たい平さんの名コンビが、とても10年ぶりとは思えない絶妙な掛け合いを披露。つい往時を思い出してしまいました。
1998年~2010年まで、12年続いた『のってけラジオ』は、テリーさんが大の巨人ファン(特にミスター・ジャイアンツ=長嶋茂雄ファン)ということもあって、野球関係者がよくゲストに来てくれました。
ミスターはもちろん、王貞治さん(テリーさんは早実の後輩でもあります)、金田正一さん、野村克也さん……こんなに球界のレジェンドたちが集ったラジオ番組も珍しいのではないでしょうか。野球好きの私にとっては、まさに“至福の番組”でした。
先日このコラムで、筆者が野村克也さんをアテンド。「昭和~平成・最強ベストナイン」を選んでいただいた話を書きましたが、もう1つ、忘れられない思い出があります。
2007年のシーズンオフ、中日・落合博満監督(当時)と信子夫人が揃ってゲストで登場。アテンド役を仰せつかったのです。
実は、この年のシーズン中に、信子夫人が単独で『のってけ』にゲスト出演。その際、テリーさんが「今度はぜひ落合監督も……」とリクエストすると、「中日が日本一になったら、主人を連れて来ます!」と約束してくれたのです。
その後に行われた日本シリーズで、中日は日本ハムを破り53年ぶりの日本一を達成。落合監督には番組出演のオファーが殺到していたはずですが、信子夫人は「のってけ優先」でスケジュールを調整。しっかり約束を果たしてくれました。
ニッポン放送の応接室で落合夫妻を前にして、いや、緊張したのなんの。落合監督はマスコミに対しても厳しく「プロであること」を要求します。ぬるい質問などしようものなら、プイッとソッポを向かれてしまうのでは……と、実は内心ビクビクしていました。
ところが……軽く番組の流れを説明しつつ、いざ野球の話になると、こちらが驚くほど何でも話してくれた落合監督。オフシーズンの気安さもあったのでしょうが、「ああ、この人は根っから野球が好きなんだ」と嬉しくなったのを覚えています。
日本シリーズの話、オフの補強の話(西武から和田一浩をFAで獲得)から、普段の夫婦生活やプライベートの話など、ひと通り事前に伺ったあと、当時、どうしても聞きたかった質問をぶつけてみました。
2007年、巨人はリーグ優勝を飾りながら、この年から始まったクライマックスシリーズで2位・中日に3連敗(当時のファイナルステージは、先に3勝した方が勝ち抜け)。ストレート負けで日本シリーズ進出を逃すという屈辱を味わいました。
そんなこともあって巨人フロントは、オフになりふり構わぬ補強に出ます。セ・リーグのライバル球団で活躍していた外国人選手を、3人も引き抜いたのです。
ヤクルトから、この年16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲ったエース・グライシンガーと、シーズン204安打&打点王に輝いた主砲・ラミレスを獲得。さらに横浜から、守護神・クルーンまで引き抜きました。
同一リーグからの“仁義なき補強”も、打倒中日に燃えていたからこそ。落合監督に「巨人の外国人トリプル補強、脅威じゃないですか?」と訊いてみると、意外や意外。
「いや。そんなもの、全然脅威じゃないです」と即答でした。その心は?
「あのね、野球ってのは、9人でやるものなの。ラミレスはレフトしか守れない。となると、外野の枠が1つ減るよな。巨人には、外野のレギュラーを狙えるいい若手がいっぱいいるのに、そいつらのチャンスがグッと減るじゃない?」
「ピッチャーだってそう。グライシンガーを獲ったら、先発の枠が1つ減る。さらにクルーンを獲ったんで、上原(浩治、2007年はチーム事情でクローザーを担当)が先発に戻るから、2つ減るわけだ。ローテーションを狙う若手は、どんな気持ちになる?」
……言われてみれば、ごもっとも。そうか、“オレ流視点”だとそうなるのか。
「足りないところを補うから“補強”と言うんであって、すでにいい選手がいるところに、ヨソから選手を持って来るのは補強じゃない。だから、全然怖くないです」
そう明快に答えられると、別の質問をしてみたくなりました。では、巨人は中日を倒すために、どういう補強をすべきだったのか?
「もし、落合さんが巨人の監督だったら、どこを補強しますか?」……これも即答でした。
「ショートですよ」
言われて、思わず納得。というのも、巨人vs中日のクライマックスシリーズを観ていて、中日の攻撃の際「やたらとセンターに打球が抜けて行くなあ」と思っていたからです。
当時、巨人のショートを守っていたのは、脚に故障を抱えている二岡智宏でした。
二岡の守備範囲の狭さは、巨人の致命的な穴になる。ならば、センター返しでそこを突け……落合監督は、そんな指示を出していたのかもしれません。
「ウチの井端(弘和)だったら、あんなのはほとんど守備範囲ですよ」
「もし来年(2008年)も二岡がショートを守るなら、巨人はまったく怖くない」とまで言い切った落合監督。そんなこともあって、翌2008年の開幕戦オーダーには注目していたのですが、巨人・原辰徳監督がショートに据えたのは二岡でした。
「てことは、中日優勝か?」と思いましたが、相当無理をしていたのでしょう。この開幕戦で、二岡は肉離れを発症。原監督はやむなく、代役に2年目の若手を抜擢します。その選手こそ、そう……坂本勇人です。
坂本のその後の活躍は、ご存じの通り。持ち前の野球センスを発揮してショートのレギュラーを奪い、二岡は復帰後、サード転向を余儀なくされました。こうして守備の“穴”が埋まった巨人は、2008年のペナントレースを制覇。翌2009年も優勝し、リーグ3連覇を果たしたのです。結果的に“落合予言”の正しさを知り、背中がゾクッとした筆者でした。
もっとも、負けっ放しで済ませる落合監督ではありません。選手の適性を見極めて、“適材適所”の起用でチーム力を底上げ。2010年・2011年とチーム史上初の連覇を果たし、巨人から覇権を奪い返した落合監督。他にもまだまだ興味深い話を伺いましたが、それはまた別の機会に……。
4月2日、かつてニッポン放送の昼のワイド番組だった『のってけラジオ』が、1日限りの特番として10年ぶりに復活しました。筆者もスタッフの一員でしたので、久々に参加させてもらいましたが、テリー伊藤さん・林家たい平さんの名コンビが、とても10年ぶりとは思えない絶妙な掛け合いを披露。つい往時を思い出してしまいました。
1998年~2010年まで、12年続いた『のってけラジオ』は、テリーさんが大の巨人ファン(特にミスター・ジャイアンツ=長嶋茂雄ファン)ということもあって、野球関係者がよくゲストに来てくれました。
ミスターはもちろん、王貞治さん(テリーさんは早実の後輩でもあります)、金田正一さん、野村克也さん……こんなに球界のレジェンドたちが集ったラジオ番組も珍しいのではないでしょうか。野球好きの私にとっては、まさに“至福の番組”でした。
先日このコラムで、筆者が野村克也さんをアテンド。「昭和~平成・最強ベストナイン」を選んでいただいた話を書きましたが、もう1つ、忘れられない思い出があります。
2007年のシーズンオフ、中日・落合博満監督(当時)と信子夫人が揃ってゲストで登場。アテンド役を仰せつかったのです。
実は、この年のシーズン中に、信子夫人が単独で『のってけ』にゲスト出演。その際、テリーさんが「今度はぜひ落合監督も……」とリクエストすると、「中日が日本一になったら、主人を連れて来ます!」と約束してくれたのです。
その後に行われた日本シリーズで、中日は日本ハムを破り53年ぶりの日本一を達成。落合監督には番組出演のオファーが殺到していたはずですが、信子夫人は「のってけ優先」でスケジュールを調整。しっかり約束を果たしてくれました。
ニッポン放送の応接室で落合夫妻を前にして、いや、緊張したのなんの。落合監督はマスコミに対しても厳しく「プロであること」を要求します。ぬるい質問などしようものなら、プイッとソッポを向かれてしまうのでは……と、実は内心ビクビクしていました。
ところが……軽く番組の流れを説明しつつ、いざ野球の話になると、こちらが驚くほど何でも話してくれた落合監督。オフシーズンの気安さもあったのでしょうが、「ああ、この人は根っから野球が好きなんだ」と嬉しくなったのを覚えています。
日本シリーズの話、オフの補強の話(西武から和田一浩をFAで獲得)から、普段の夫婦生活やプライベートの話など、ひと通り事前に伺ったあと、当時、どうしても聞きたかった質問をぶつけてみました。
2007年、巨人はリーグ優勝を飾りながら、この年から始まったクライマックスシリーズで2位・中日に3連敗(当時のファイナルステージは、先に3勝した方が勝ち抜け)。ストレート負けで日本シリーズ進出を逃すという屈辱を味わいました。
そんなこともあって巨人フロントは、オフになりふり構わぬ補強に出ます。セ・リーグのライバル球団で活躍していた外国人選手を、3人も引き抜いたのです。
ヤクルトから、この年16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲ったエース・グライシンガーと、シーズン204安打&打点王に輝いた主砲・ラミレスを獲得。さらに横浜から、守護神・クルーンまで引き抜きました。
同一リーグからの“仁義なき補強”も、打倒中日に燃えていたからこそ。落合監督に「巨人の外国人トリプル補強、脅威じゃないですか?」と訊いてみると、意外や意外。
「いや。そんなもの、全然脅威じゃないです」と即答でした。その心は?
「あのね、野球ってのは、9人でやるものなの。ラミレスはレフトしか守れない。となると、外野の枠が1つ減るよな。巨人には、外野のレギュラーを狙えるいい若手がいっぱいいるのに、そいつらのチャンスがグッと減るじゃない?」
「ピッチャーだってそう。グライシンガーを獲ったら、先発の枠が1つ減る。さらにクルーンを獲ったんで、上原(浩治、2007年はチーム事情でクローザーを担当)が先発に戻るから、2つ減るわけだ。ローテーションを狙う若手は、どんな気持ちになる?」
……言われてみれば、ごもっとも。そうか、“オレ流視点”だとそうなるのか。
「足りないところを補うから“補強”と言うんであって、すでにいい選手がいるところに、ヨソから選手を持って来るのは補強じゃない。だから、全然怖くないです」
そう明快に答えられると、別の質問をしてみたくなりました。では、巨人は中日を倒すために、どういう補強をすべきだったのか?
「もし、落合さんが巨人の監督だったら、どこを補強しますか?」……これも即答でした。
「ショートですよ」
言われて、思わず納得。というのも、巨人vs中日のクライマックスシリーズを観ていて、中日の攻撃の際「やたらとセンターに打球が抜けて行くなあ」と思っていたからです。
当時、巨人のショートを守っていたのは、脚に故障を抱えている二岡智宏でした。
二岡の守備範囲の狭さは、巨人の致命的な穴になる。ならば、センター返しでそこを突け……落合監督は、そんな指示を出していたのかもしれません。
「ウチの井端(弘和)だったら、あんなのはほとんど守備範囲ですよ」
「もし来年(2008年)も二岡がショートを守るなら、巨人はまったく怖くない」とまで言い切った落合監督。そんなこともあって、翌2008年の開幕戦オーダーには注目していたのですが、巨人・原辰徳監督がショートに据えたのは二岡でした。
「てことは、中日優勝か?」と思いましたが、相当無理をしていたのでしょう。この開幕戦で、二岡は肉離れを発症。原監督はやむなく、代役に2年目の若手を抜擢します。その選手こそ、そう……坂本勇人です。
坂本のその後の活躍は、ご存じの通り。持ち前の野球センスを発揮してショートのレギュラーを奪い、二岡は復帰後、サード転向を余儀なくされました。こうして守備の“穴”が埋まった巨人は、2008年のペナントレースを制覇。翌2009年も優勝し、リーグ3連覇を果たしたのです。結果的に“落合予言”の正しさを知り、背中がゾクッとした筆者でした。
もっとも、負けっ放しで済ませる落合監督ではありません。選手の適性を見極めて、“適材適所”の起用でチーム力を底上げ。2010年・2011年とチーム史上初の連覇を果たし、巨人から覇権を奪い返した落合監督。他にもまだまだ興味深い話を伺いましたが、それはまた別の機会に……。