史上2人しかいない「50勝&1000本安打」の元祖二刀流
4月9日、プロ野球界に大きな足跡を残した巨星がこの世を去った。大洋、ヤクルトで監督を務め2003年に野球殿堂入りを果たした関根潤三氏である。
関根氏は日大三中(現日大三高)から法政大へと進学し、2リーグ制初年度となる1950年に投手として近鉄へ入団。初年度は4勝12敗、防御率5.47とプロの洗礼を浴びたが、1953年からは3年連続で2桁勝利をマークするなど、1956年までに通算65勝を挙げている。
そして、1957年のシーズン開幕直後に野手転向を直訴。以降は外野手としてプレーし、1962年には打率.310(465-144)を記録するなど通算1137安打を記録した。
投手としてプロ入りした後に、打撃を買われて野手へ転向するパターンは近年でも珍しくない。現役選手だと糸井嘉男(阪神)や雄平(ヤクルト)、木村文紀(西武)らがそうだ。しかし、関根氏のように1シーズンのうちに2桁勝利をマークしたことはなかった。
日本で50勝以上かつ1000本安打以上を記録しているのは、1940年代から活躍していた初代“ミスタードラゴンズ”こと西沢道夫氏(60勝・1717安打)と関根氏のふたりだけ。同一シーズンに二刀流でプレーする大谷翔平(現エンゼルス)とは少し異なるものの、50年以上も前に本格的な二刀流は誕生していたということである。
オールスターゲームにも投手、外野手の双方においてファン投票で選出されていることからも、投打ともレベルの高かったことがよくわかる。
監督時代には高木豊、池山隆寛らを育てる
現役引退後は広島、巨人でコーチ、二軍監督を歴任。広島時代には山本浩二氏、巨人時代には篠塚利夫氏(現:篠塚和典)や西本聖氏といった後の中心選手を指導している。その後、1982年から3年間に渡って大洋(現DeNA)、その後1987年から3年間ヤクルトで指揮を執った。
一軍監督のキャリア通算6年間でAクラス入りは1度だけだったが、大洋では高木豊氏、ヤクルトでは池山隆寛氏、広澤克実氏、伊東昭光氏らを中心選手へと育成し、野村克也氏が率いるヤクルト黄金時代の土台をつくった。自身も「ぼくは勝負する監督じゃない。育てる監督」と常々語っていたことから、“育成”への思いがうかがえる。
そのヤクルトは、今年から関根氏以来31年ぶりとなる投手出身の指揮官・高津臣吾が監督に就任した。ヤクルトが球団の親会社となった1970年以降、実は投手出身の監督がAクラス入りを果たしたことは1度もない。前身球団を含めても、1961年に砂押邦信氏(NPB未経験)が3位を記録しただけなのだ。
関根監督のように若手を育てつつ、多くの勝利を掴み取る──。伸び盛りの選手を多数抱える高津ヤクルトにとっては、これが最高の弔いとなるはずだ。
関根潤三・通算成績
【野手】
1417試合 打率.279(4078-1137) 本59 打点424 盗塁30
【投手】
244試合(1345.1回) 65勝94敗 防御率3.43
【監督】
1982年 5位 大洋
1983年 3位 大洋
1984年 6位 大洋
1987年 4位 ヤクルト
1988年 5位 ヤクルト
1989年 4位 ヤクルト
ヤクルト・歴代監督
・関根潤三(1987~1989年)・野村克也(1990~1998年)
・若松 勉(1999~2005年)
・古田敦也(2006~2007年)
・高田 繁(2008~2010年)
・小川淳司(2011~2014年)
・真中 満(2015~2017年)
・小川淳司(2018~2019年)
・高津臣吾(2020年~)