フォーカス・レコードホルダー ~防御率(通算)~
「新型コロナウイルス」の問題で未だ開幕の見通しが立っていないプロ野球。前に進むことができない今こそ、過去の偉大な記録にフォーカスを当てて振り返ってみよう……ということで始まったのがこの企画。
その名の通り、過去の記録にスポットを当て、“歴代No.1”の記録を持っている選手を中心に振り返ろう、というのがテーマ。ここで取り上げるのは「通算防御率」。早速だが、NPBの歴代トップ10を見てみよう。
▼ 歴代最高記録・防御率(通算)
2位 1.96 野口二郎 [1939~1952]
3位 1.98 稲尾和久 [1956~1969]
4位 1.99 若林忠志 [1936~1953]
5位 2.088 ヴィクトル・スタルヒン [1936~1955]
6位 2.092 村山 実 [1959~1972]
7位 2.18 別所毅彦 [1942~1960]
8位 2.230 荒巻 淳 [1950~1962]
9位 2.232 杉下 茂 [1949~1961]
10位 2.34 金田正一 [1950~1969]
プロ野球史上初の完全試合達成者
打者の打率と同じように、歴代防御率の記録には「2000イニング以上」という規定が設けられていて、そのなかで防御率1点台を記録した投手は4人。その頂点に君臨するのが、藤本英雄という投手である。
1リーグ時代の1942年に巨人でプロデビューを飾ると、1年目から10勝負けなし、防御率0.81という大活躍。翌年にはノーヒットノーランも達成するなど絶好調で、56試合に登板して34勝11敗。432回と1/2を投げて防御率0.73という目を疑うような成績を残し、「最多勝利」「最優秀防御率」「最多奪三振(253個)」「最高勝率(.756)」「最多完封(19完封)」の“投手五冠”を成し遂げた。
1943年の「0.73」は、今なお残る防御率のシーズン記録でもある。その後も1946年・1949年に最優秀防御率のタイトルを獲得し、1950年にはプロ野球史上初となる完全試合も達成。キャリアの途中には戦争に巻き込まれ、人員不足のために25歳の若さで選手兼任監督となった時期もあったが、そんな不安定な時期を乗り越え、実働13年・367試合の登板で200勝を記録したのはまさに大偉業である。
ちなみに、「2000投球回以上を投げて防御率1点台」というのは、1969年に現役を引退した稲尾和久を最後に50年以上も出ていない。
近いところで「通算防御率1点台」を探して見ると、現在はメジャーリーグに活躍の場を移しているダルビッシュ有のNPB通算防御率が「1.99」。2007年から5年連続のシーズン防御率1点台を経て渡米した右腕だが、NPBでの投球回数は1268.1回だった。
ここからは完全な妄想になるが、もしもダルビッシュがメジャーに挑戦していない世界線があったとして、ケガなくキャリアを順調に歩み、毎年200イニングを投げたとしたら…?2015年、29歳の年には規定の2000投球回に届いていたことになる。キャリアとしてはまさしく絶頂期、もしかすると“トップ4”に割って入っていたかもしれない。
また、「2000投球回」は過去89人が達成しているが、現役でこれに手が届いているのは石川雅規(ヤクルト)と涌井秀章(楽天)の2人だけ。内海哲也(西武)が1969回、岸孝之(楽天)が1950回、金子弌大(日本ハム)は1935回1/3と視界に捉えている選手もいるが、近年は達成者も少なくなってきた。
規定に達するのも困難な時代になっているなか、これから通算防御率1点台の扉を開ける選手は現れるのだろうか。
▼ 藤本英雄・年度別防御率
1942年:0.81(111.0回/自責10)
1943年:0.73(432.2回/自責35)
1944年:1.59(169.2回/自責30)
1946年:2.11(217.1回/自責51)
1947年:1.83(275.0回/自責56)
1948年:1.72(131.0回/自責25)
1949年:1.94(288.0回/自責62)
1950年:2.44(360.1回/自責98)
1951年:3.13(206.1回/自責72)
1952年:2.36(213.2回/自責56)
1953年:2.08(198.2回/自責46)
1954年:5.85(19.2回/自責13)
1955年:0.00(5.0回/自責0)
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[通算] 防御率1.90(2628.1回/自責554)