「2代目若大将」が不動の4番へ…
月が変わって8月。いつもより約3カ月遅れてスタートしたプロ野球の2020年シーズンも、全チームが日程の4分の1を消化した。
セ・リーグで好調なのが、連覇を目指す王者・巨人。35試合を終えて22勝11敗2分と2ケタの貯金をつくり、2位とは4.5ゲーム差。早くも抜け出そうとしている。
好調なチームの中で存在感を放っているのが、4番にどっしりと構える岡本和真だ。
昨季も開幕から4番を任されていたが、不調などでその座を明け渡すこともあった。それが今季は全35試合に4番で出場し、打率.308で本塁打はリーグトップを独走する14本。打点37もトップと1差の2位と、またひと回り大きく成長した姿を見せつけている。
これまでは「ビッグベイビー」と呼ばれていた和製大砲だが、今年は原辰徳監督から直々に「2代目若大将」を襲名。若き大砲から押しも押されもせぬチームの主砲へ、今季はその座を確立することが求められたシーズンだった。
新型コロナウイルスの影響で想定外の事態が続出した中、ここまでの歩みは順調そのもの。年間を通して4番の座を守り、どんな成績を残すのか。ファンの期待は日々膨らんでいる。
そこで今回は、厳しい目で見られがちな“名門チームの4番”にフォーカス。伝統の巨人軍において、「1年を通して4番を守り続けた選手」が過去にどれだけいたのかを調べてみた。
4人の伝説の打者たち
新たな選手が4番に入ると、“第○代四番打者”という書かれ方をする巨人の4番。ちなみに、岡本は“第89代”にあたり、岡本の後に4番に入った選手はまだいない。
日本プロ野球がスタートした1936年から2019年まで、巨人で4番を任された総勢89人(※試合途中からの出場を除く)のうち、ポストシーズンを除くレギュラーシーズンの公式戦に4番で全試合出場を果たした選手とは…?
該当者は以下の通り。
▼ 巨人・シーズン全試合4番出場達成者
1. 中島治康(1937春・1938春)
2. 川上哲治(1949)
3. 松井秀喜(2000・2001・2002)
4. アレックス・ラミレス(2009・2010)
球団創設86年という長い歴史の中で、その年の公式戦全てで4番を任されたのはたったの4人。
巨人で初めて「シーズン全試合4番出場」を果たしたのは、1リーグ時代に活躍した“第3代4番”の中島治康。中島は1937年春季と1938年春季に公式戦全試合で4番を任されており、当時はまさに「不動の四番」だった。
「打撃の神様」の異名を持つ川上哲治も、1949年に公式戦全試合で4番に立っている。しかし、意外にも全試合4番スタメン出場はこの1年だけ。一方で、全試合4番出場“未遂”は1941年・1947年・1954年と3度もある。1941年は中島治康、1947年は小松原博喜、1954年は手塚明治が、それぞれ1試合だけ川上に代わって4番に入った。
次に全試合4番スタメン出場選手が登場したのは、川上の達成から約半世紀が過ぎた2000年のこと。球界を代表するスラッガーに成長した松井秀喜が、135試合・全イニングで4番を打った。松井はその後も2001年・2002年と3年連続で全試合4番に座り、その間に首位打者1回、最多本塁打は2回、最多打点も2回、さらに最高出塁率も2回と、数々のタイトルを獲得した。
2007年オフにヤクルトから加入したアレックス・ラミレスは、助っ人では最多となる511試合で4番を任された選手。2009年と2010年は4番として全試合にスタメン出場を果たした。また、416試合連続での4番スタメンという記録もマークしており、これは松井の415試合を上回って球団最多である。
ONコンビや初代若大将も達成していない
巨人には王貞治や長嶋茂雄といった球史に残る大打者が在籍したが、意外にも1年を通して4番に座り続けたことはない。というのも、2人が共に在籍していた時代は、両者が3番と4番で入れ替わることが多かったからだ。
また、王が頭角を現す以前は、国松彰や坂崎一彦が長嶋に代わって4番を打つことがあった。長嶋の引退後も、王の代わりに張本勲などが4番に座ることがあり、長嶋も王も「年間を通して4番を打つ」ということがなかった。
そして、現指揮官であり初代の若大将である原辰徳も、川上・長嶋・王に次ぐ1066試合で巨人の4番の座を張ったが、こちらも“年間を通して”というこの記録とは縁がない。
長い球団史の中でわずか4人しか成し遂げていない偉業。ここまで絶好調の岡本和真は、5人目の打者として歴史にその名を刻むことができるのか。
2代目若大将による“初代超え”への挑戦から、目が離せない。
文=中田ボンベ@dcp