プロ初本塁打を放ち、チームメイトに迎えられる渡辺勝 (C) Kyodo News

◆ 「僕は荒川さんありき」

 「12番目の男」──。

 一本足打法で投手に挑む球界の絶滅危惧種が、竜の連敗を止めた。

 8月17日の広島戦(バンテリン)。6連敗で臨んだ一戦に「2番・左翼」で先発出場したのが、プロ6年目の渡辺勝だ。

 広島先発・森下暢仁から先制の適時打を放つと、8回にはケムナ誠から右翼席へ叩き込むプロ1号。

 右翼席へすっ飛んだ白球を見つめながら、亡き恩師を思い出した。

 「僕は荒川さんありきなので。いろいろなアドバイスを聞きながら、荒川さんの言葉と照らし合わせていました」

 荒川さんとは、荒川博さんのこと。王貞治さんと“一本足打法”をつくりあげたことでも知られ、2016年12月に亡くなっている。

 入団から試行錯誤を繰り返し、右往左往しながら、いつも荒川さんから言われていた言葉を思い出し、かみ砕き、フォームをつくりあげてきた。

 出会いは中学3年、神宮外苑のバッティングセンター。横浜市内の自宅近くに住んでいた、元・セ・リーグ事務局長・渋沢良一さんが縁だった。

 初対面でまず「振ってみな」と言われた。そこから週2~3度のレッスンが始まった。

 東海大相模高、東海大で活躍。育成契約での入団会見から約1年後、恩師は亡くなった。葬儀では即席レッスンも受けた。何よりも努力が大事だと伝えられたメッセージは、胸に深く刻まれている。

◆ 「『遅えよ』って言われそう」

 チームとして12番目に送り出された「2番打者」だった。

 阿部寿樹で始まり、髙松渡に京田陽太、三ツ俣大樹、さらには球界最年長の福留孝介も務めたが、固定できなかった泣きどころ。

 前半戦一軍出場のなかった渡辺は、昨年10月以来のスタメンとして「2番」で送り出され、そこでプロ初アーチをかけた。  

 業務用スーパーで週に1度、買い出しに行くのが育成出身らしい。推定年俸は680万円。妻と買い出しに行き、食材を選ぶ。

 「マジで金がないっす」

 お腹いっぱい食べさせてくれる妻には感謝してもしきれない。

 19日の同カードでは2犠打を決めて、ヒットも放った。

 渡辺の肩書には「王貞治さんを育てた故・荒川博さん最後の弟子」とはっきり書いてある。今後、タイミングを見て、東京都内にあるお墓にホームランボールを持っていくという。

 「『遅えよ』って言われそうですね」

 残された1本足打法の後継者。

 「四球でもいいので、チームへ貢献したい」

 ようやく動き出した野球人生。大きく足を上げた背番号31が、竜の救世主に名乗りを上げた。

文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)

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