プロ入りした2013年から7年連続で40試合以上に登板し、通算359試合に登板した松永昂大が6日、現役引退を発表した。
松永は球団を通じて「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです」、「なんとか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手たちの希望の光になれたらという想いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません」とコメント。2年連続2位に入った20年以降は一軍でのマウンドで投げる機会が減少したが、間違いなく2010年代、益田直也とともにマリーンズのブルペンを支えた功労者だ。
松永がマリーンズのブルペンを支えていた時代、1年間戦い抜くためのルーティンを決めていた。
「シーズンが始まったら走れるうちに走っておこうと。夏とかきたら、ドームとかだったら空調が効いているので1年中走れる。マリンは夏が暑いので、それまでに貯金じゃないですけど、そこで減らない量にするため、シーズンに入ったら走る量はちょっと増えるかもしれないですね」。
19年の8月には気温30度を超える真夏のマリンスタジアム、試合前練習がはじまる1時間以上前の13時すぎに、「9月後半、10月にバテないというか、ちゃんと投げられるように先を見越してランニングです」と、グラウンドで1人黙々とランニングしている姿があった。
シーズンが終わってからも、シーズンオフは「休む人は休むし、投げたい人は投げる」と話したうえで、松永自身は「18年と19年はシートと紅白戦があったので、1月にブルペンに入りましたけど、基本的にはキャンプまではブルペンに入らない感じですね」とキャンプインまでは本格的な投げ込みを行わないのが、“松永流”の自主トレでの過ごし方だった。
松永は現役時代、勝ちパターンのリリーフで登板することもあれば、左のワンポイント、走者を背負った場面でマウンドにあがり、そのままイニングまたぎをするなど、様々な局面で登板する中継ぎのスペシャリストだった。
18年に取材したときには、ピンチでマウンドにあがったときは「1球目にストライクをとること。ランナーを返さないこと」を強く意識すると話していた。1球目にストライクをとることについて、「相手バッターを探る意味ではボールよりもストライクで入った方がいい。ただ、初球を打たれるのももったいないので、その辺は難しいです」と語り、主導権を握るための駆け引きに腐心していた。
また、イニング跨ぎの際には「1回スイッチを切っています。中継ぎなので、オンとオフはすぐに入れ替えられる」と語っていた。イニング頭、イニング途中でマウンドにあがっても、精神的な疲労、肉体的な疲労は「どっちも一緒。先発と違って中継ぎは、イニング頭からいっても途中からいっても精神的には変わらない」という。
登板に備えて肩を作りながらも、登板しないケースもある。そういった難しいポジションの中で、チームを勝利に導くため、自身の役割を全うした。
ZOZOマリンスタジアムでは“本塁打”を許さない男だった。
14年6月14日の広島戦で丸佳浩に本塁打を浴びたのを最後に、19年5月19日の楽天戦で浅村栄斗に本塁打を打たれるまで、ZOZOマリンでの公式戦では123試合にわたって本塁打を打たれなかった。
ZOZOマリンスタジアムでは19年から、外野席の手前に『ホームランラグーン』と呼ばれるエリアを設置。18年までのフェンスの位置から最大で4メートル手前にフェンスがせり出した。
19年の開幕前に球場が狭くなったことで投球面や心理面などの変化がないかと聞くと、松永は「特にないですけど、球場が狭くなるので、ホームランは打たれると思いますよ」と意に介していない様子を見せ、「打たれた時に狭く感じるくらいかなと思います。僕自体は全然」と全く球場が狭くなることについて気にした素ぶりを見せなかった。“ホームランラグーン”対策についても「何もしていないですね」と特に何かを変えることはなく、これまで培ってきた“経験”、“投球術”で抑えていく考えを示していたのが印象的だった。
最後の2年間は故障に苦しんだが、それでも「通算359登板」、「新人から7年連続40登板」、チームのために来る日も来る日もマウンドで腕を振り続けた姿、そしてどんなピンチでも涼しい顔で抑えた姿を、マリーンズファンは心に刻んでいるはずだ。
▼ 松永昂大の通算成績
359試 先発7 16勝15敗135H 1S 300回1/3 振238 与四124 防2.91
▼ 松永昂大コメント
「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです。球団には育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録をしていただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。なんとか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手たちの希望の光になれたらという想いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません。先発も中継ぎも抑えもさせていただきましたし、ここまで359試合に投げさせていただきました。本当に楽しい日々でしたし、やり残したことはありません。悔いはありません。ここまでケアをしていただきサポートをしていただいた皆様には感謝の気持ちしかありません。そしてなによりも応援してくださったファンの皆様、ありがとうございました。もう一度、投げている姿をお見せすることができなかったことに関して申し訳なく思っています。皆様の応援のおかげでこんなにたくさんの試合で投げることができましたし、リハビリも頑張ることができました。本当にありがとうございました」
取材・文=岩下雄太
松永は球団を通じて「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです」、「なんとか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手たちの希望の光になれたらという想いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません」とコメント。2年連続2位に入った20年以降は一軍でのマウンドで投げる機会が減少したが、間違いなく2010年代、益田直也とともにマリーンズのブルペンを支えた功労者だ。
1年戦う上での流れ
「シーズンが始まったら走れるうちに走っておこうと。夏とかきたら、ドームとかだったら空調が効いているので1年中走れる。マリンは夏が暑いので、それまでに貯金じゃないですけど、そこで減らない量にするため、シーズンに入ったら走る量はちょっと増えるかもしれないですね」。
19年の8月には気温30度を超える真夏のマリンスタジアム、試合前練習がはじまる1時間以上前の13時すぎに、「9月後半、10月にバテないというか、ちゃんと投げられるように先を見越してランニングです」と、グラウンドで1人黙々とランニングしている姿があった。
シーズンが終わってからも、シーズンオフは「休む人は休むし、投げたい人は投げる」と話したうえで、松永自身は「18年と19年はシートと紅白戦があったので、1月にブルペンに入りましたけど、基本的にはキャンプまではブルペンに入らない感じですね」とキャンプインまでは本格的な投げ込みを行わないのが、“松永流”の自主トレでの過ごし方だった。
様々な局面で登板
松永は現役時代、勝ちパターンのリリーフで登板することもあれば、左のワンポイント、走者を背負った場面でマウンドにあがり、そのままイニングまたぎをするなど、様々な局面で登板する中継ぎのスペシャリストだった。
18年に取材したときには、ピンチでマウンドにあがったときは「1球目にストライクをとること。ランナーを返さないこと」を強く意識すると話していた。1球目にストライクをとることについて、「相手バッターを探る意味ではボールよりもストライクで入った方がいい。ただ、初球を打たれるのももったいないので、その辺は難しいです」と語り、主導権を握るための駆け引きに腐心していた。
また、イニング跨ぎの際には「1回スイッチを切っています。中継ぎなので、オンとオフはすぐに入れ替えられる」と語っていた。イニング頭、イニング途中でマウンドにあがっても、精神的な疲労、肉体的な疲労は「どっちも一緒。先発と違って中継ぎは、イニング頭からいっても途中からいっても精神的には変わらない」という。
登板に備えて肩を作りながらも、登板しないケースもある。そういった難しいポジションの中で、チームを勝利に導くため、自身の役割を全うした。
マリンで本塁打を許さない男
ZOZOマリンスタジアムでは“本塁打”を許さない男だった。
14年6月14日の広島戦で丸佳浩に本塁打を浴びたのを最後に、19年5月19日の楽天戦で浅村栄斗に本塁打を打たれるまで、ZOZOマリンでの公式戦では123試合にわたって本塁打を打たれなかった。
ZOZOマリンスタジアムでは19年から、外野席の手前に『ホームランラグーン』と呼ばれるエリアを設置。18年までのフェンスの位置から最大で4メートル手前にフェンスがせり出した。
19年の開幕前に球場が狭くなったことで投球面や心理面などの変化がないかと聞くと、松永は「特にないですけど、球場が狭くなるので、ホームランは打たれると思いますよ」と意に介していない様子を見せ、「打たれた時に狭く感じるくらいかなと思います。僕自体は全然」と全く球場が狭くなることについて気にした素ぶりを見せなかった。“ホームランラグーン”対策についても「何もしていないですね」と特に何かを変えることはなく、これまで培ってきた“経験”、“投球術”で抑えていく考えを示していたのが印象的だった。
最後の2年間は故障に苦しんだが、それでも「通算359登板」、「新人から7年連続40登板」、チームのために来る日も来る日もマウンドで腕を振り続けた姿、そしてどんなピンチでも涼しい顔で抑えた姿を、マリーンズファンは心に刻んでいるはずだ。
▼ 松永昂大の通算成績
359試 先発7 16勝15敗135H 1S 300回1/3 振238 与四124 防2.91
▼ 松永昂大コメント
「最後の2年間、投げることができませんでしたけど今はスッキリとした気持ちです。球団には育成で再契約をしていただき、シーズン中に支配下登録をしていただいたにも関わらず、期待に応えられなかったことを申し訳なく思います。なんとか復活して世の中の肩痛に悩んでいる選手たちの希望の光になれたらという想いでやってきましたが、こればかりは仕方がありません。先発も中継ぎも抑えもさせていただきましたし、ここまで359試合に投げさせていただきました。本当に楽しい日々でしたし、やり残したことはありません。悔いはありません。ここまでケアをしていただきサポートをしていただいた皆様には感謝の気持ちしかありません。そしてなによりも応援してくださったファンの皆様、ありがとうございました。もう一度、投げている姿をお見せすることができなかったことに関して申し訳なく思っています。皆様の応援のおかげでこんなにたくさんの試合で投げることができましたし、リハビリも頑張ることができました。本当にありがとうございました」
取材・文=岩下雄太