2月の大ケガを乗り越えて、15年目の復活を目指します (C) Kyodo News

◆ 久々の“21”に「あと何回着るんだろう」

 中日・岡田俊哉は立浪和義監督の言葉にハッとした。

 10月のナゴヤ球場。「ユニフォームを着て練習しよう」。トレーニングウエアからすぐに着替える左腕は考えた。

 「背番号21のユニフォームに袖を通すのはいつぶりだっけ? そして、あと何回着るんだろう」

 濃い1年だった。ただ、重圧に打ち勝って結果を残したシーズンではない。

 2月の沖縄キャンプの実戦登板で、右大腿(だいたい)骨を骨折。倒れ込んだマウンドから、そのまま救急搬送された。

 転倒の仕方、その後の運び方によっては「死んでいたかもしれません」と振り返るから、適切な処置が行われた。

 復帰を目指す今のポジションは幸運なのだ。 ウォーキングを開始し、軽いキャッチボールして、今ではダッシュもこなせる。

◆ 「時間はあるようでないと思う」

 秋季練習のアップで立浪監督の視界に入り、ユニフォームの話を振られた。

 「ユニフォームを着て体を動かすのは、ケガした時以来でした。少し前までは毎日着ていたものが『こんなに軽かったっけ』と感じました。少し不思議な気持ちでした」

 あと何回着られるか。そんな疑問を感じるのは、オフの契約更改で3ケタへの変更が決まっているから。球団と話し合いをして、キャリア15年目は育成契約でのスタートが決まった。 

 「加藤(球団)代表から『背番号21は空けておく』という話をされました。そこに戻れるように、時間はあるようでないと思う。今年、クビになってもおかしくないと思っていました。このリハビリ乗り越えて、どういう形でもいいので、野球をできる姿をファンの人や応援してくれる人たちに見てもらいたいです。そのために僕はやっています。忘れられないうちに復帰できるように頑張ります(笑)」

 21は空けておく……。その言葉がどれほど岡田の心の支えになるか。

 自分の体への不安、疑問を抱く左腕が、人の言葉をよりどころにリハビリを続け、復帰を目指す。

◆ “21”を取り戻す日が来ると信じて

 「いま、一日一日が僕の中で本当に財産です。視野をより広くしています。いろんな選手の表情だったり、同じリハビリやっているメンバーでも『ああ、つらそうだな』とか『ステップ1個上がったからすごく楽しそうにやっているな』とか。それを見て僕も元気もらいます。自分が一番リハビリ遅いけど、こんなにリハビリを経験できる人間は他にいないと思っています」

 左肘手術から二軍戦で実戦復帰したエース・大野雄大の実戦マウンドを見て「ほんとうによかったな」と感じられる。

 苦しむ若手を見て背中を押したくなるのも本心。嫌というほど自分と向き合った岡田はありのままを受け入れた。擦れることなく、ピュアに他者と関われる。

 中継ぎを中心にキャリア350試合登板。2019年にはクローザーにも指名されている。

 12月で32歳。年内に傾斜をつかったピッチングが目標。来年、どんなパフォーマンスを出せるのか。背番号21へ再び戻る日を信じて、岡田はグラウンドでもがき、戦う。

文=川本光憲(中日スポーツ・ドラゴンズ担当)

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