「1年振り返ってですか、う〜ん、今年も最後に離脱しちゃったので、ずっとそうですけど、最後にいなくなるモヤモヤしたような気持ち。今年もなんですけど、あんまりうまくいかなかったので、来年取り返すために前だけ見てやるという感じですね」。
ロッテ・柿沼友哉はシーズン途中に一軍昇格し、種市篤暉投手が先発の時にマスクを被る機会が多かったが、一軍出場はわずか18試合に終わった。
「若い選手が出てきて年齢的にも上になってきて、チャンスも多くないと思うので、どうやってそのチャンスをものにするか、今までチャンスをもらってきたのでそこでチャンスを掴みきれなかった分、立場は苦しいと思いますけど、なんとかまだチャンスはあると思うので、なんとか食らいついていくという感じでいきたい」。
今年2月の春季キャンプは、例年以上に覚悟を持って挑んだ。オープン戦で2試合に出場したが、開幕は二軍スタート。「開幕は悔しいことにファームだったので、やることは変わらずいつ呼ばれてもいいように、一生懸命野球に取り組んだという感じですね」。ファームには開幕直後に降格した松川虎生、大卒4年目の植田将太、育成3年目の谷川唯人など、若い捕手陣がここ数年で増えた。
「基本的にやることは上と下でも変わらないので、自分が上手くなるために、チームの勝ちに自分がどうやって貢献できるかを取り組んできたという感じです」。
若手が増えたことでファームでも、毎試合スタメンでマスクを被るというわけではなかった。一塁でスタメン出場する日や、練習試合では外野でも出場した。捕手以外のポジションで出場することが、柿沼にとって新たな発見にもなった。
「チームの事情もあったので、その中で自分の新たな挑戦として違う視点でキャッチャーを見る。相手バッターを見る、新しい発見ができればいいなという意識で守っていました」。
腐ることなく、一塁や外野のポジションから“捕手”としての勉強を行った。
交流戦明けの6月20日にZOZOマリンスタジアムでの一軍練習に参加すると、リーグ戦再開後初戦となった6月23日に今季初昇格を果たした。
6月28日のオリックス戦で今季初出場を果たし、7月1日の楽天戦で今季初先発し、先発・種市篤暉をはじめ3投手を好リードし3連敗中だったチームに勝利をもたらした。
「とりあえず一安心という感じですね。少ないチャンスをモノにしていかないといけないので、もっともっと頑張んないといけないなという感じです」。
一軍の公式戦では20年8月1日の楽天戦以来となった“柿の種バッテリー”は、初回にいきなり2点を失うなど苦しい立ち上がりになったが、「種市自身、本調子じゃなかったと思うんですけど、その中でお互い話しながら修正できるようにというふうにできたので、そこは良かったと思います」(柿沼)と、2回以降はリズムの良い投球で7回を2失点にまとめた。
柿沼は打っても3-2の4回二死走者なしの第2打席、辛島航が1ボールから投じた2球目のストレートをレフト前に弾き返し今季初安打をマーク。この安打をきっかけに続く和田康士朗が四球を選び、岡大海の3ランに繋げた。
「勝てたことで次につながりますし、一番、チームも連敗していてそれもストップできたのも大きいんじゃないかなと思います」。
柿沼は7月1日の楽天戦以降、種市が先発の時にマスクを被った。「種市自身、色々考えて投げられるので、種市の考えを聞きながらお互いにいいものを出せたらなと思っていますけど、引っ張っていくというよりはしっかり考えられるピッチャーなので、そこはお互い考えを出しながらという感じですね」。続く7月9日の日本ハム戦も7回2失点、7月17日の楽天戦は5回2/3で4失点だったが、8月18日の楽天戦まで柿沼が先発マスクを被った時の種市は6勝1敗と白星が先行した。
柿沼自身、これまでシーズン最終盤に、故障での離脱、出番を減らすことが多かった。楽天とCS進出を争った19年はシーズン最終盤の9月に左尺骨折で離脱し、20年は澤村拓一と9月の月間最優秀バッテリー賞に輝くなど16試合に出場したが、10月以降は5試合の出場にとどまった。21年も7月に故障で離脱し、10月に復帰したが3試合の出場に終わった。
「よく怪我したり離脱することが多かった。今年はそのぶん、前半ファームが長かったので、それを今取り返すつもりでもっと頑張らないといけなきゃないなと思います」。
昇格してからは一軍帯同し続けていたが、種市が先発する日以外は出番がないのが現状だった。
「種市が先発の時が出番なので、出た時くらいは勝たないという気持ちですね。毎日出ていたら明日取り返そう、また次取り返そうとなりますけど、先発ピッチャーと一緒で出たらまた1週間後、その先ってなってくるので、その試合で勝たないと、という思いはいつもより強いですね」。
これまでベンチスタートの時は試合中、ベンチでスタメン捕手のリードと、自分のリードの擦り合わせを行ってきたが、「その時気づいたこと、自分が組んだらこうした方がいいのかなとか、これ真似した方がいいな、これいけるなとか、それは変わらないですね」と、変わらず行った。
気になるのは試合勘の部分。「難しい部分がありますけど、それは言い訳になってしまう。いつ出るかわからない、むしろ先発週1回、ありがたいことに種市が先発の時は組ませてもらっているので、そこは難しいですけど、それを言い訳にしてはいけない。やっている以上は関係なく出たら一緒です」。
その種市とのバッテリーも、8月18日の楽天戦で白星を最後に、種市を勝利に導くことができなかった。
「種市自身いいピッチングができても最後、追いつかれてというケースもあった。全部が良くなかったわけではないんですけど、種市に勝ちがつけられなかったというのは、自分自身の責任じゃないですけど、そういうのは感じましたね」。
柿沼は10月4日に一軍登録を抹消。その後、一軍の舞台に戻ることができなかった。
「フェニックス中もCSは続いていましたし、出番がまたあればそこで仕事ができるようにと思ってフェニックス中もやっていました。フェニックスもそれを頭に入れながら、もっとレベルアップしないと行けない、バッティングのことも打たないと試合に出続けられないので、そこもいろんな意識は今までにないことを試してみたりとかというのはしました」。
“今までにないことを試した”という部分について具体的に訊いてみると、「試していないというわけではないんですけど、それを徹底して続けて、バッティングも調子があるように、悪くても、悪くなったら人間、すぐ変えたりという気持ちになっちゃうので、そこを変えずに練習だけなのでここからは。練習で波があってもやり続けるのを意識してみようかなと」。
「今まで引っ張りが多かったんですけど、徹底してボールの内側を打って反対方向に強い打球というイメージで打っている。今までもやっていないわけではないけど、それをやっても引っ張り、得意なことばかりやっていた。そっちじゃなくて、苦手、あまりやっていなかったことを徹底してやっています」。
柿沼は今年の2月、「チャンスが少ないと思うので、与えられたチャンスで結果を残したい」と話していたが、シーズンを終えて、「その言葉通り、少ないチャンスをモノにしなければいけなかった中で、掴みきれなかったという感じですね。チャンスはゼロではなかったので、そのチャンスを掴みかけたけど、掴みきれなかったという感じです」と唇を噛んだ。
掴みきれなかった原因について「バッティングもそうですし、9月以降勝てなかった試合が続いてしまったのが自分の出番を減らしてしまった原因のひとつですね」と振り返った。
来季に向けて「本当に後悔ないようにじゃないですけど、自分がここまでやり切ったと思えるような充実の1年にしたいですね。悔しい1年にしたくないので、今までも悔いのないようにやってきたつもりですけど、よりそういう気持ちが強くなる1年かなと思います」と、今季以上に危機感を持って取り組む1年になる。
取材・文=岩下雄太
ロッテ・柿沼友哉はシーズン途中に一軍昇格し、種市篤暉投手が先発の時にマスクを被る機会が多かったが、一軍出場はわずか18試合に終わった。
ファームでは外野で出場も
今年2月の春季キャンプは、例年以上に覚悟を持って挑んだ。オープン戦で2試合に出場したが、開幕は二軍スタート。「開幕は悔しいことにファームだったので、やることは変わらずいつ呼ばれてもいいように、一生懸命野球に取り組んだという感じですね」。ファームには開幕直後に降格した松川虎生、大卒4年目の植田将太、育成3年目の谷川唯人など、若い捕手陣がここ数年で増えた。
「基本的にやることは上と下でも変わらないので、自分が上手くなるために、チームの勝ちに自分がどうやって貢献できるかを取り組んできたという感じです」。
若手が増えたことでファームでも、毎試合スタメンでマスクを被るというわけではなかった。一塁でスタメン出場する日や、練習試合では外野でも出場した。捕手以外のポジションで出場することが、柿沼にとって新たな発見にもなった。
「チームの事情もあったので、その中で自分の新たな挑戦として違う視点でキャッチャーを見る。相手バッターを見る、新しい発見ができればいいなという意識で守っていました」。
腐ることなく、一塁や外野のポジションから“捕手”としての勉強を行った。
交流戦明けの6月20日にZOZOマリンスタジアムでの一軍練習に参加すると、リーグ戦再開後初戦となった6月23日に今季初昇格を果たした。
柿の種バッテリー
6月28日のオリックス戦で今季初出場を果たし、7月1日の楽天戦で今季初先発し、先発・種市篤暉をはじめ3投手を好リードし3連敗中だったチームに勝利をもたらした。
「とりあえず一安心という感じですね。少ないチャンスをモノにしていかないといけないので、もっともっと頑張んないといけないなという感じです」。
一軍の公式戦では20年8月1日の楽天戦以来となった“柿の種バッテリー”は、初回にいきなり2点を失うなど苦しい立ち上がりになったが、「種市自身、本調子じゃなかったと思うんですけど、その中でお互い話しながら修正できるようにというふうにできたので、そこは良かったと思います」(柿沼)と、2回以降はリズムの良い投球で7回を2失点にまとめた。
柿沼は打っても3-2の4回二死走者なしの第2打席、辛島航が1ボールから投じた2球目のストレートをレフト前に弾き返し今季初安打をマーク。この安打をきっかけに続く和田康士朗が四球を選び、岡大海の3ランに繋げた。
「勝てたことで次につながりますし、一番、チームも連敗していてそれもストップできたのも大きいんじゃないかなと思います」。
柿沼は7月1日の楽天戦以降、種市が先発の時にマスクを被った。「種市自身、色々考えて投げられるので、種市の考えを聞きながらお互いにいいものを出せたらなと思っていますけど、引っ張っていくというよりはしっかり考えられるピッチャーなので、そこはお互い考えを出しながらという感じですね」。続く7月9日の日本ハム戦も7回2失点、7月17日の楽天戦は5回2/3で4失点だったが、8月18日の楽天戦まで柿沼が先発マスクを被った時の種市は6勝1敗と白星が先行した。
シーズン最終盤に一軍登録抹消
柿沼自身、これまでシーズン最終盤に、故障での離脱、出番を減らすことが多かった。楽天とCS進出を争った19年はシーズン最終盤の9月に左尺骨折で離脱し、20年は澤村拓一と9月の月間最優秀バッテリー賞に輝くなど16試合に出場したが、10月以降は5試合の出場にとどまった。21年も7月に故障で離脱し、10月に復帰したが3試合の出場に終わった。
「よく怪我したり離脱することが多かった。今年はそのぶん、前半ファームが長かったので、それを今取り返すつもりでもっと頑張らないといけなきゃないなと思います」。
昇格してからは一軍帯同し続けていたが、種市が先発する日以外は出番がないのが現状だった。
「種市が先発の時が出番なので、出た時くらいは勝たないという気持ちですね。毎日出ていたら明日取り返そう、また次取り返そうとなりますけど、先発ピッチャーと一緒で出たらまた1週間後、その先ってなってくるので、その試合で勝たないと、という思いはいつもより強いですね」。
これまでベンチスタートの時は試合中、ベンチでスタメン捕手のリードと、自分のリードの擦り合わせを行ってきたが、「その時気づいたこと、自分が組んだらこうした方がいいのかなとか、これ真似した方がいいな、これいけるなとか、それは変わらないですね」と、変わらず行った。
気になるのは試合勘の部分。「難しい部分がありますけど、それは言い訳になってしまう。いつ出るかわからない、むしろ先発週1回、ありがたいことに種市が先発の時は組ませてもらっているので、そこは難しいですけど、それを言い訳にしてはいけない。やっている以上は関係なく出たら一緒です」。
その種市とのバッテリーも、8月18日の楽天戦で白星を最後に、種市を勝利に導くことができなかった。
「種市自身いいピッチングができても最後、追いつかれてというケースもあった。全部が良くなかったわけではないんですけど、種市に勝ちがつけられなかったというのは、自分自身の責任じゃないですけど、そういうのは感じましたね」。
柿沼は10月4日に一軍登録を抹消。その後、一軍の舞台に戻ることができなかった。
「フェニックス中もCSは続いていましたし、出番がまたあればそこで仕事ができるようにと思ってフェニックス中もやっていました。フェニックスもそれを頭に入れながら、もっとレベルアップしないと行けない、バッティングのことも打たないと試合に出続けられないので、そこもいろんな意識は今までにないことを試してみたりとかというのはしました」。
“今までにないことを試した”という部分について具体的に訊いてみると、「試していないというわけではないんですけど、それを徹底して続けて、バッティングも調子があるように、悪くても、悪くなったら人間、すぐ変えたりという気持ちになっちゃうので、そこを変えずに練習だけなのでここからは。練習で波があってもやり続けるのを意識してみようかなと」。
「今まで引っ張りが多かったんですけど、徹底してボールの内側を打って反対方向に強い打球というイメージで打っている。今までもやっていないわけではないけど、それをやっても引っ張り、得意なことばかりやっていた。そっちじゃなくて、苦手、あまりやっていなかったことを徹底してやっています」。
「掴みきれなかった」
柿沼は今年の2月、「チャンスが少ないと思うので、与えられたチャンスで結果を残したい」と話していたが、シーズンを終えて、「その言葉通り、少ないチャンスをモノにしなければいけなかった中で、掴みきれなかったという感じですね。チャンスはゼロではなかったので、そのチャンスを掴みかけたけど、掴みきれなかったという感じです」と唇を噛んだ。
掴みきれなかった原因について「バッティングもそうですし、9月以降勝てなかった試合が続いてしまったのが自分の出番を減らしてしまった原因のひとつですね」と振り返った。
来季に向けて「本当に後悔ないようにじゃないですけど、自分がここまでやり切ったと思えるような充実の1年にしたいですね。悔しい1年にしたくないので、今までも悔いのないようにやってきたつもりですけど、よりそういう気持ちが強くなる1年かなと思います」と、今季以上に危機感を持って取り組む1年になる。
取材・文=岩下雄太