野球殿堂博物館は18日、「2024年野球殿堂入り通知式」を開催。競技者表彰委員会・プレーヤー表彰から谷繁元信氏、黒田博樹氏、特別表彰委員会から谷村友一氏が新たに殿堂入りとなったことを発表した。
谷繁氏は江の川高校から88年ドラフト1位で大洋に入団。98年には横浜の38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。02年から中日に移籍し、07年には正捕手として53年ぶりとなる日本一の立役者となった。13年には通算2000安打を達成し、実働27年で日本記録となる通算3021試合に出場し、27年連続安打、本塁打を放った。14年からの2年は中日の選手兼任監督、16年は監督としてチームを率いた。
黒田氏は専修大から96年ドラフト2位で広島に入団。03年から5年連続開幕投手を務めるなど長年エースとして引っ張り、08年から大リーグ・ドジャースへ移籍し、12年からはヤンキースでプレー。5年連続二桁勝利を挙げるなど、MLB通算79勝をマーク。15年に再び広島に復帰すると、16年7月23日に史上2人目となる日米通算200勝を達成した。同年10勝を挙げ、チームを25年ぶりのリーグ優勝へと導いた。
谷村氏は同志社大で主将をつとめ、卒業後は一般企業に勤めながら、52年都市対抗野球大会に京都クラブの二塁手として出場。その後、大学野球、高校野球、社会人野球の審判として活躍。59年にセントラル・リーグの審判員となり、歴代17位の通算3026試合に出場した。
なお、競技者表彰委員会・エキスパート表彰は、当選に必要な得票数を満たした候補者がおらず、該当者なしとなった。
谷繁氏は江の川高校から88年ドラフト1位で大洋に入団。98年には横浜の38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。02年から中日に移籍し、07年には正捕手として53年ぶりとなる日本一の立役者となった。13年には通算2000安打を達成し、実働27年で日本記録となる通算3021試合に出場し、27年連続安打、本塁打を放った。14年からの2年は中日の選手兼任監督、16年は監督としてチームを率いた。
黒田氏は専修大から96年ドラフト2位で広島に入団。03年から5年連続開幕投手を務めるなど長年エースとして引っ張り、08年から大リーグ・ドジャースへ移籍し、12年からはヤンキースでプレー。5年連続二桁勝利を挙げるなど、MLB通算79勝をマーク。15年に再び広島に復帰すると、16年7月23日に史上2人目となる日米通算200勝を達成した。同年10勝を挙げ、チームを25年ぶりのリーグ優勝へと導いた。
谷村氏は同志社大で主将をつとめ、卒業後は一般企業に勤めながら、52年都市対抗野球大会に京都クラブの二塁手として出場。その後、大学野球、高校野球、社会人野球の審判として活躍。59年にセントラル・リーグの審判員となり、歴代17位の通算3026試合に出場した。
なお、競技者表彰委員会・エキスパート表彰は、当選に必要な得票数を満たした候補者がおらず、該当者なしとなった。