日本野球機構(NPB)は14日、2024年度のフリーエージェント宣言選手を公示。
今オフは国内FA宣言が7名、海外FA選手2名が権利の行使を表明した。その中には育成選手としてプロ入りした甲斐拓也(ソフトバンク)、石川柊太(ソフトバンク)の名前があった。
甲斐は10年育成ドラフト6位でソフトバンクに入団し、13年オフに支配下選手登録された。14年に一軍初出場を果たすと、17年には103試合に出場し一軍に定着し、同年初めてゴールデングラブ賞を受賞すると6年連続で同賞を受賞。18年と20年にはリーグトップの盗塁阻止率をマークした。打っても3度のベストナイン(17年、20年、22年)を受賞。20年からは野村克也さんが現役時代に背負った背番号“19”に変更した。ソフトバンクでは正捕手としてリーグ優勝、日本一に何度も導いたが、日本代表選手としても19年のWBSCプレミア12、21年の東京五輪、23年のWBCの世界一に貢献。球界を代表する捕手へと成長を遂げた。
石川は13年育成ドラフト1位でソフトバンクに入団。プロ入りから2年間は故障に泣き苦しんだが、3年目の16年のシーズン中に支配下登録される。同年は一軍登板がなかったが、17年に先発・リリーフでフル回転し、34試合・98回1/3を投げ、8勝3敗1ホールド、防御率3.29をマークしブレイク。18年にはシーズン自己最多の13勝を挙げた。19年は故障の影響もあり2試合の登板にとどまったが、20年は最多勝利(11勝)、最高勝率(.786)のタイトルを獲得。21年には自身初の規定投球回に到達し、23年にはノーヒットノーランも達成した。今季は15試合・63回1/3を投げ、7勝2敗、防御率2.56だった。
これまで育成選手としてプロ入りし、初のFA移籍を果たした選手に22年オフにソフトバンクから大リーグ・メッツに移籍した千賀滉大がいるが、国内移籍が実現すれば初となる。
今オフは国内FA宣言が7名、海外FA選手2名が権利の行使を表明した。その中には育成選手としてプロ入りした甲斐拓也(ソフトバンク)、石川柊太(ソフトバンク)の名前があった。
甲斐は10年育成ドラフト6位でソフトバンクに入団し、13年オフに支配下選手登録された。14年に一軍初出場を果たすと、17年には103試合に出場し一軍に定着し、同年初めてゴールデングラブ賞を受賞すると6年連続で同賞を受賞。18年と20年にはリーグトップの盗塁阻止率をマークした。打っても3度のベストナイン(17年、20年、22年)を受賞。20年からは野村克也さんが現役時代に背負った背番号“19”に変更した。ソフトバンクでは正捕手としてリーグ優勝、日本一に何度も導いたが、日本代表選手としても19年のWBSCプレミア12、21年の東京五輪、23年のWBCの世界一に貢献。球界を代表する捕手へと成長を遂げた。
石川は13年育成ドラフト1位でソフトバンクに入団。プロ入りから2年間は故障に泣き苦しんだが、3年目の16年のシーズン中に支配下登録される。同年は一軍登板がなかったが、17年に先発・リリーフでフル回転し、34試合・98回1/3を投げ、8勝3敗1ホールド、防御率3.29をマークしブレイク。18年にはシーズン自己最多の13勝を挙げた。19年は故障の影響もあり2試合の登板にとどまったが、20年は最多勝利(11勝)、最高勝率(.786)のタイトルを獲得。21年には自身初の規定投球回に到達し、23年にはノーヒットノーランも達成した。今季は15試合・63回1/3を投げ、7勝2敗、防御率2.56だった。
これまで育成選手としてプロ入りし、初のFA移籍を果たした選手に22年オフにソフトバンクから大リーグ・メッツに移籍した千賀滉大がいるが、国内移籍が実現すれば初となる。