◆ 野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史~第44回:『超空間ナイター プロ野球キング2』
1位プレイステーション(3万5350台)、2位ゲームボーイ(2万1180台)、3位セガサターン(1万6250台)、4位ニンテンドウ64(1万1470台)、5位スーパーファミコン(4480台)。
これは雑誌『ファミマガweekly』1996年12月20日号掲載のハード別週間実売数ランキングである。この年、プレステがセガサターンとの次世代ゲーム機戦争で頭ひとつ抜け出し、任天堂のゲームボーイがポケモン人気で息を吹き返した。だが、96年6月23日に発売されたニンテンドウ64は、初年度にソフトがわずか10本しかリリースされず、苦戦を強いられていた。

そんな64で初の野球ゲームはパワプロでもファミスタでもなく、“プロキン”だ。96年12月20日発売の『超空間ナイター プロ野球キング』(イマジニア)である。なお、定価9980円は当時の64ソフト最高価格だった。それでも約10万本売れ、99年3月19日には価格6800円と一気に値下げしたシリーズ2作目がリリースされている。
しかし、初代プロキンを遊んだ多くの少年たちは、すでにパワプロに夢中でプロキン2はナチュラルにスルーしたのではないだろうか。恐らく、「初代プロキンはよく遊んだけど、2も出てたの?」という元64キッズも多いだろう。皮肉なことに、プロキン2は売れず…じゃなくて流通本数が少なかったため、令和のレトロゲーム市場でプレミアソフト化している。
センター127メートルの巨大なマジカルパークや、重力が地球の5分の1で打球がなかなか落ちず野手のジャンプ力が上がるコスモアリーナといったオリジナル球場。際どい球を見逃し三振すると打者がガンつけ、投手が強烈なピッチャー返しを受けるとけいれんといったギミックの数々からリアルさとは無縁の野球ゲームと思われがちだが、発売から26年が経った今、プロキン2を遊ぶと90年代のプロ野球が見えてくる。
王道モードの「ペナント」だけでなく、選手の能力を成長させる「育成」、2名の新人を指名できる「ドラフト」(現実では1999年のルーキーとなる松坂大輔や上原浩治をモデルにした架空選手が登場)など多彩なモードが遊べるが、やはり令和の野球ファンにこそイチオシは、12球団から好きなチームを選んで進める「シナリオモード」だろう。
◆ 試合のチョイスが絶妙な「シナリオモード」
各チーム様々なシチュエーションのリーグ戦5試合と日本シリーズ1試合の計6戦を勝ち抜いて日本一を目指す。ベースとなるのは発売前年の1998年シーズン。横浜が38年ぶりの日本一に輝き、本作でも“マシンガン打線”が猛威をふるっている。そして、イチローは99年春にシアトル・マリナーズのキャンプに招待され参加するなど、オリックス時代のファイナル・カウントダウンに突入していた。
この「シナリオモード」の試合チョイスが絶妙だ。例えばオリックスを選ぶと、1試合目は4月26日のダイエー戦から始まる。「今季初の連勝で波に乗るブルーウェーブは3連勝を目指し好調藤井を4番にすえた打線でホークス投手陣に挑む。点の取り合いとなった試合は1点ビハインドで迎えた9回、反撃の口火を切るべくイチローが打席に立つ!」と背番号51からスタート。

ちなみに『ベースボール・レコード・ブック1999』(ベースボール・マガジン社)でその試合のスコアを確認して見ると、現実の98年4月26日の福岡ドームでオリックスは9回表に一挙5点を奪い逆転勝ち。3番イチローがマルチ安打、4番藤井康雄は6打点の大活躍だ。
巨人のシナリオモード3試合目は、8月4日の広島戦「抑え投手の不在から接戦をものにできず低迷するジャイアンツ。槙原を新守護神にすえ、再び首位を狙え。阪神戦での乱闘劇への謝罪の意味を込め、頭を丸めた長嶋監督。その姿を見たナインにショックが走る」。そう、平成球史に残る甲子園でガルベスが球審にボールを投げつける前代未聞の騒動直後の一戦である。

そして高橋由伸のコメントは、「今日は特別な試合、絶対に負けるわけにはいかない!!」。ゲームは巨人2点ビハインドの8回裏二死一・三塁の場面、打席には五番右翼・高橋から始まる。マウンドには42歳のセ・リーグ最年長サウスポー大野豊だ。すでにお気づきの野球ファンも多いと思うが、天才ルーキー由伸が初対戦の大ベテランから逆転の12号スリーランを放ち、大野は現役引退を決断したあの試合である。
「私は巨人の大物ルーキーには自信があったんです。原(辰徳内野手)も松井(秀喜外野手)も初対戦の打席は三振させています。でも、由伸には、この自信が通用しませんでした。2球目のスライダーをものの見事に右翼席へたたき込まれてしまった。私は、「ああ、これでやめられる」と思いました。それまではボロボロになるまで、なんて考えていたのですが、このホームランで気持ちが吹っ切れた」(週刊ベースボールONLINE2014年9月16日)
この場面、勝負を分けるのは打撃操作時のAボタンの使い方だ。連打回数が多いほど打球の飛距離が伸びるが、最高は6連打まで。その子ども向けのビジュアルとは裏腹に、スイングカーソルを合わせながら連打をする操作は異様にシビアでかなり難易度が高い。というか、今の野球ゲームより恐ろしく難しい。だが、それがハマってホームランをかっ飛ばした時の爽快感は感動的だ。
◆ 『プロキン2』は現在“プレミアソフト化”
あらゆる面が異なる平成と令和の球界事情。シナリオモードで勝ち進むと、ペナント終盤は「もしあの天王山に競り勝っていたら…」的な史実とは異なる逆転優勝チャレンジに。両エースが互いに譲らず150球近く投げあう投手戦も当たり前で、第4試合の横浜戦では右肘のトミー・ジョン手術後の桑田真澄が6回終了時に120球を投げていても、当たり前のように続投。もちろん98年の前半戦にエース級の働きを見せたチョ・ソンミンは、当然のように延長12回をひとりで投げ抜いてみせる。
先発投手が4回で交代してしまう今のメジャーリーグ式とは、まったく異質の野球がそこにある。よく見たら、打席には現DeNA度会隆輝の父・博文が立っているバック・トゥ・ザ・フューチャー感。当時の動画を見たり、記録を追うよりも、プロキン2をプレーすればリアルに世紀末のプロ野球を体感できるだろう。

2025年3月現在、中古ゲームショップで『超空間ナイター プロ野球キング2』はニンテンドウ64の野球ゲームでは最高値がついている。なお、野球ゲームは権利関係からオリジナルデータでのサブスクのオンライン配信が難しい。基本的に当時モノの現物を買うしかないのだ。
結果、プロキン2は年々高騰して箱説なしのソフトのみでも4000円前後、箱説アリだと店によっては2万円以上のプレミアソフト化。当時売れたプロキン1作目や毎年ヒットしたパワプロシリーズは在庫豊富で数百円のワゴンコーナーの常連なのに、売れずに存在が希少なプロキン2はレア物のショーケース入り。
いわば、26年後の逆転劇———。ある意味、『超空間ナイター プロ野球キング2』は令和に野球ゲーム界の下克上を達成したソフトなのである。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)