白球つれづれ2017 ~第13回・守備における日米格差~
近年、米大リーグのテレビ中継を見ていると極端な守備シフトが目に付く。
例えば、田中将大が登板するヤンキース戦。センター前へ火の出るような当たりに田中の顔がゆがむ。ところが次の瞬間、二塁ベース後方に位置した二塁手が打球をキャッチする。
また、強打の左打者が完全に一、二塁間を破ったと思ったらライトの前方にいる野手が軽々と処理。ここに二塁手がいる場合は三塁手が通常の二塁定位置にシフトしている。右打者の場合は遊撃手が三遊間深くに移動し、二塁手が二塁ベース後方、つまり内野をセンターラインから二分した片側に3人の野手が構えているわけだ。
ひるがえって日本球界はどうか?ここまで大胆な守備シフトを敷くチームはない。かつて、巨人の王貞治や松井秀喜にメジャー並みの変則シフトが採用されたことはある。最近では早実の怪物君・清宮幸太郎に対して外野手が全員センターから右翼方向に守ったチームもあるがこれも特例の部類。なぜ、日本球界に米国流が導入されないのだろう?
歴史を紐解くと…
この変則守備シフトの変遷をたどっていくと歴史は1870年代まで遡る。
昨年出版された『ビッグデータ・ベースボール』(著者はトラヴィス・ソーチック=ピッツバーグトリビューン・レビュー記者、翻訳・桑田健、以下同参照)によれば、ハートフォード軍対ルイビル・グレイズ軍の対戦でハ軍の監督であるファーガソンが内外野を片側に大移動させたとある。
メジャーではっきりと認知されたのは1946年の「テッド・ウィリアムズ・シフト」だ。ベーブルースらと並び称されたレッドソックスの強打者に対したインディアンスはショートを二塁の定位置に配し、二塁手は浅いライト前、三塁手が二塁ベースよりやや一塁寄りに位置した。
この光景を見て驚いた球審が「なかなか面白いな」とウィリアムズにささやいたところ本人は涼しい顔で言い放ったと言う。「そうでもない。高い打球まで守れやしない」。かつて、王貞治も「王シフト」を聞かれた時に「スタンドまで届けば誰も取れないんだから」と語ったことがある。大打者の発想は違う。
ビッグデータ・ベースボール
しかし、メジャーでもこのシフトが本格的に定着したのは2000年代に入ってからだ。『マネーボール』でも知られているアスレチックスのGM、ビリー・ビーンがデータ重視のチーム強化を提唱。さらに劇的に変革をもたらしたのが2013年のピッツバーグ・パイレーツによる「ビッグデータ・ベースボール」だと言われる。
何せ1993年から20年間にわたり低迷が続き、メジャーのお荷物球団と揶揄されていた同チームが劇的に変貌。その裏には野球とは門外漢の分析専門チームの存在があったのだ。
弱者が強豪に戦いを挑むには創意と工夫が欠かせない。
2011年、同球団の監督に就任した監督のC・ハードルとGMのN・ハンティルトンはチームの大手術を模索する中で数字と数学のスペシャリストに着目する。
野球オタクだったD・フォックスは球団に分析官として採用される前から一度も測定されてこなかった事柄の数値化を研究する中で、打球方向を調べると必ずしも伝統的な守備位置が理に適っているとは言えないことを発見。大胆な発想の転換とコンピュータを駆使した戦術の採用を進言する。
この頃になると全球団のゲームを記録して走攻守に至るまで数値化する「BIS」の普及もありビッグデータの活用はチーム強化に欠かせないものとなっていた。
日本では!?
いわゆる、守備の定位置とは長年の歴史の中で経験則として定着してきたが果たして正解なのか?
メジャーの打者のゴロ方向を調べていくと73%が引っ張りである。ツーシームやカットボールが増えればゴロが多くなる。もちろん、投手がどこに何を投げるのかで打球方向もかなりの確率で数値化が可能となる。
こうした数値に裏付けられた「ビッグデータ野球」に挑戦することでパイレーツは2013年に94勝をあげ、ナショナルリーグの地区シリーズまで進出する強豪へと生まれ変わった。
「日本の場合は、変則シフトを敷いたら逆方向へ狙い撃ちしてくる。メジャーリーガーほどの引っ張り専門のプルヒッターは少ないし、打球の速さも違う。リスクの方が多い」と語るのは阪神のヘッドコーチである高代延博だ。
日本球界への浸透には時間がかかりそうだが、エルドレッド(広島)やペゲーロ(楽天)らの外国人選手には試す価値あるかもしれない。下位に低迷するチームはパイレーツ方式を研究してみるのも面白いと思うがどうか?
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
※初出の際、『マネーボール』の著者に関して誤りがございました。文中ではビリー・ビーンとありましたが、正しくは「マイケル・ルイス」氏になります。訂正してお詫びいたします。申し訳ございませんでした。