緒方孝市に憧れた少年時代
「僕は広島出身なので子どもの頃はカープの緒方孝市さんが好きでした。今、目指している選手はメジャーリーガーのマイク・トラウト(エンゼルス)です」
2015年の3月初旬、まだ巨人のユニフォームを着ている大田泰示に東京ドームの一室でインタビューしたことがある。その時、大田が理想の選手像の条件として自ら挙げたのが「右打者で外野手で足が速くて、守備も上手くて、打てる」こと。それが現役時代に3年連続盗塁王を獲得する一方で二桁本塁打を放つパンチ力も併せ持っていた緒方や、MLBを代表する5ツールプレイヤーのトラウトだった。
「僕も長打、走塁、守備、全部で勝負します」とオープン戦は“4番センター”で先発出場していた大田も、直後に左大腿二頭筋肉離れで無念の戦線離脱。シーズン序盤から出遅れ、開幕4番デビューは幻に終わった。今思えば、この怪我が男の運命を大きく左右することになる。
あれから2年、チャンスを逃し続け、今季から日本ハムの33番のユニフォームを着る大田泰示は、ホーム札幌ドームでの巨人3連戦で大活躍をしてみせた。9日の初戦は6番DHで自らの27歳の誕生日を祝うマルチ安打、2戦目は移籍後初の1番打者として起用されると先頭打者アーチを含む3安打猛打賞。3戦目も勢いは止まらずライトスタンドへ飛び込む第8号アーチをかっ飛ばした。
この3連戦でなんと10打数7安打内2本塁打と大暴れ。巨人時代8年間で通算9本塁打だった男が、今季わずか38試合ですでに8発。13年春季キャンプで当時の原前巨人監督は「泰示をなんとか1番打者で起用したい」とコメントしていたわけだが、皮肉にもユニフォームも変わり4年越しで「1番大田」の底知れぬ魅力を再確認する古巣との試合となった。
山崎武司、大田泰示…球界遅咲きスラッガーの系譜
188cm、95kgのド迫力の野球選手。新日本プロレス現IWGP王者のオカダ・カズチカとほとんど同じ身体のサイズでパワーは抜群、肩も強けりゃ足も速い。誰もが夢を見たくなる規格外のハイブリットモンスター。数年前、キャンプ見学に来たラグビー元日本代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏も、その大田の立派な体躯と抜群の運動神経を絶賛してラグビー転向を勧めたという逸話まで残っている。
正直、ここまで来るのに時間はかかった。だが、巨人時代は「ゴジラ松井から継承した55番」の重圧に押しつぶされ“永遠の未完の大器”とまで言われた男が、北の大地で9年目にしてようやくプロ野球選手としてのスタートを切れたように思う。そんな今の大田を見ていると、ある1人の名選手を思い出す。
中日や楽天で活躍したスラッガー山崎武司である。相撲や柔道で活躍した地元でも有名な怪力少年は名門・愛工大名電に進むと、打てるキャッチャーとして高校通算56本塁打を放ち、86年ドラフト2位で中日入り。球団からは将来の大砲候補として期待され、3年目と4年目には2年連続でウエスタンリーグ本塁打王&打点王を獲得した。
しかし、山崎は89年10月の広島戦で捕手として出場すると正田耕三に1試合5盗塁を許し、捕手失格の烙印を押され、これ以降は外野と一塁を守るようになる。そして、長い低迷期間が始まるわけだ。
山崎は94年シーズンまでのプロ8年間で計11本塁打。これは昨年までの大田の8年間で9本塁打とほぼ同じ成績である。そんな眠れる大砲が目覚めたのがこれまた大田と同じ9年目の95年、66試合で16本塁打を記録。ようやく1軍に定着すると、翌96年にはついにその才能が爆発する。6月には打率.403、13本塁打、33打点の凄まじい数字で月間MVP獲得。最終的に39本塁打で初の打撃タイトル獲得。まさに10年目の覚醒で127試合、打率.322、39本、107打点、OPS1.007という当時WBCがあったら、侍ジャパンの4番を打てるような圧倒的な成績を残してみせたのである。
なおこの時、山崎と激しいキング争いを繰り広げたのが、わずか1本差の38本塁打を放った松井秀喜(巨人)だ。奇しくも「松井秀喜」というキーワードで繋がる山崎武司と大田泰示の遅咲きスラッガーの系譜。
ちなみに山崎は通算403本塁打中、その半数近い196本塁打を、35歳を過ぎてから放っている。果たして、遅れて来たスラッガー大田泰示は札幌ドームにこれから何本のアーチを架けるだろうか?
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)