コラム 2017.09.02. 08:00

もう1つの甲子園!?石垣で離島甲子園が開催

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優勝を決めて喜ぶ宮古島アララガマボーイズ。花城投手(右)は大会MVPに輝いた

離島No.1を決める熱戦


 夏を彩る高校野球の甲子園大会が佳境を迎えていた頃、はるか南の沖縄県石垣島では「離島甲子園」が開催されていた。新潟県の佐渡島や、東京の八丈島など全国の離島から選手が参加する『国土交通大臣杯 全国離島交流中学生野球大会』だ。

 開会セレモニーが行われた21日から決勝戦が行われた24日まで、全国23自治体から24チームが参加して、トーナメント形式で離島ナンバーワンチームを決める熱戦を繰り広げた。優勝は、沖縄県の宮古島アララガマボーイズ。“アララガマ”は、不屈の精神を意味する宮古島の言葉だ。決勝では、地元の石垣市選抜を1-0で下して大会初の2連覇を達成した。

 完封勝利を挙げた花城琉伊(はなしろ・るい)君はMVPに輝き「2連覇はチームで決めていた目標。MVPももらえるかどうか分からなかったし、とにかく嬉しい。今後は、沖縄本島の高校に行って、内野手で甲子園に出たい。巨人の坂本勇人選手が好きで、遊撃手をやりたいです」と喜び、高校野球での活躍になげる意気込みを示した。


キッカケは村田兆治さん


 離島甲子園は、野球教室などで離島の野球事情を知ることになった元ロッテの村田兆治さんが三市交流会という交流戦を提案したことを発端として、国交省の支援を得て2008年からスタート。今年で記念すべき10回目を迎えた。

 10の自治体が参加した第1回から徐々にチーム数が増え、今回は23自治体から最多24チームが参加した。離島は、野球をプレーする仲間もチームも少なく、遠征には費用がかかるため、試合の機会が圧倒的に少ない。

 三宅島中学生野球チーム(東京)の捕手を務めた三野大翔君が「島には1つしかチームがないから、大人たちと混ざって試合をするけど、教えてもらいながらプレーすることになる。同学年だと平等だから、自分たちだけで野球ができる」と話したように、貴重な機会を楽しむ声が多かった。国交省と自治体支援によって負担金を抑えられることも、大会の大きな魅力だ。


少子化と過疎化という現状


 近年、甲子園大会の予選で部員減少問題や合同チームの挑戦が報じられることが増えているが、少子化と過疎化のダブルパンチを受けている離島では、野球をやりたい子どもがいても、仲間がいない、チームがない、相手がいないといった状況が日常化している。

 鹿児島県の西側には甑島(こしきじま)列島がある。合わせて4つの中学校があるが、野球部はない。甑島選抜を率いた石原功一監督は「人数が集まらないので、剣道や柔道といった個人競技の部活ばかり。それでも、やっぱり野球がやりたいということで、中体連の大会が終わった後に集まって、このチームで野球ができる喜びを味わっているという感じです。島が橋でつながっていないので、集まるのにも船に乗らなければならず、大会前の練習試合も薩摩川内市の内地のチームと一度やっただけ」と厳しい現状を明かした。

 離島甲子園は、選抜チームが多いが、数えるほどのチームの寄せ集めで、実質的には合同チームに近い。一緒に練習する機会も作れず、連係プレーは難しい。チームのレベルは様々だが、7人しか集まらなかった福岡県の能古島アパッチは、地元の石垣中学校から3名の助っ人を得て自費参加していた。


離島甲子園の先に


 仲間がいる、相手がいる。思い切り試合ができる。離島甲子園は、離島のハンデを持つ者同士が、喜びを分かち合う大会だ。そして、刺激を受ける交流会でもある。大会は10回を数え、離島では少しずつ認知度が高まっている。過去の出場選手が甲子園大会に出場する例も出てきており、後輩たちは刺激を受けている。

 古くは阪急(オリックス)などで活躍した現ソフトバンクの佐藤義則投手コーチ(北海道の奥尻島出身)、近年ではロッテに在籍する大嶺祐太、翔太兄弟(ともに沖縄県の石垣島出身)らが離島出身のプロ野球選手として活躍。離島甲子園の第7回大会に出場した菊地大稀(佐渡高校)は、今年の甲子園大会出場を逃したが、今秋のドラフトで指名される可能性が噂されている。

 離島という同じ境遇だから、相手を素直に称えられる。離島の中から強いチームが生まれれば、ハンデを言い訳にはできない。折しも、開催地にある石垣中学校が沖縄県予選を突破して全国中学校大会に出場。大会後のさよならパーティーに参列した。離島甲子園を通じて交流した仲間の活躍が、次の世代のモチベーションを生んでいく。

 対馬ヤマネコボーイズ(長崎県対馬市)の小島直太郎君は、7歳上の兄の背中を追いかけている。兄の正直君は、離島甲子園を経験した後、長崎県の創成館高校に進んで甲子園大会に出場した。小島君は「兄はこの大会に出たとき1、2回戦を完封したと聞きました。高校に行ってからは内野手をやっていて、甲子園は、応援に行きました。僕も甲子園に出たいと思っています」と話した。


元プロとの交流も


 決勝戦後には、大会提唱者の村田兆治さんが率いる、まさかりドリームスの元プロ選手3名(鈴木健、本間満、三井浩二)が野球教室を行った。走塁、守備、打撃と、普段の練習とは次元の違うトレーニングを経験。中には、熱心にメモを取る指導者の姿もあった。野球を教えてもらう。練習をする。試合をする。それだけでも彼らには貴重な経験なのだ。

 大会の会場には「熱島甲子園」というのぼりも見られた。中学生の段階では、決して恵まれたトレーニングや試合を経験していない島っ子たちだが、野球が好きだという気持ちは本島の選手に劣るところはない。仲間が少なくても、相手が少なくても、島でも――環境は厳しいが、それでも野球がやりたいという思いの詰まった大会だった。


取材・文=平野貴也(ひらの・たかや)
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