白球つれづれ~第34回・赤門史上最高投手
野球界の一大イベントであるドラフト会議が、いよいよ26日に開かれる。今年の最大の目玉は、やはり高校通算111本塁打の怪物・清宮幸太郎。すでに阪神は1位指名を公言しているが、23日現在の情報では6~7球団の競合もありそう。もっとも、各球団の情報戦はここからがヤマ場で、清宮指名を匂わせておいて直前に回避や、他選手の一本釣りが可能か、隠し玉はどこでぶつけるか?など、虚々実々の駆け引きと神経戦は会議当日の直前まで繰り広げられる。
今ドラフトにあって、もう1つの注目を集めているのが“東大君”宮台康平の進路である。すでにプロ志望届を提出済みで、これまでに阪神、横浜、ヤクルト、ソフトバンクや西武らの球団が試合や練習の視察に訪れている。最速のストレートは150キロをマーク、「赤門史上最高投手」の折り紙付きだから、話題性だけでなく真の実力の持ち主。上位指名も予想される。
「これで六大学になれた」と宮台が叫んだのは10月8日、東京六大学リーグ戦の法大戦直後のことだった。1回戦を宮台の好投でモノにして迎えた第2戦も、左腕エースは救援登板で何とか法大の反撃をしのいで勝ち点を獲得。勝ち点を挙げること自体が2002年の立大以来なら、法大に限ると1928年秋以来、実に89年ぶりの快挙なのだ。他の大学のような甲子園球児がいるわけでもない。勉学との両立は練習時間の制約にもつながる。90連敗の屈辱もなめてきた。それだからこそ、たかが勝ち点1ではない。六大学にあって蚊帳の外でなくライバルとしての一員になれたことが、先の宮台の言葉になったのだろう。
6人目の東大出身プロ野球選手へ
東大出身のプロ野球選手は過去に5人。第1号は1965年大洋(現横浜DeNA)に入団した新治伸治。右の本格派でプロ通算9勝をマーク、これは東大出身では未だに最多の勝ち星である。元々、親会社だった大洋漁業の出向社員として契約。引退後はビジネスマンとしても成功をおさめた。
第2号は井手峻。67年の中日入団はドラフト制施行後初の東大選手の指名(3位)となった。投手から内野手に転向後、選手生活は10年に及び、その後もコーチや球団代表として長くドラゴンズ愛を貫いた。
さらに小林至(93年ロッテ)、遠藤良平(99年日本ハム)、松家卓弘(2005年横浜など)と続く。現役の成績は特筆すべきではないが、小林は現在、江戸川大学教授なら遠藤は日本ハムのGM補佐で松家は高校で教鞭をとっている。球団側も入団後の話題性だけでなく、その頭脳に期待しているのがわかるだろう。
宮台の実力は、こうした先輩たちより数段上というのが周囲の一致した評価だ。「右打者の内角に150キロ近いストレートを投げ込めるしチェンジアップもいい。研究熱心な努力家」と週刊誌でコメントを残したのは元中日の谷沢健一。現在は東大野球部の特別コーチとして間近で宮台の資質を見ているだけに、掛け値なしの評価と言っていいだろう。
次はどんな名言が!?
近年の東大では、少ない練習時間を補うため、1日5000キロカロリーの摂取を義務付けたり、ウェイトトレーニングの成果を月一回の測定会でチェックするなど基礎体力の向上に余念がない。加えて谷沢の前には元巨人の桑田真澄が投手を教えたりと、スキルアップを図っている。こうした環境も手伝って宮台のような逸材が生まれた。
一方では、皮肉なことにドラフト直前の今月3日には“京大君”田中英佑がロッテから戦力外通告を受けた。14年のドラフト2位で入団。こちらも150キロの快速球で即戦力として期待を集めたが、わずか3年、未勝利のままで終わった。肩痛から満足な投球も出来ず横手投げに転向して活路を探ったが光明は見出せなかった。これもまた、プロの厳しい現実である。
高偏差値選手という「くくり」で話題を集める宮台だが、プロに入団すれば実力勝負。田中の例を引くまでもなく時間は限られている。確かにこれまでの東大出身投手より活躍の予感を抱かせる。「六大学になれた」の次は初勝利をあげてどんな名言が飛び出すか?新たな船出はもうすぐだ。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)