白球つれづれ~第35回・“ゴッドハンド”木田優夫~
運命のドラフトは、時としてある人物の運命まで変えてしまうのかも知れない。
10月26日に行われたプロ野球の新人選択会議。最大の注目を集めた清宮幸太郎(早実高)の進路は、日本ハムに決まった。巨人、阪神、ソフトバンクなど7球団が競合する中で「当たりくじ」を引き当てたのは同球団のGM特別補佐である木田優夫。ロッテ、ヤクルトに次いで3番目に登場すると、黄金の左手で恋人を射止めた。
今オフは二刀流の怪物・大谷翔平のメジャー挑戦が確定的。主砲・中田翔のFA移籍も囁かれており、ストッパーの増井浩俊にまでFA権行使の可能性が浮上している。チームの屋台骨がギシギシ揺れる中での清宮獲得だから、チームにとっても、そしてファンにとっても神風と映ったに違いない。
ちなみに、ドラフト当日には早くも清宮獲得の際の日本ハムに及ぶ経済効果が発表されている。関西大学の宮本勝浩名誉教授によれば、試算額は62億円余。これは過去に算出された阪神・藤浪晋太郎の約44億円、日本ハム・斎藤佑樹の約52億円の入団時を遥かにしのいでいる。
これをそのまま当てはめれば、木田の左手は60億以上を一瞬にして稼ぎ出したことになる。まさに「ゴッドハンド」と騒がれるわけだ。
あらゆる栄光と辛酸を味わった男
木田と言えば、最近の若者には『明石家さんまのクリスマス特番にトナカイのぬいぐるみで毎年登場する変なおじさん?』くらいの印象かも知れない。多少、野球の話題に精通する者なら2014年にルートインBCリーグ・石川ミリオンスターズのGM兼投手として現役引退。この時にもさんまが“臨時コーチ”として花を添えたことを記憶しているくらいだろうか。
だが、その野球人生はまさに波乱万丈。栄光あり、転落ありのジェットコースターのような軌跡を振り返ってみる。
1986年のドラフト1位で巨人に入団。山梨・日大明誠高時代には甲子園出場こそ逃したものの、150キロ近い剛速球を誇る逸材だった。制球難もあって数年は二軍暮らしが続いたが、90年には頭角を現して先発ローテで活躍。初の2ケタ勝利と最多奪三振(182個)の記録を残している。
先発から中継ぎ、抑えとあらゆる役割をこなし、日本球界では通算73勝82敗50ホールド・50セーブ。98年にオリックス移籍を経て、翌年からメジャーリーグのデトロイト・タイガースにFA移籍した。しかし、アメリカでは故障や交通事故もあって毎年のように戦力外通告を受け、所属球団を転々とする。
日本球界復帰は2005年のこと。ヤクルトの新監督に就任した古田敦也の誘いで新天地の挑戦は始まった。この時代には私財を投じてファン用の特設テントを設置したり、100万円をはたいて都営バスにラッピング広告を出したりと独自の営業センスが話題を呼んだ。
そして、NPBの最後は日本ハムで終える。日米で8球団を渡り歩き、あらゆる栄光と辛酸を味わった。その間に培った経験と人脈を高く評価した日本ハムが、3年前に現在のポストを用意した。
“ぶれない”戦略
日本ハムのドラフト戦略といえば、とにかく“ぶれない”こと。常にその年のナンバーワン選手の指名を貫いている。現巨人の菅野智之には入団拒否されたが、大谷翔平は他球団がしり込みしても敢然と単独指名に動いた。
だが、唯一“ぶれた”のはくじ引き役。ドラフト5連敗の栗山英樹監督が辞退する中、指名されたのが木田だった。
清宮獲りから一夜明けると、木田の周りの環境まで激変した。8件に及ぶ取材に関係者からのメールや電話で「自分がメジャーに挑戦した時より取材を受けている。仕事にならない」とうれしい悲鳴だ。明石家さんまから「左手で引け」とアドバイスされたのは有名だが、その理由は「お前の右手(右腕)はもうボロボロやろ」だったとか。
ちなみに、木田の出身地は東京の国分寺市。そう、清宮が通う早実高の所在地でもある。運命の左手ならぬ糸までつながっていたのかもしれない。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)