手ごろなオーストラリア
日本人選手の武者修行の場としてすっかり定着した感のあるウィンターリーグだが、日本人の参加が最も多かったのは、中南米のリーグではなくオーストラリアリーグである。治安の良さ、英語圏であること、そしてなによりも時差がないことが大きい。
昨年のWBCでも対戦し、国際大会の度にテストマッチの相手として来日することの多いオーストラリアだが、MLBの後押しで、現在のプロリーグが発足したのは2010年秋のこと。以後、オーストラリア人選手の発掘の場として、あるいは世界各地の選手にとってのプロへのファーストステップとして機能している。
過去には、今や名門ヤンキースの不動のショートとして君臨しているディディ・グレオリウス(オランダ出身)、ドイツ人初のメジャーリーガーとなったドナルド・ルッツ、日本球界最初のイタリア出身選手、アレックス・マエストリ(元オリックス)ら、ヨーロッパ出身者がこのリーグを足がかりとして、日米のプロ球界にステップアップを果たした。
オーストラリアンドリーム!?
プロ球団による日本からの選手派遣は、リーグ発足当初から行われている。
育成に定評のあるソフトバンクは、プエルトリコ派遣と並行して、リーグ発足の2010年と2011年オフに延べ9人をブリスベン・バンディッツに送り込んでいる。この中には、中村晃、今宮健太といった現在の主力メンバーも含まれている。ちなみに、中村と同じ2010年に派遣された福田秀平はその後、プエルトリコでもプレー(2013年)した。
ソフトバンクと同じく、発足初年度に参加したのが巨人だ。メルボルン・エーシズに送り込まれた6人のメンバーの中には、2006年のドラフト希望枠左腕・金刃憲人のほか、この年不振だった亀井義行も含まれていたが、ウィンターリーグの派遣をプエルトリコに集約したのか、オーストラリアへの派遣はこの年限りとなった。
なお、リーグ初年度、巨人の選手とともに独立リーガーもメルボルンでプレーしている。今はなき関西独立リーグの兵庫ナインクルーズのエースだった西川徹投手は、個人参加で挑戦。ローテーションの柱としてシーズンを全うした。この西川の活躍が刺激になったのか、この後も独立リーガーたちのオーストラリアリーグ挑戦は続き、昨シーズンまでに6人がプレーした。
この中には、ルートインBCリーグ新潟の渡邉雄大のように、その後の独立リーグでも活躍し、育成ではあるがソフトバンクからドラフト指名を受けるなど、“オーストラリアンドリーム”を叶えた者もいる。
変わり種も…
変わったところでは、独立リーグを含めプロ経験のない選手が2人いたのと、米マイナーリーグ所属選手の参加が4回(3人)あった。この3人のマイナーリーガーは、すべて日本の独立リーグを経験している。
その中では、独立リーグから2012年にDeNA入りしたものの、1軍登板1試合で自由契約を言い渡された冨田康祐が、2015年シーズンにレンジャーズとマイナー契約を結び、そのオフに西武の選手とともにメルボルンでプレーしている。
ただし、NPB球団からの参加者以外で主力となった選手がほとんどいないことからも、このリーグが一定のレベルにあることはうかがえる。
オーストラリアの積極的なアプローチ
プロ球団の派遣に話を戻すと、1シーズンで撤退した巨人にかわり、ライバルの阪神が2011年オフから2シーズン、キャンベラ・キャバルリーに計8人を送り出した。この8人の中には、今やローテーションの柱へと成長した秋山拓巳(2011-12年)の名前もある。
ちなみに2015年オフ、この年限りで阪神を退団した上園啓史がシドニー・ブルーソックスでシーズンを送ったが、本人によると、現役続行の模索というよりは、自身で現役生活に区切りをつけるためのものだったという。
日本のプロ球団からの派遣は、オーストラリア側からのアプローチの強弱に左右されると、ABL国際部のデニー丸山氏は言う。2010年の発足から5年はMLBがリーグの大株主だったため、ABLの外国人選手受け入れも、北米からが主となることが多かった。しかし、2015年限りでMLBとの資本関係が解消されると、ABLはアジア重視の姿勢を見せるようになり、その中で日本との提携強化を模索している。
プロとアマの区別が厳格でない点を生かし、昨シーズンからは、日本の社会人野球統括機関、JABAとの提携のもと、強豪・本田技研の2チームから4人の選手を受け入れている。ABLには、近い将来、日本人だけで構成されたチームにリーグ参入してもらいたい意向もあり、それが実現すれば、日豪間の選手の交流はますます盛んになっていくだろう。
取材・文=阿佐智(あささとし)