90回の記念大会も扱いは…
10年前の夏、iPhone3Gが発売された。
現在開催中の甲子園が第100回記念大会ということは、我々がiPhoneを手にしたあの夏の甲子園は第90回大会である。2008年のプロ野球界は、渡辺久信新監督率いる埼玉西武ライオンズが原巨人に4勝3敗で競り勝ち日本一に。個人記録では、まだ横浜時代の内川聖一が打率.378の右打者歴代最高打率で首位打者に輝き、同じくハマの主砲・村田修一も46本塁打をかっ飛ばして自身2度目のタイトル獲得。楽天の岩隈久志が21勝4敗の好成績で沢村賞やMVPを受賞した。打率.332でパ・リーグ首位打者が同じく楽天のリック・ショートというのも妙に懐かしい。
では、10年前の第90回大会の甲子園にはどんな選手がいて、どこの高校が優勝したのだろうか…?今回は2008年8月のスポーツ新聞(主に日刊スポーツ)を元に当時を振り返ってみよう。
開幕は8月2日、記念イベント「甲子園レジェンズ」には、中西太氏や桑田真澄氏が高校時代のユニフォーム姿で登場。開幕試合を戦う智弁和歌山の注目選手は、和歌山大会記録となる4本塁打を放った右のスラッガー坂口真規(元巨人)だ。いきなり先制タイムリーを含む3安打猛打賞と4番の働き。投げては済美打線に対して、2年生左腕の岡田俊哉が完封勝利を挙げている。なお坂口は3回戦の駒大岩見沢を相手に史上初の1イニング2本塁打を記録した。
大会2日目には、プロ注目左腕の宮崎商・赤川克紀(元ヤクルト)が8回を1失点に抑え、熊本・城北との“九州対決”を制して44年ぶりに甲子園で勝利を挙げてみせる。その赤川は高卒ドラフト1位でプロ入りするも、2015年に現役引退。甲子園のヒーローの金看板がそのまま通用するほどプロの世界も甘くない。
それにしても、当時のスポーツ新聞では甲子園の扱いが小さいことに驚かされる。一面は開幕が間近に迫った北京五輪・野球日本代表ネタが連日占め、村田修一や川崎宗則らの離脱で内野手不足だと騒がれていた。8月4日には中日の山本昌が42歳11カ月の史上最年長で通算200勝を達成と、08年夏のプロ野球界はニュースが多い。
後のプロ野球選手たちが躍動
そんな中、大暴れしたのが今の西武打線を引っ張るあの男、大阪桐蔭不動の「1番・ショート」浅村栄斗だ。
1回戦の日田林工戦で6打数5安打2打点と16得点を挙げた打線を牽引。チームは前日に4点を取りながら雨天ノーゲームになっていたため、2日で20得点と猛打で圧倒した。
同日の横浜-浦和学院の試合で高校通算31号を放った“日本に2家族 珍名球児”と紹介されている横浜2年生は、現ハマの主砲・筒香嘉智だ。筒香は準々決勝の聖光学院戦で4番に座り、満塁弾を含む大会タイ記録の1試合8打点をマーク。それ以降、珍名球児から、“新怪物”と称されるようになる。なお、1学年上には後にDeNAでもチームメイトとなる倉本寿彦がいた。
大会7日目には、プロ注目の逸材対決が実現する。仙台育英の“赤星2世”こと橋本到が、菰野高の西勇輝から5打数5安打の固め打ちで勝利に貢献。巨人・大森スカウトもその素材を絶賛、俊足巧打に好守強肩で高校生No.1外野手の声をあったほどだ。しかし、プロ入り後の二人の成績はというと、完敗した西の方が一軍で投げ続け、すでに国内FA権取得と立場が逆転しているのも興味深い。
北京五輪開幕後は、バドミントンの“オグシオコンビ”の躍進や競泳の北島康介「何も言えねぇ」金メダルが連日トップニュースで報じられ、高校野球は7~8面が定位置である。下手したら、オヤジメディア界のアイドル“20歳の推定95cmGカップ歌手”こと谷村奈南の新曲発売記事の方が扱いは大きい。
大阪桐蔭の浅村が2回戦の金沢戦でこの試合2本目、大阪勢通算100号アーチを放つド派手な活躍を見せるも、一面は女子柔道の谷本歩実の連覇金メダルにさらわれるリアル。近年の高校野球人気の復活を、10年前のスポーツ新聞紙面からも読み取ることができる。
さて、第90回甲子園の決勝は、準決勝で横浜との“事実上の決勝戦”を制した大阪桐蔭が常葉学園菊川を17-0と一蹴。4番の萩原圭吾(現ヤマハ)は3試合連発に大会新記録の15打点と、浅村とともにチーム17年ぶりの全国制覇の原動力となった。
早いもので、あれから10年…。奇しくも、第90回大会開幕翌日の2008年8月3日付の日刊スポーツ一面は、甲子園の申し子『清原和博 現役引退』である。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)