過去に6人が達成したスラッガーの隠れた大記録
今シーズンからDeNAに加入した、ソトの活躍が止まらない。
マイナーで通算143本塁打を放ち、昨オフの入団テストを経てベイスターズの一員となったソト。推定年俸は3500万円、当初は「4人目の外国人枠」を争う一人という位置づけだったが、5月6日の巨人戦で一軍デビューを果たすと、その試合で来日第1号本塁打を記録してチームの勝利に貢献。チームの主軸を担うようになり、交流戦再開後の6月23日以降は不動のレギュラーに定着した。
8月26日終了時点で、打率.294、25本塁打、60打点という好成績を残している。
現時点でソトが立った打席数は「328」。残り31試合で規定打席(443)に到達するかはギリギリなラインだが、それでも本塁打はセ・リーグの5位につけている。1位のバレンティンには8本の差をつけられているため逆転は難しいだろう。それでもスラッガーの証とも言えるシーズン30本塁打は射程圏内に入った。
打率とはちがい、積み上げ系の記録である本塁打は、基本的に打席数が多いほど優位なタイトルだ。しかし、過去には規定未満で30本塁打を記録した選手が6人存在する。今回は、そんな隠れた記録を持つスラッガーたちを調べてみた。
規定打席未到達30本塁打達成者たち
まずは、2000年代に入る以前に「規定打席未到達で30本塁打以上」を達成した選手たちを見てみよう。ちなみに下記達成期間の規定打席は「403」だった。(※<>内は1本塁打に要した打席数)
▼ 田淵幸一(西武/83年)
82試合:300打席30本<10.0>
▼ ホーナー(ヤクルト/87年)
93試合:303打席31本<9.8>
▼ ブライアント(近鉄/88年)
74試合 267打席34本<7.9>
▼ デストラーデ(西武/89年)
83試合:292打席32本<9.1>
規定未満の30本越え第1号は、当時37歳だった田淵幸一。1975年に本塁打王に輝くなどこの時点で実績は抜群。実際にこの年もレギュラーとして前年に初の日本一に輝いたばかりの若いチームをバットで牽引していた。しかし、7月の時点で29本塁打とダントツのリーグトップの数字誇っていたものの、7月13日の近鉄戦で左手に死球を受けて骨折。シーズン終了間際の10月に復帰した後は、本塁打を1本積み重ねるのが精いっぱいだった。
また、ブライアントやデストラーデなどのシーズン途中に入団した外国人選手たちが達成したケースも目立つ。両者ともに契約を延長した翌年に本塁打王に輝いただけでなく、チームを優勝に導くなど大活躍した選手たちだ。
2リーグ制後初の記録をつくったバレンティン
続いて2000年代に入ってから達成した選手たちを見ていこう。
▼ ペタジーニ(巨人/03年)
100試合:331打席34本<9.7>
▼ バレンティン(ヤクルト/12年)
106試合:353打席31本<11.4>
ペタジーニはこの年で来日5年目、バレンティンは2年目での記録。ふたりとも故障をしてシーズン途中で戦線を離脱したことが規定打席に届かなった理由だが、バレンティンが達成した2012年は統一球でボールが飛ばなかったこともあり、前半のリードを守り切る形で見事に本塁打王を獲得。規定打席未到達で本塁打王に輝いたのは、2リーグ制になってから初の記録となった。
現在25本塁打を放っているソトは30本越えを果たし規定打席に到達するのか、それとも未達のまま30本越えを果たすのか、今後の活躍に注目だ。
文=福嶌弘(ふくしま・ひろし)