実は活躍例が少ない?
第100回目の夏の甲子園は、大阪桐蔭高が史上初めての“2度目の春夏連覇”という偉業を成し遂げて幕を閉じた。
その快挙の原動力として、プロからも大きな注目を集めている選手の一人が4番の藤原恭大だ。パワーとスピードを兼ね備えた万能外野手で、準々決勝の浦和学院戦では2本塁打をマーク。今夏の甲子園を通して打率.462、3本塁打、11打点という大暴れを見せた。
早くもドラフト1位候補として各球団からの熱視線を浴びる藤原であるが、気がかりな点もある。これまでのプロ野球の歴史において、「ドラフト1位で指名された高校生外野手」の活躍例が少ないということだ。
もっとも、歴代のドラフト会議における1位指名の大半が投手であったように、そもそもの数が少ないという点は否めない。特に外野手は守備よりも打撃面が重視されることも多く、外国人選手に頼ることも多いポジション。自前で育てるにしても打撃がウリの大卒・社会人の即戦力選手や、捕手・内野手として指名した選手をコンバートするというケースが多い。
たとえば現在の日本の4番、DeNAの筒香嘉智もドラフト1位で指名を受けた選手だが、当時は内野手としての指名だった。一塁や三塁などを経て、今では外野手として不動の「4番・左翼」となっている。
では、過去の「ドラ1高卒外野手」といえば、どんな選手がいたのだろうか。今回はドラフト会議で「外野手」として1位指名された選手のその後を調べてみた(後にコンバートされた場合も含む)。
2000年まではわずか「6例」
まずはドラフト制度がはじまった1965年から2000年までに指名された選手たちを見てみよう。
【過去のドラ1高卒外野手】※1965~2000年
▼ 1966年・第2次
伊熊博一(中京商高→中日)
[通算成績] 43試 率.119(42-5) 本0 点0
▼ 1967年
吉田 誠(大宮高→東映)
[通算成績] 241試 率.203(177-36) 本2 点7
▼ 1976年
武藤一邦(秋田商高→南海)
[通算成績] 77試 率.123(65-8) 本1 点4
※入団拒否。法政大に進学後、1980年にドラフト2位でロッテに入団。
▼ 1994年
大村三郎(PL学園高→ロッテ)
[通算成績] 1782試 率.265(5143-1363) 本127 点655
※登録名は「サブロー」
▼ 1995年
今村文昭(九州学院高→オリックス)
[通算成績] 投:47試 3勝4敗2セーブ 防5.61
[通算成績] 野:56試 率.167(12-2) 本0 点2
▼ 1999年
田中一徳(PL学園→横浜)
[通算成績] 341試 率.229(327-75) 本1 点13
ドラフトがはじまってからの35年間で、高卒外野手がドラフト1位で指名されたのは6回だけ。このうち、レギュラーの証である規定打席に到達した経験があるのはサブローただ一人だった。
この時期でいうと松井秀喜(星稜高/92年・巨人D1)がいるが、松井も高校時代は三塁を守っていたようにドラフト会議では「内野手」として指名されていた。
成功例と、藤原との共通点
続いて2001年以降に指名された選手たちを見てみよう。
【過去のドラ1高卒外野手】※2001年~
・☆は現役
・成績は9月5日終了時点
▼ 2005年
岡田貴弘(履正社高→オリックス)☆
[通算成績] 1050試 率.264(3734-986) 本167 点577
※登録名は「T-岡田」
平田良介(大阪桐蔭高→中日)☆
[通算成績] 986試 率.272(3164-860) 本91 点413
鈴木将光(遊学館高→広島)
[通算成績] 6試 率.182(11-2) 本0 点0
▼ 2007年
中田 翔(大阪桐蔭高→日本ハム)☆
[通算成績] 1157試 率.255(4296-1096) 本201 点737
丹羽将弥(岐阜城北高→オリックス)
[通算成績] 一軍出場なし
▼ 2010年
後藤駿太(前橋商高→オリックス)☆
[通算成績] 708試 率.225(1397-315) 本13 点114
※2017年までの登録名は「駿太」
▼ 2011年
川上竜平(光星学院高→ヤクルト)
[通算成績] 一軍出場なし
▼ 2012年
高橋大樹(龍谷大平安高→広島)☆
[通算成績] 8試 率.238(21-5) 本0 点0
▼ 2015年
オコエ瑠偉(関東一高→楽天)☆
[通算成績] 120試 率.233(296-69) 本5 点20
2001年から昨年までは9人がドラフト1位で指名された。ただし、これは2005年から2007年までのドラフト会議が高校生と大学・社会人を分けて行われていたこともあり、その間に半数を超える5人が指名されている。
また、その期間に指名されたT-岡田は2010年に本塁打王に輝き、中田翔も打点王を2度獲得。平田良介も今季セ・リーグで首位打者争いを繰り広げるなど、プロ入り後も活躍を見せている一方で、分離ドラフトが終わって以降は徐々に苦しむ傾向に戻りつつあるのは不安なポイントか。藤原のように甲子園でスター街道を登ったオコエ瑠偉も、現状プロの世界では壁にぶち当たっている。
そんな中、藤原にとっての光明は過去の成功例と“共通点”があること。サブローにT-岡田、平田、そして中田…。彼らの出身校はPL学園、履正社、大阪桐蔭、大阪桐蔭…。そう、いずれも大阪の高校からプロに進んでいるのだ。
高校球界の最激戦区と言っても過言ではない大阪。ここを勝ち抜いてくるだけの力があるチームで主力を張ってきたという実力は、ダテじゃないということ…。多少強引かもしれないが、嫌なジンクスの中において心強いポイントだろう。
果たして、藤原はドラフト1位でのプロ入りとなるのか。そして、その後のプロ野球人生は…?今後の歩みに注目が集まる。
文=福嶌弘(ふくしま・ひろし)